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ここに出てくる人達のなかで、ひとりでも、政治犯として訴追され
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投稿者 こいけ 日時 2004 年 10 月 19 日 01:22:32:.czHagD0Wg4eY
 

(回答先: 「帝国」と「原理主義」 柄谷、浅田、市田、臼杵(『批評空間』2002-2) 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 18 日 08:11:06)

外国に亡命し、帰国して監獄に収監された経験のあるものはいるのか!
と突っ込みたくなる衝動をおさえながら、読み返しました。

ネグリは、2001年10月のルモンドでこんな事を言っています。
“9月11日に、数千人のアメリカ人労働者が働くツインタワーの崩壊を目にするのではなく、ペンタゴンが完全に崩壊し、ついでにホワイトハウスも攻撃されていたらよかったのにと思います。・・・私の敵は、国籍を問わず、あらゆる帝国主義者、かつては資本主義者と呼ばれていた人々です。” 「発言」中山元編訳 朝日出版社より

もう一つ資料を貼ります。ある講演の非公式の記録です。
私訳で、読み苦しいものです、原文もつけます、お許しを。

グローバリゼイション・・・マルチチュード

トニ・ネグリ


グローバル化された世界の誕生について人々が単にそれをある種の効果であるとか、所与のものであるとか、ソビエト連邦の崩壊後に残された帝国の拡大であるなどと話しているのを聞くと不快な気持ちになります。

1989年に始まったグローバリゼイションは単に一つの帝国が消滅し、もう一つの帝国が外部に拡大したというものではなく、もっと深い起源を有しています。
グローバリゼイションは、もはや国民国家の境界線で規制されることができなくなった労働者階級とプロレタリアートの闘争の総合点なのです。
闘争の力強さは何からくるのか、インフレーションのはじまり、国家予算の均衡、福祉への圧力、ブルジョア国家体制の物質的要素の破壊、・・・
2つの点についてゆっくりと進みましょう。まずはじめに民主主義の限界の理論(不思議なことにここで我々は70年代に、3者による文明の衝突を書いたハンチントンを見いだします。)
そして次に国民国家をこえて進む強力な力についてお話ししましょう。

国民国家はもう一方の点では、単に闘争とそれを国内的に規制する器であるという以上のものです。国民国家は帝国主義国家であり、植民地主義国家でもありました。ここも例外ではありません、20世紀の後半、植民地主義は確実に終わりを迎え、第3世界として知られる新しい世界がうまれました。自由へと向かう衝動と、賃金上昇の圧力が、資源の価格を統制していた仕組みを吹き飛ばしました。正確にこの自由の名において、我々は労働者の巨大な力の圧力をいたるとことで、グローバルなレベルで見ることになりました。ソ連の危機には触れずにおきます。生産様式が、フォード主義からポストフォード主義へ移行するちょうどその時期に、労働者が自由を持たないことは不可能であったのです。この極度に力強い運動は、科学の発展や、社会主義国家の新しい世界で行われる必要のあった国民教育とつながっていました。新しい世界とは、正確には、労働者の力の傾向と、生産方法の変化であったのです。

その誕生の時点では、グローバリゼイションは極度にポジティブな要素でした。それは自由の印であり、国民国家という地獄の檻を吹き飛ばす歴史的過程の力強さの印だったのです。
国民国家、それは一世紀に渡って、人々を最も馬鹿げた戦争に送り込んで、泥の中で、塹壕の中で殺し、そのイデオロギーは避けようもなくアウシュヴィッツ強制収容所へ導くものなのです。
国民国家の終焉と、第三世界のプロレタリアの力の解放に向き合い、そして最終的にグローバリゼイションというこの注目すべき変化の時を我々は発見したのです。
この変化の要請は、明らかに資本が打ち負かされたことを意味しません。資本はこの変化を引き受け、自身を別の水準に再編成し、ここで《帝国》という問題が誕生したのです。
注意すべきなのは、《帝国》の誕生とは、国民国家としてのアメリカ合衆国の純粋で単純な拡大とは違うということです。
もちろんアメリカはこの物語全体、特に最初の段階で全面的に存在していますが、世界資本の中心であり且つ頂点である存在が、国家に基盤を持つ力よりも深く関与しているのです。
集合的資本が、この世界の形勢の初期の段階に関わっているのです。
80年代と90年代の間に、政府の新しい形が求められはじめました。国際連合はここでは扱いません、国連は世界民主主義の観念のパラドックスを避けられないからです、世界レベルでの‘一人一票’は馬鹿げた概念に思われます。
ある理論家がジョークとして述べていることですが、それは中国に帝権にも等しいマジョリティを与えることになり、体制の問題は違った形の主権の発明に決定されるだろう。ということです。

主権、国民国家にはそれを違ったやり方で組織する能力はなく、世界レベルで徐々に形をとりはじめ、徐々にその権威を確立しつつある発生期の制度がますますそれを代行するようになっています。G8、IMFなどがそうです。
それらは、基本的には第二次世界大戦の末期に、国際的ケインズ主義的な管理のために発明されたのですが、その後、世界レベルでの資本家の規則を定め調停を行う有機的組織体になりました。
この過程はますます問題を大きくしています、なぜならそれは、一連の紛争を独立国家の内部から世界のステージへ移行させるからです。80年代から90年代にかけて、我々は絶対的に注目すべき世界のステージでの闘争の再組織化を目にしてきました。(天安門から韓国、インドネシアからロスアンジェルス、チアパスから95’のパリまで)それは、世界資本家の力を敵として見定める、全体としての一連の重要な闘争でした。たとえそれが孤立した闘争であり、サイクルを構成することがなく、同じ言葉を話す統一された闘争が生み出す大量動員を達成することができなかったとしても。

それら全ては後にシアトルの運動で創造されました。帝国の力がうまれるのと同時にそれに対抗する勢力が組み立てられたのです。そこには闘争のサイクルがありました。まだ表面的なものであり、限られたものでしかないにせよ、国際的資本家の意見ではこの運動は帝国の形成過程にとって極度に危険なものであると見られています。
ここで、何をなすべきかについて決断が要請されます。一つ我々が避けるべきことは、アメリカを新しい帝国主義国家であるとみなすことです。単にそれだけではないのです。その要素は確かに存在します。しかし資本家階級の統一ということが今日では絶対的に基本的なことなのです。
国家としてのアメリカに今日国家として対抗するような国家が現れる可能性はありません。選ばれた古い国民国家が、堂々と帝国の上部の勢力範囲を形成しています。

90年代の後半、アメリカでの戦争の扱いについての話し合いの大部分は、資本家の立場から帝国の再編成と新世界秩序の過程に直接に力強く介入し、それを初め、加速させる可能性についてでした。ここから新秩序を決心させる必要のある関係の大きな調停、スターウォーズ計画が出てきます。まるでヴィザンチン時代の保護された中心を作り出す企画(アメリカと西側諸国)のように、力の集積が誇示されました。これら全て(世界の残りの部分を顧みない企画)が9/11に爆発したのです。その結果は戦争です。しかしどんな種類の戦争なのでしょう?“外部”が存在しない時に、どうやって戦争をするのでしょう?そこで、現在の戦争は“警察行動”として行われます。アメリカの戦争科学は、一方でスターウォーズを巡って、もう一方では世界中どんな場所にでも即刻展開する能力を持った、高速介入部隊への軍隊の変換を巡って発展してきました。

アメリカの軍隊は、海兵隊にならねばならなかったのです。我々が現在直面しているのは、グローバルな世界の組織化のために必要な、あらゆる技術的、政治的、経済的、資金的、警察的手段の集積過程です。グローバルな世界は、現在に至るまで“大きな政府”を時代遅れに見せてきました。“大きな政府は終わった。”と言われてきました。しかし、今では“大きな政府が帰ってくる。”と言われます。“統治”の過程における政府の全面的な機能、別の言葉で言えば、法律上の固定された点に全面的に優先するそれ自身に超越した行政上の絶え間ない行動。そのダイナミックな過程は、法律の定義付けも、法律による保証も拒否し、軍隊が法律的、立憲的手段となってしまう。これが現在起こっていることなのです。

今日、我々は2、3年前に既に広く予見されるようになった成熟の過程を観ています。明らかにこの過程の直接の原因は誰も予見することができませんでした。しかし、その過程がこのようなものを生み出すと言うことは既に火を見るより明らかです、なぜならそれは、グローバルなレベルでの実用的な搾取のルールに従うからです。国民国家で、国際間の条約において効果的だったようなモデルを発明することが求められています。その他の手段も創作されねばなりません。この巨大な危機に対応するために現在行われている本質的再編成(憲法改正)の技術を見れば、抵抗しなければならないことは明らかです。しかし、どうやって?どこで?
答えは、新しい世界の労働団体の視点から、移動性の観点からの抵抗にあります。彼等は労働者のパワーをその運動の中に閉じ込めようとするでしょうが、誰もそれに成功しないでしょう。押しつけらる新しいヒエラルヒーに抵抗し、それらを吹き飛ばさなければならないのです。
しかし、本当に今でもこんな風になってしまった世界で闘争を行う可能性があるのでしょうか?もしくは、それは多分あらゆる意味で捨てる価値すらないのでしょうか?知識とともに、軍隊への(?)、知的労働の力への逃亡、それが我々の出発点でなければなりません。私の友人が言いました“戦争の技芸に対して、脱走の技芸”。

フェラジョリが言ったように、国家を恐怖を基礎にして維持管理し、それをホッブスの用語で構成することは今後はとても難しくなるでしょう。
我々がただ自らをもはや“人民”として創造するのではなく“マルチチュード”として生き残るのであるかぎり、それは本当に難しいものになるでしょう。自らを再領有した労働者である知的なマルチチュードには、もはや資本は不必要なのです。
我々はもう“人民”になることはありません、“人民”は、グローバリゼイションのレベルではもはや意味を持たない主権と一致してしまうからです。

[...]

“逃走か闘争か”私はそれを明確な二者択一の問題とは観ません。このグローバルな主権の新しい形式は、生産様式への投資、とりわけ生命と社会の再生産への投資をもたらします。我々が、帝国の力をバイオパワー(生権力)と呼び、命と労働の力をバイオポリティクス(生政治)の基本構造として定義するのはこの理由からなのです。
今日、労働は社会の基本構造になっています。生活が、教育、訓練が、賃労働、コミュニケイション、社会的恊働が、全て搾取の対象です。
バイオパワーの行使であるこのグローバルな命の搾取は限界を超えています。ここで我々は、逃走か、もっといいのは、脱出か、選択を迫られているのに気付きます。もはや古典的なサボタージュや、ラッダイトの合理化反対と言う選択肢はありえません。なぜなら、我々はまさにその内部にいるからです。今では労働者は労働の手段を自身の頭脳の中に持っているのではないですか?ならば、どうやって働くのを拒否し、サボタージュするのでしょう?自殺するしかないでしょう?
労働は我々の名誉であり尊厳なのです。

フォーディストの社会では、労働の拒否は有効でしたが、今日ではますますそれは考えられないものになっています。労働の指令に対する拒否はあるでしょうが、それは全く別の問題です。我々が脱出(エクソダス)について話す時に言わんとしているのは、生活の新しい形式を首尾よく打ち立てる試みについてです。
現在の資本主義社会は、戦争を構成するメカニズムを暴力的に制度化するものにならざるを得ません。もう結構、もうたくさんです。我々はGー8に反対するデモに行って「別の世界が可能だ。」と言うことはできません。そして実際には、脱出を実行することもできないのです。脱出が葛藤をもたらすのは避けられません、彼等はやってきてあなたを押さえつけ、従わせようとするでしょう。しかし我々は明確な問いを発する必要があります。
私は、フェラジョリのすばらしい立憲的、司法上の、啓蒙的理想主義を理解しています。しかし、それが単に選択の過激さを基礎にしていることも理解しています。もし私が、自分自身のために民主主義を再発明するよう強制されたとしても、そんなことはしないでしょう。資本主義に完全にフィットした民主主義がいやと言うほどあったではないですか、今日もはやそれは相応しいものではありません。なぜなら、国家レベルで働いていたのと同じ形で、同じ基準に従っていては、地球規模で利潤を再生産することはできないからです。そのうえ彼等は全ての人々に影響を与える戦争を始めます。生物戦争の寓話とは恐ろしい寓話です、それは権力がどんなものになっているかのメタファーなのです。
それは、我々が‘帝国’について語るべき領域にあるのです。

ハートと私は多分、労働者中心の理論体系を少し機械論的に国際レベルに当てはめるという方法を用いました。しかしポストコロニアル理論の全体と我々の立場とを調整するのにほかの方法があったでしょうか。この場合、グレートインディアンスクール全体が役目を果たします。

科学的見地から見れば、マルチチュードの概念はまだとても若い概念です。我々はそれが機能するかどうか見るために、世に送り出しました。しかし、新しいプロレタリアートを定義する時、マルチチュードについてですが、主体の多数性が特異性と結びついて働く動きのことを言っているのです。それは階級の概念とは全く違います。マルチチュードの働きは完全に搾取されています、しかしマルチチュードはそれ自身を、ネットを通じて、つながりをとおして、恊働と言語をとおして統合するのです。マルチチュードは生産的で、構成的な多様性を持っています。全ての要素について、古典的マルクス主義のカテゴリーを参照して次のように言うこともできます。一般的知性が生産へと向かう道のりで起こる、労働力の実質的包摂と言う変容。マルチチュードの概念はここでは機械、手段として使われています。しかしこれのどこに政治的な今日的意味があると言うのでしょうか?
この領野では、我々は世界的レベルでの本源的蓄積の時代を生きているのだと思います。
主観性の観点からすると、何が起こっているのかについてどんなイメージが持てるでしょうか。一番言いのはルクレーティアの素朴な物質主義からとったイメージで、素粒子や原子の特異性が、あちらこちらで自らを寄せ集め、組み立てる偉大な運動、と言うものです。プロレタリアートの新しい本質が、組織体になりはじめていることは明らかです、そしてその組織体は、神知学と自己組織化のみを基礎としており、民主主義や社会主義とは、言い換えれば資本の民主主義的、社会主義的管理運営とは相容れないものであります。

我々(マルチチュード)が自分自身を見いだした全般的な状況は余り喜ばしいものではありません。我々が入り込もうとしている戦争の状況(その大量虐殺とともに30年戦争により近いような)は、ある種の国家の自然な傾向であるように思われます。
この戦争と呼ばれる、帝国が想定し、それを構成する原動力は破局をもたらすものなのです。


原文、苦闘の跡つき

GLOBALISATION… MULTITUDE… etc

by Toni Negri ?

?translated by Ed Emery
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[The following is a contribution by Toni Negri to a meeting in 2001 at the Literature Faculty of the La Sapienza university, organised by the group Laboratorio Sapienza Pirata. The Italian text was circulated on the Multitudes-Infos discussion list. I have translated it in order to bring it to a wider audience.]

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"I feel uncomfortable when people talk about the birth of the globalised world simply as a kind of effect, a given, an expansion of the empire that was left [after the disappearance of the USSR ].

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?"Globalisation, which really begins to lift off in 1989, doesn't happen simply by the outward spreading of one empire when another empire disappears. It is born of far deeper roots. Globalisation is the point of confluence of working class and proletarian struggles which could no longer be regulated within the confines [1] of the nation State. The dynamic which consisted [2] of struggles ? creation of inflation ? balancing of state budgets ? pressure on welfare ? breaking of the material elements of the bourgeois [3] constitution, led gradually [4] to two things: first, a theory of the limits of democracy (and strangely here we find that same Huntington who wrote about the "clash" of civilisations in a document of the Trilateral Commission back in the 1970s), and then a powerful push towards going beyond the nation State.

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"On the other hand the nation State was more than just the capacity to contain struggles and regulate them domestically. The nation State was also the imperialist State, the colonialist State. Here too, in the second half of the twentieth century we have the definitive end of the colonial process, the birth of a new world (which came to be know as the "Third" World), in which the drive for freedom and pressures on the wage [5] explode the mechanism which had controlled the prices of raw materials. Precisely in the name of this liberation, we begin to see these huge pressures of labour-power on everything, at the global level. Not to mention the crisis of the Soviet Union ? which happens at the precise moment when it became necessary to shift from the Fordist mode of production to the post-Fordist mode of production: a transition [6] which is impossible when the worker has no freedoms. This extremely powerful movement is linked to the development of science, of public education within the socialist countries, where there is a necessity of inserting into this new world. A new world in which, precisely, the nature of labour-power and of the productive processes is changing.

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"At its birth, therefore, globalisation is an extremely positive element. It is a sign of freedom, a sign of the strength of the historical processes which are blowing apart the hellish cage which is the nation State. The nation State, which for centuries has sent people to be killed in the most stupid wars, in the madness of the trenches. The nation State, whose ideology leads inevitably to the gages of Auschwitz . Faced with the end of the nation State, and the liberation of the proletarian forces of the Third World , we found this remarkable moment of transition: globalisation. Finally! Obviously the fact of claiming this transition does not mean that capital has been defeated. Capital takes this transition on board, reorganises itself at that level, and it is here that the problem of Empire is born. Note carefully ? the birth of Empire is something different from the pure and simple expansion of the USA as a nation State. The Americans are fully present in this whole story, particularly in the first phase, but they are present far more as a centre and apex of world capital that as a state-based force. It is collective capital which is involved in the early phases of the organisation of this world. Between the 1980s and 1990s new forms of government begin to be sought. The United Nations is no use here, because within the UN you have the paradox of the idea of world democracy: at the world level "one man one vote" is seen as a ridiculous notion. It would mean, as some theorists have jokingly observed [7] , giving the imperial majority to China . Therefore the problem of organisation is resolved by the invention of a different form of sovereignty.

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"Sovereignty, which the nation States prove incapable [8] of organising in a different manner, is increasingly transferred towards a set of nascent [9] institutions, which gradually take shape, and gradually come to establish themselves at the world level: the Group of 8 (G8), the International Monetary Fund, etc. They are basically organisations which were invented for the management of international Keynesianism at the end of World War II, but then became organisms of capitalist mediation [10] , of capitalist regulation at the world level. This process obviously becomes increasingly problematic, because it shifts a series of conflicts from within individual countries onto the world stage. During the 1980s and 1990s we saw a recomposition of struggles on the world stage which was absolutely remarkable. There was a whole series of important struggles (from Tienanmen to South Korea , from Indonesia to Los Angeles , from Chiapas to the struggles in Paris in 1995) which ?had identified world capitalist power as their adversary [11] . However these were struggles in isolation. They did not constitute a cycle, they failed to achieve that mass thrust which only united struggles speaking the same language are able to generate.
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"All that was created later, with the movement in Seattle , which was able to build opposition to imperial power at the same moment as that power was being created. And therefore we saw a cycle of struggles which, while still superficial [12] and full of limitations, was seen by international capitalist public opinion as a movement which was extremely dangerous to the process of formation of Empire. At this point a decision was required, as to what to do. One thing which we should avoid is to consider the American nation as a new imperialist State. It is not simply that! That element is also present, but the unity of the capitalist class today is absolutely fundamental. There is no longer the possibility of turning to the nation State as a way of opposing America as the nation. The elites of the old nation States have been massively coopted [13] to the upper reaches of the Empire.


"A large part of US discussions in the second half of the 1990s on the handling of wars in the US are around the possibility that capitalist capacity might intervene [14] directly and powerfully in the reorganisation of Empire and the new world order, and initiate an acceleration of that process. Hence the whole issue of Star Wars defence systems, which becomes a big mediation in relation to the need to determine the new order. As in the days of Byzantium there is an attempt [15] to create a protected centre (the USA and the western countries) in which the accumulation of power is demonstrated. All this ? a last-ditch attempt to exclude [16] the rest of the world ? explodes on 11 September. And therefore it is war. But what sort of war? How can you make a war when there is no "outside"? So now we have war as "police" action. The American science of war was developing on the one hand around Star Wars, and on the other around the transformation of armies into rapid intervention forces with the ability to move instantaneously [17] to any part of the world.

"The American army had to become an army of marines. Now what we face is an accumulation [18] of all the technological, diplomatic, economic, financial and police instruments necessary for the organisation of this global world. A global world where, up until now, action by "big government" had seemed to be a thing of the past. They used to say: "big government is over", but now they say "big government is back". An overall [19] function of government process, of "governance", in other words of continuous administrative action which transcends [20] within itself all preceding [21] giuridical fixed points. A dynamic process confuses the definition of rules and the guarantee of rules, which turns armies into the juridical instrument, the constitutive instrument. That is what is happening.
?

"Today we are seeing the maturation [22] of a process which already a few years ago could have been broadly foreseen. Obviously nobody could have foreseen the immediate causes of this process, but it was already fairly clear that the process would turn out like this, because it followed the functional rules of exploitation [23] at the global level. What was required was to invent [24] a model that was as effective as the nation States had been, and as the international law of treaties had been. Other instruments needed to be invented. If one looks at the techniques of constitutional reorganisation which are taking place now in order to deal with this great crisis, it is obvious that they have to be resisted [25] . But how to resist? Where to resist? The answer is to resist from the point of view of the new world society of the workers, from the point of view of mobility. They will try to block labour-power in its movements, but nobody will succeed in this. We have to resist the new hierarchies which will be imposed [26] , we have to explode [27] them. But is there really still the possibility of struggling in a world made like this, or would it not perhaps be worth deserting, in every sense? Desert [28] with knowledge, desert in the army, desert in intellectual labour-power. That is what should be our starting point. Friends of mine are saying: "against the art of war, the art of desertion [29] ".

?

"Maintaining ?a state based on fear, and forming it in Hobbesian terms, as Ferrajoli was saying, will be very difficult for them. But it will be very difficult only to the extent that we no longer creates ourselves as "people" but remain as "multitude". It is an intelligent multitude, which has reappropriated labour to itself and which no longer has need of capital. We can no longer become "the people" [ popolo ]. People coincides [30] with sovereignty, which no longer makes sense at the level of globalisation.


[…]


"Desertion or conflict? I don't see the problem in terms of alternatives. This new form of global sovereignty brings with it an investment of modes [31] of production, and above all of reproduction of life and of society. It is for that reason that we insist on calling imperial power biopower, and we define the power of life and labour as a fabric of biopolitics. Labour [work, lavoro ] has now become a social fabric, in which life, education and training, waged labour, communication, social cooperation are all subject to exploitation. It is over this global exploitation of life that biopower is exercised. It is here that we find ourselves faced with the choice of desertion, or better, of exodus. There is no longer the possibility of classic sabotage, or of a Luddite refusal, because we are right inside it. Nowadays workers carry their instruments of labour inside their own heads ? so how is one to refuse work, or sabotage work? Should one commit suicide? Work is our dignity [32] .

?
"The refusal of work was imaginable in a Fordist society, but today it becomes increasingly less thinkable. There is the refusal of command over work, but that is quite another thing. When we talk about exodus, we are trying successfully to construct new forms of life. This type of capitalist society will become violently institutionalised through constituent mechanisms of war. We don't want any more of it! We can't go and demonstrate against the G-8 saying "another world is possible" and then not practise, in practical terms, an exodus. An exodus which will inevitably be conflictual, because they will come and try and force you to obey. But we have to pose the question in these terms. I understand the very fine constituent, juridical, enlightenment idealism of Ferrajoli. But I understand it only on the basis of this radicality of choices. If you force me into a reinventing [33] democracy for myself, I won't go along with that. I have had enough of a democracy which fitted perfectly with capitalism. Today it no longer fits, because power cannot be reproduced globally in the same form and according to the same criteria of profit which operated at the national level, and therefore they proceed [34] to war. A war which has its effect on the everyday. The parable [35] of biological warfare is a terrible parable, a metaphor of what Power is becoming. It is on this terrain [36] that we ought to be talking about the Empire.
?

"Hardt and I have perhaps used a method which is a bit mechanistic [37] in translating the workerist ( operaista ) schema to the international level, but what was satisfying was to find the whole of post-colonial literature aligned with our position. The whole of the great Indian school functions in these terms!
?

"The concept of multitude. From the scientific point of view it is still very young as a concept. We are launching it in order to see if it works. But when, in defining the new proletariat, we speak of multitude, we are speaking of a plurality [38] of subjects, of a movement in which cooperating singularities are at work. There is an absolutely huge difference with the concept of class. The multitude works, is completely exploited [39] , but it puts itself together through the Net, through connections, through cooperation and language. The multitude has a multipicity which is productive and constituent [40] , all elements which can also be referred [41] back to classical Marxist categories: to the modification [42] of labour-power within real subsumption , in the passage of general intellect into production. The concept of multitude is therefore used here as an instrument [43] . But what might its political relevance [44] be? On this terrain I think that we are living through an enormous primitive accumulation at the world level. To give an image of what is happening from the point of view of subjectivity, the best that we have is an image taken from Lucretian primitive materialism: there is a great movement of particles [45] , atoms, singularities, which are putting themselves together and building here and there. It is clear that this new flesh of the proletariat has to become body, and that it can become body only on the basis of a theos [46] ["god"], on the basis of a self-organisation which declares that it will have nothing more to do with democracy, and also with socialism ? in other words with the forms of democratic and socialist management of capital.


"The general situation in which we find ourselves is not at all pleasant. It seems to me that the war into which we are entering is far more similar to the Thirty Years War, with its massacres ? a kind of state of nature. This engine of constitution which Empire is assuming and which it calls war is producing catastrophes."

Ends
?

[Trans note: This text may or may not have been transcribed from a live recording of the event. I do not know. It was also translated on the back of a bus, so there may be translation infelicities. For which je m'excuse en avance.]


[1] 制限する ((to, within)); 閉じ込める ,監禁する。境界 ,限界 .

[2] …から成る ((of)); … に存する ((in)); 両立[一致]する ((with)).

[3] 有産階級の(人) (proletariat の対) ;形式主義の[者] ;(物欲の強い)教養のない人 ,俗物(の) .

[4] 漸次[徐々]に ,ゆるやかに

[5] 賃金 ,給料

[6] 移り変り ;過渡期 ;

[7] 注視[注目]する ;観察[観測]する ;気づく ;守る ;(祭礼・儀式を慣行どおりに)挙行する ,祝う ;述べる .

[8] 無能の ; … ができない ((of doing)); … にたえない ((of)); 資格がない ((of)).

[9] 発生しかけている ;初期の ;新興の .

[10] 調停 .

[11] 敵,(競技などの)相手(方) ;(the A- )悪魔

[12] 表面の ;皮相な ,浅薄な ;見せかけの

[13] 選ぶ ;仲間に入れる

[14] 仲裁する ;干渉する

[15] 試み(る) ,企て(る) ;襲撃 ((on)).

[16] 締め出す ((from)); 排斥する (reject )((from)); 放逐する (expel ).

[17] 即座の ,瞬間の .

[18] 集積 ,蓄積 .

[19] 一端から一端に及ぶ ;全般的な ,総合的な .

[20] 超越する ;しのぐ ,まさる

[21] 先行する ,前の ;前述の .

[22] 熟す ;【医】化膿 (かのう )する[させる] .成熟[円熟](期) .

[23] 利用 ;搾取 ;開発 ;組織的宣伝 ,広告 .

[24] 発明する ;(口実などを)でっちあげる .

[25] 抵抗[反抗]する ;妨害する ;がまんする ;(化学作用・自然力などに)耐える ;撃退する .

[26] 課する ((on)); 無理強いする ((on)); (偽物などを)つかませる ((on));

[27] 爆発させる[する] (burst )((in, into)); 論破する ;一挙に達する[高まる] ((into)); (感情が)激発する ;急増する .

[28] 見捨てる ;見放す ;(持ち場を)放棄する ;逃亡[脱走]する ((from)); 立ち退く ;(勇気などが人から)消え去る .

[29] 遺棄 ,捨て去る[られる]こと ;脱党[艦] ,脱走 ;【法】妻子遺棄 .


[30] 一致[合致]する ((with)); 符合する ((with)); 同時に起こる ((with)).

[31] 様式 ,やり方 ;形態 ;風(ふう );(普通 the 〜) 流行 ;

[32] 威厳 ,尊厳 ,貫禄 ,品位 ;面目 ;高位

[33] (すでにあるものを知らずに)再発明する ;最初から作り直す .


[34] 前進する ,進む ((to)); 続ける ;始める ((to)); 発する ,生じる

[35] たとえ話 ,比喩 ;寓話 .

[36] 土地 ;地帯 ,地域 ;

[37] 機械学的 ;【哲】機械論的

[38] 複数性 ;多数 ;過半数 ;

[39] 利用する ;食い物にする ,搾取する ;開拓[開発]する ,採掘する

[40] 構成[組織]する ;憲法制定[改正]権のある (a constituent assembly); 構成要素 ,成分 ;

[41] 参照する ,問合せる ((to)); 頼る ;関係する ,対象とする

[42] 加減 ;修正 ((to));

[43] 器械 ;計器 ;器具 ;楽器 ;(他人の)手先 ;手段 ,方便 ((of));

[44] 関連(性) ;適切 ;今日的意味 ;

[45] 微分子 ,粒子 (elementary 〜?素粒子) ;微量 ;【物】質点 ;【文法】不変化詞 ,小辞

[46] 神知学の .

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