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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu79.htm
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中学生の「性」条例で規制 東京都、委員会で議論へ
ジェンダーフリーなど唱えているトンデモ教師たち
2004年9月28日 火曜日
◆中学生の「性」条例で規制 東京都、委員会で議論へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040921-00000030-kyodo-soci
人工妊娠中絶や性感染症の低年齢化に歯止めをかけるため、中学生以下の性行為を条例で抑止できないか−−。そんな意見が東京都庁内で出ている。「保護者らは安易な性行動をさせないよう努めなければならない」といった罰則のない規定を都青少年健全育成条例に設ける構想。
だが、庁内には「プライバシーにかかわる問題を規制することになる」「そこまで踏み込んでいいのか」と異論もある。都は中学教師らでつくる「青少年の性行動について考える委員会」を22日に設置、議論してもらう方針だ。
都内の教師らが2002年に実施した調査では、中学3年の性交経験率は男子6・8%、女子8・7%。1999年の調査より男子は1・5ポイント、女子は5・4ポイント増えた。
(共同通信) - 9月21日8時29分更新
◆「神学」のない教育は自滅する 9月27日 ミレニアム
http://www.path.ne.jp/~robcorp/bbs/wwwboard.cgi
「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」(箴言29・18)
ここで「幻」とは、「律法」と解釈することができる。なぜならば、前半と後半は対句になっているからである。
つまり、「幻がない→放縦になる」が、「律法を守る→幸いである」となっている。
「東京都が中学生以下のセックスを禁止する」というニュースの中において、産婦人科医が出てきて、「もう収拾がつかない状況だ」といっていた。
もう子供たちの暴走が止まらないのだと。
何が原因なのか?
「幻がない」のだ。だから「民はほしいままにふるま」っている。
性教育の授業において性交渉の際にはコンドームをつけよう、と教えて、性交渉が結婚とどのように関係しているか、性交渉の意味についてまったく教えないものだから、「じゃあ、やってみるか。」と考える子供が出てくるのも当然だ。
今日の暴走の主要な原因は、日本の学校教育に「神学」がなかったからだ。「技術」だけ教えても、「倫理」を教えることができなければ、子供たちの暴走を抑えることはできない。
しかし、学校教育は、神を無視しているから、神学などあるはずもない。だから、子供たちに理由を明示できないのだ。
「そんなことしちゃいけません。」といえば、「なぜしてはいけないのか。誰にも迷惑かけていないのに」と反論されてしまう。
先日のTV番組で、ジェンダーフリー教育について、教育者とタレントが口角泡を飛ばして議論していた。
まず、男女を性によって区別するな、と考えている教師が多いのに驚いた。(こんな教師に子供を任せられるか?)
彼らも、彼らに対して反論するタレントも、「なぜ男らしく、女らしくあるべき(べきではない)か」という自論に理由をつけることができなかった。
そうだろう。どちらも「神学」がないのだから。
どちらも「価値判断の最高権威は人間である」というヒューマニズム教育を受けてきたのだ。
盲人が盲人を手引きしているようなものである。
神を参照点として持たず、人間だけで頭をひねってどんなに考えても、結論はでないだろう。
人間を越えた者、創造者による権威づけというものがなければ、「小中学生がセックスをしてよいか悪いか」という議論も「男らしく、女らしくあることは間違いか」という議論も、結論は出ないだろう。
恐らく、政府は、秩序維持という観点から「結論は出ない」ということで満足しないだろうから、「理由なしの強制」に走るだろう。これ以上の小中学生の性的暴走を黙認はしないだろう。
そうすれば、結局、現実の世界において「律法に縛られない自由」の社会など幻想だ、ということが証明されてしまうのだ。
タガを締める者は必ず現われる。
自分で自分のタガを締めるか、それとも、国に締められるか?
性の解放、ジェンダーフリーなど唱えているトンデモ教師たちは、自由を唱えることが自分の首を締めることになることにはやく気付くべきだ。
(私のコメント)
21日のニュースで東京都が中学生の性行為を条例で
抑止できないかというのがありました。
高校3年生ぐらいになると半数がセックスを体験しています。
これくらいの年齢のセックスは恋愛によるものよりかは好奇心に
よるものです。好奇心と恋愛感情との区別がつかずにセックス
してしまう結果、結婚につながる恋愛関係にはならないようです。
私の場合の初体験は恥ずかしながら二十代になってからですが
あっという間に終わってしまい、後には罪悪感と空しさが残りました。
おかげでセックスに対する幻想はなくなりましたが、多くの男性は
セックスをしたいばかりに結婚して後悔しています?
小説や映画で出てくるような恋愛やセックスは作りものです。
本当の恋愛とは成熟した大人の男女がはじめてできるものであり、
未熟な中学生や高校生が出来るものではありません。
もちろん純粋な恋愛感情はありますが、それをどうして
表現するのか、多くの人生経験や教養を積み上げることで
始めて成熟した恋愛が出来るのだと思います。
このようにしてみると早すぎる性的関係を持つことは、若い二人に
とってはマイナスになることの方が多いでしょう。
最近では堅物な女性も性体験は早くて、結婚まで処女を守ると言うのは
死語になりました。昔なら新婚初夜の心のときめきがたまらなかったのですが
最近では婚前交渉も当たり前で、結婚までに複数の男性と性的関係が有る女性も
めずらしくなくなりました。それだけ女性の性の解放が進んできたのでしょう。
女性にとって処女を失うと言うのは開放感をもたらすのでしょうか。それならば
私ももっと積極的に女性を口説いて性的関係を持つべきだったと後悔しています。(泣)
私は硬派の男なので、女性と性的関係を持って結婚を求められることが
怖かったのです。まだ若くて結婚してもやっていける自信がなかった。(泣)
中学生ぐらいになれば性行為は出来るようになりますが、精神的にも未熟で
生活能力もありません。大人になって最愛の男性が現れたとき、その男性と
初体験の心のときめきは味わう事が今の若い女性は出来ない。
学校で性教育も行われていますが、避妊教育ばかりで、性行為の持つ意味を
教えていないようです。
今では純愛メロドラマに涙できるのも中年以上の世代で、今の女子高生
にはダサいとしか思われないようです。セックスばかりが先行して恋愛能力を
喪失しているのです。女性にとって幸せな事とは言えません。
若い未熟な女性も、男を見る目のある年配の女性などに相談してみれば
「あの男はハンサムでエリートだけれど、捨てられるだけだからよしたほうがいい」とか
アドバイスしてくれました。昔はそんな世話好きなおばちゃんがいたのですが
今はいなくなりました。
恋は盲目と言いますが、悪い男に騙される女性が後を絶ちません。
大人になっても男を見る目がない女性は騙され続けるのでしょう。
周りの評判を聞けばすぐにわかると思うのですが、私の場合誰にでも
手を出す男と言いふらされて、えらい目にあいました。(笑)
女性の場合、彼氏のいない寂しさに耐えかねて、妻子のいる男に誘惑されて
しまうことも多いようです。男の方はほとんど遊び半分です。
社内でも不倫行為がばれたら泣くのはいつも女性のほうです。
性に溺れてしまわないことが基本的なことだと思います。
◆教師の性モラルが乱れてきた 。石原都知事が怒るのも当たり前?
http://www.asyura2.com/0406/senkyo5/msg/673.html