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(回答先: 天皇制度は「幻想」です。多分手塚治虫さんの「火の鳥」第一巻が全てです。 投稿者 考察者K 日時 2004 年 11 月 14 日 21:11:46)
考察者Kさん どうもです。(以下Kさんと省略させていただきます。)
引用は前後します。
>天皇制度は「幻想」だと思っています。
いきなり喧嘩を売るような話で恐縮ですがkさんは「究極の啓蒙主義者」で私などより、よほど左翼的な心性の持ち主であられると勝手に推察いたしました。(笑)
(雑談板ということでもあり、言葉の意味(概念)はゆるめに使わせていただくことを最初にお断りします。)
天皇制が幻想なら、国家も幻想、法も幻想、宗教も幻想、貨幣も幻想、さらに言えば個人=主体というのも全て幻想ということでしょう。しかし幻想を幻想と名指ししたところで幻想が消えるわけでもなく、今なお幻想を巡って血で血を洗う闘争が繰り広げられている世界という「現実」が変わるべくもありません。
「なぜ人は幻想にとらわれるのか」という問いは「人間は弱くて愚かだ」という木で鼻を括ったように取り澄ました、吐き気のするほど凡庸で結論にしばしば達します。
「だって、人間だもん」という便所の神様(便所に良く貼ってあったりしません?)相田みつお大先生のご宣託です。(横道にそれてしまいますが日本の財界オヤジが相田みつおを「深い」「癒し」とか持ち上げるのはこっ恥ずかしいからやめてもらいたい。ジョージ・ソロスは財界オヤジとは桁違いの悪党ですが同じように桁違いのインテリでもあります。)
ならばその幻想のメカニズムを知り、心に及ぼすはたらきについて考察する、いわば「精神分析」こそ人間が可能な方法の一つではないでしょうか。スピノザ的に言えば人間は老いたり、病気になったり、惚れた女に振られて孤独になったりして悲しみという感情にとらわれる。悲しみという感情を理性で解決することはできない、しかし「なぜ悲しいのか」と考えることは出来る、その考えるという一点において人間は「自由」でありえるのだという事です。
マルクスが『経済学・哲学草稿』(だったと思う)で書いている一部を要約しますと、「蜜蜂は偉大な建築家で非常に精緻で合理的な(六角形の)巣を作る、自然にはそうした建築家が多数存在するが、それに比べて人間の作るものはなんと不器用で、無様であることか。しかし人間がそうした建築家と比べて決定的に優れている点は、製作に着手する前にその完成した姿を頭の中に思い浮かべることができることだ」と言っています。
つまり人間は「構想力」を持つということです。木を切り倒して材木を得る、砂鉄を錬鍛してクギを作り、道具や家を作る。自然的には何の連関もない事物を結合し、あり得べき「姿」に向かって自己を動員していく。農業についても、今食べられる木の実に対する食欲を断念して地に埋める、ある意味では狂気の沙汰です。芽をふき実がなるなどという保障はなにもない、しかし「その完成した姿を頭の中に思い浮かべることができる」からこそ未来に企投することが可能なのです。
構想力と幻想を論理的に区別する事はさして重要であるとは思いません、いわばその「はたらき」において同一のものだということを知るだけで十分です。(概念をかなりゆるく使っているとお断りしたのは前述のとおりですが)人間は幻想を持つからこそ人間でありえるのではないかということです。現在とのズレにおいて「可能性としてのある状態」を想定しうるという時間の分節化についてはハイデガーの時間論で別投稿で書きましたので省略します。
「2001年宇宙の旅」というキューブリックの名画の忘れられないシーンがあります。モノリス(石版)の前の類人猿が動物の骨を手にします。骨は食欲を満たすという生存活動からいったら全く無意味なものです。しかし骨を手にしたことで何かが変わっていく、それは単純な
「身体の延長」ではありません。身体であれば動物の肋骨に叩きつけても撥ね返されるかもしれない、しかし握った骨を肋骨に叩きつけることで砕ける未来を構想する。
バーン、砕け散る骨のスローモーション...最初見たときは体が震えるくらい感動しました。
人間は幻想なしに「世界を定立」できないとすればフッサールの言う現象学的還元とは自我分裂であり精神分析に他なりません。幻想=分裂症を治そうとすれば別の病気になる。例えば「大衆は愚かで幻想に支配されているが自分だけは覚醒している智者である」という幻想、より深刻な分裂症に陥るだけです。(笑) またフロイトで言えば「原因が判ったとしても病気が治るわけではない」
ならば、病気のはたらきを知り、手なずけ、できうるならば楽しく付き合っていく以外にありません。度々引用していますが総合失調症(分裂症)の患者さんの自立施設「べてるの家」にはその実践のいくつかがあります。
問題だらけこそ人生
http://www2.freejpn.com/~az1156/page149.html
>日本には琉球民族と蝦夷民族と言う先住民族がいた事は「ほぼ間違いありません」
琉球民族と蝦夷民族というのは意味不明ですが日本古代史についてお書きになったことは肯定も否定もしません。
前提になる話を少し書きますが「日本古代史の謎、ロマン」は結構ですが、私は天皇陵を三つ四つ発掘して得られた資料と古代朝鮮史、中国史の「文字化」された資料を付き合わせれば「謎」と言われている、かなりの部分は解明できるのではないかと思っています。
何故それが問題にならないのか、何故発掘できないのか不思議でなりません。
天皇陵は宮内庁が管理して掘らせないのです。「とんでもないモノが出てきたら困る」「天皇の聖性が犯される」「個人のプライバシー」(笑)でしょうか。
明仁殿下が「百済王朝と姻戚」と仰っているのです。「貴様ら陛下の御心に逆らうのか!不敬である、天誅!!」(宮台真司モード)
まさに「古き亡霊が生ける人間の頭を締め付けている」幻想は幻想ではないのだ、という事で終わりにします。