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(回答先: 天皇制に関する雑談的諸問題(だらだら長文) 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 11 月 13 日 12:17:35)
バルタン星人さん、どうもです。
小生も天皇および天皇制については、なぜあのような非合理な制度が存続して来たのか、現にいまも厳然たる制度・権力として存続しているのか、ずいぶん悩んだ時期がありました。
日本国憲法の天皇を規定した下り(象徴天皇制)は、何度読んでもさっぱりわかりませんでしたしね。
占領軍もずいぶん悩んだと思います。
とりあえず、彼らが天皇を残すことによって丸く収まるのなら残しておこうか、といった感じではないかと思っています(日本の精神世界などわかるわけがないし)。
彼我の妥協の産物が人間宣言だったのでしょうが、日本人はそんなことは全然関係ない。
なあーんだ、天皇陛下もわしらと同じ人間だったのか、などとは誰も思わなかった。
しかし、占領軍と同様に、日本国民も天皇の戦争責任を追求せず、開かれた皇室という体裁だけは繕いながら、21世紀まで象徴天皇制という謎の制度のまま来たわけです。
天皇制について、一般市民は、日常はほとんど意識にも上らないのですが、一度そのシステムが作動すると、一気に非日常的世界が訪れます。
昭和天皇の葬儀などがその代表例と思いますが、メディアに関わっていると、天皇システムの不思議さ(タブーと制約とかそんなものですが)に結構ちょくちょく直面しますね。
全然見えないのだけれども、ある日、何かの拍子でそのシステムが作動しはじめると、誰もどうすることもできない。
こうした深いレベルの制度、システムについて、たとえば山口昌男の「ゼロ記号」論では全然解決できないわけです。
バルトの「象徴の帝国」の議論は非常に面白いところまで入ってますが、あの辺が西欧思考の限界かなとも思います。
いまのところ、小生の理解では、やはり吉本教祖のご託宣になるのですが、「日本の天皇制は、〈アジア的〉段階のディスポティズムなんです」とか、日本人の生き神信仰説がいちばん納得できるものです。
バルタン星人さんはとっくにご存知でしょうが、吉本天皇論に興味のある人は「共同幻想論」や手っ取り早いものなら、天皇論をまとめた「信の構造Part 3 全天皇制・宗教論集成」を参照ください。
目から鱗の天皇制論が展開されていて、天皇論の本質的な議論はこれで終わっているとさえ考えています。あとは、縄文論と、21世紀の課題としての一神教との対決かなと。
小生の観るとこと、宮台慎司の「開かれた皇室」論者は自分が何を言っているのか分かっているのか」(http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/872.html)も、吉本天皇論の延長にあり、しかし、かなり粗雑な議論と理解しています。
近代理性に基づく論理では、近似解は出せても、天皇制の本質には届かないと思っています。
ときどきさえた議論もあるのですが、彼の論理には〈信〉と〈美〉の感覚が決定的に欠如していますね。
そのことを自覚していれば、もう少し柔軟な論理展開になるのでしょうが、そうすると彼の本来の持ち味である鋭さがなくなってしまうかもしれませんね。
〈アジア的〉段階のディスポティズムという吉本論を敷衍すると、バルタン星人の「不破哲っちゃんの談話が「陛下の御見識や平和を愛するお心には感服しました」とか「陛下の御心にそう政治こそ我が日本共産党」と書いてあって「臣 哲三」とか言い出すかもしれない。(笑)」ということも当然あり得て、われわれ国民もそのことについて何の疑問も持たないということもあり得ます。
その辺のところが日本の信の構造の面白いところと理解しています。
いずれそう遠くない時期に京都御所に戻り、再び国難が生じるとき、歴史の舞台に呼び戻されるのかなと想像しています。