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(回答先: 日本の法隆寺で7世紀初めの金堂壁画片発掘 [朝鮮日報] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 12 月 03 日 01:34:05)
法隆寺と同時代の奈良・飛鳥寺は百済から渡来したペルシア人技術者が建設した、と言う説がある。
(伊藤義教著「ペルシャ文化渡来考」岩波書店、1980年)
寺院建築だけでなく、雅楽なんかを見ていると中国・朝鮮の宮廷音楽や東南アジア系の
楽器、そして大陸北方(満州方面)やシルクロード方面の踊り等、様々な要素が入り混
じっていることが分かる。
言わば、奈良時代の日本は、ユーラシア大陸の各地域の文化が集中した「カクテル文化」
だった訳だ。
日本は海で孤立しているのではない。海で「世界」とつながっている。
その事が分かっていないと日本の歴史や文化は分からない。
ただ単に、
「あれはウチんとこのコピーだから」
と、上っ面だけを見てそこで終わってしまうのでは本当に日本を理解することは出来な
い。
「日本は海で孤立している。だから朝鮮半島以外から文化は伝わらなかった」
とか、
「儒教も仏教も朝鮮半島を経由して来たんだから、日本文化は朝鮮文化のコピーだ」
とか、勘違いしている奴が多すぎる。
もっと困るのは、全体を見ずに狭い範囲で知り得た知識を全てだと思い込んで日本人
に押し付ける奴が居ることだ。
朝鮮半島の歴史しか知らない者に、日本の歴史は分からない。