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(回答先: 初代天皇は徐福かもしれません 投稿者 考察者K 日時 2004 年 11 月 17 日 07:00:39)
Kさん どうもです。
話がクロスしているとは思えませんがKさんの「胸を借りる」つもりで勝手に進めさせていただきます。
>幻想だからと言ってそれを「無理に消さなくても良いし」「止める必要もありません」
幻想を「消したり、止めたり」恣意的に操作できるという「憑き物」に取り付かれているから「究極の啓蒙主義者」だといっているわけです(笑)
>Kは初代天皇は徐福の子孫かもしれないと考えたりもします。
私は起源はどうでもいいと思っています、どうせ無文字社会まで遡行すれば判るわけがないし...ところで徐福が「女」だったという説もありますね。
日本において何故いわゆる始皇帝のような「アジア専制」が成立しなかったについては南青山さんご紹介の吉本隆明の『共同幻想論』(ちなみに角川文庫から「新装改訂版」が出ています。中身も見ないで衝動買いしましたが、大して変わっているわけではありません。)の論考に詳しいのですが、補足、反論したいのは山々ですが本筋でないので省略します。
これはマドオンナさんのレスに書いたエクリチュール(書き言葉)の二重性の話になりますが、中国から「概念」は借りてきた、しかしそれに対応する実体が無いわけですから、意味を読み替えた、あるいは読み替えざるを得なかったと思います。そこで重要なのが新世紀人さんのレスにあった「スメラミコト」です。スメラミコト=統べる命と考えてよいでしょう。
統べる=統合するは分裂、分立の反語ですが、逆に読めば分裂、分立を前提にしているわけで、要は根は同じということです。 「倭國乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす」でしょうか。
南青山さんのレスにもありましたが「日本国民統合の象徴」というのは、普通に読んだら全く意味不明ですがスメラミコトと考えれば胸に落ちます。しかしアメリカ人がそこまで考えていたとすれば背筋が凍りますけど。
戦後は「日本単一民族説」が主流ですが、小熊英二の『単一民族説の起源』を見ると判りますが明治以降「多民族構成説」と「単一民族説」を実にプラグマチックに使い分けてきました。例えば日鮮同祖論はいまでも生きているわけです。石原慎太郎は韓国併合を「兄が弟の面倒を見てどこが悪い、毛唐はひっこんでいろ」という風に(笑)閑話休題
つまり「日本は単一民族で皇室を中心にまとまってきた、だから色々あったがこれだけ発展してきた、良かった、良かった」と
「日本は色々な民族が交じり合って、各々の特性を生かして皇室を中心にまとまってきた、だから色々あったがこれだけ発展してきた、良かった、良かった」
という具合に単一性と多様性という反する概念が天皇という回路を通すと全部同じ結論になる。ですから天皇家が中国系だろうが朝鮮系だろうが何のスキャンダル性もないし、そのことで天皇の権威や聖性は微塵も揺らぎません。石原莞爾や宮沢賢治が熱心な信徒だった日蓮宗国柱会の田中智学は「高天原=ギリシャ説」だったというのは空耳板で書きましたが。
だから中心に対して辺境(南方論)を持ってきて批判したつもり(吉本もそうですが)でも、既に織り込み済みで空振りするわけです。まさに「スメラミコト」ですから。
非常に雑駁な話になりますが人間には論理的な判断(真か偽か)と価値的な判断(善か悪か)があると思うのです。カントの『判断力批判』でいけば「真、善、美」ですね。
断るまでもなくご本人を差し置いて勝手な判断ですが、新世紀人さんと私では天皇制を巡る「論理判断」では、あまり差がないと思っているわけです。
問題は価値判断ですが、私は「こういう制度は人間をダメにする、勘弁してもらいたい」と思っているわけです。たぶん新世紀人さんは「理をいうな、ありのままをみろ」とおっしゃるのではないかと(新世紀人さん勝手に推論したことをお詫びします。)