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《 たにしのつぶやき 》、【 兵の心理を語る「シベリア出征日記」 】
http://homepage1.nifty.com/kikugawa_koubo/tanishi.htm
本の紹介です。これ以上、戦場での兵の心理を率直に語った記録は日本には残されていないでしょう。
「シベリア出征日記」
松尾勝造著、高橋治解説、風媒社刊(初版1978.2.10)
○ 歴史の裏面に葬られてきたシベリア戦争の実態と意味を明かす!(帯書き−表)
1918年、日本帝国主義が領土的野心をもって敢行した“ロシア革命干渉戦争”−−動機の不純さによって最も政治的な戦争といわれ、その存在すらも国家の手で国民の眼から隠蔽されてきたこの戦争に参戦した一人の二等兵が、厳しい検閲の眼をかいくぐって書き送った詳細な戦場日誌により、初めてその全貌と背景を明らかにする!
○ 奇跡に近い資料の発見(帯書き−裏)
私は本書をしみじみ恐ろしい本だと想う。始めて本書を探し出した時に私は神の存在のようなものを感じた。シベリア戦争は最も政治的なものといわれ、ダーティ・ウォー(汚い戦争)の典型である上に、ベトナム戦争と酷似している。この戦争は歴史教育の上で抹殺同様の扱いを受け、その結果、他の戦争にくらべ、研究者も非常に少い。松尾日記は、そのような戦争の真相を探るための貴重な資料だ。このような内容が残されていたのは奇跡にちかい。(高橋治)
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以下に、戦場シーンを忠実に描き、その時の心理(描写)を遍く伝える部分ではないかと想い、抜書きしました。兵士が虐殺にはしる心理描写も、その後の「人間の心に返って」と悔悟する心理描写にも嘘偽りはないでしょう。そして又、その直後に、一仕事を終えた兵士が日常の如くに振舞っての食事風景は、現代の我々には想像し難いことですが、これが兵隊というものの赤裸々な日常意識だったのでしょう。
大変貴重な記録です。この著者が一年四ヶ月前まで、ごく普通の本屋の店員であったことを想いながら読み進むと、軍隊というものが人間を如何様にも操れる手管を知り尽くしてものとして、脅威を感じます。人間社会において、最新鋭の洗脳技術(装置)を絶えず開発し続けて来たのが、軍隊なのでしょう。
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【 インノケンチェフカ村の戦闘シーン 】
〈 大正八年(1919)二月十三日 〉
・・一昨日の恨み、戦死者の弔い合戦だと身の疲労等とうに忘れてしまひ、脱兎の如くに攻入った。その勇敢さは、敵方より見た時は如何に恐ろしく見えたことであらう。硝子を打割り、扉を破り、家に侵入、敵か土民かの見境はつかぬ。手当り次第撃ち殺す、突殺すの阿修羅となった。前もって女子供、土民を害すなと注意されてはゐたものの、敵にして正規兵は極く少数、多くは土民に武器を持たしたもの、武器を捨てれば土民に早変わりと言ふ有様にて、兵か土民かの見分けの付かうはずはない。・・
・・さて次の家へと向ひつつほかの兵はどうしてゐるかと後を振り返って見ると、矢張り同様に暴れてゐる。硝子を打割る音ヂャリーンガラガラ、扉を破る音バリバリ、キアキア言ふ奴を突き殺す。殺された妻が泣き叫ぶ。拝む奴を突き倒して行く。敵のゐた家に火をつける。豚の焼死ぬ声ゴーゴー、もののはぜる音ポンポパチパチ。馬が走る、女が髪を振り乱して逃げまどう様、悲惨な光景これ以上はあるまい。しかし恨みをのんで戦死傷した我将卒の仇に報ゆるにはこれが当然だと思った。
俺はこの有様を見ながらも、嗚呼悲惨、これが戦場の習はしか、可哀想に等とは思はなかった。かうした惨状がかへって物面白く目に写り、その殺気は鬼か蛇か、人に劣らず一人でも多く殺してやれと次の家へと急いだ。・・
外には木下少尉や特務曹長等が血刀を提げて俺たちの連れて来るのを待ってゐる。道に坐らせておいて、一刀の下に首を斬り落す。流石に木下少尉は学校出だけあって腕は冴えてゐた。ただ一打で首がころりと落ち、首根より血汐が噴水のやうに飛去り出た。・・
しかし、時の過ぎるにつれて、お互元の人間の心に返って行った。思へば惨いことをしたものだ。俺が手に掛けたもの幾人か。嗚呼、可哀想に。妻や子もゐよう、親兄弟もあるかも知れない、と言ふ同情心の後には、したことに恐怖心が湧いて来る。これを敵方から見たらどうだったらう。焼ける家の黒煙、それを潜って怒涛の如く攻め入った日本軍、硝子を割り、扉を打破って乱入、手当たり次第に殺傷して行くその兇相は、元寇の役に蒙古勢が壱岐対馬に上陸した様に匹敵か。赤穂浪士が・・
陣地を引き揚げて来た野砲隊が到着して、白兵戦惨劇の跡に暫し目を見張ってゐた。時は午後一時。一まず休憩と言ふのでそれぞれ空家に入って飯を炊いた。そして、鶏、豚、卵、馬鈴薯等を徴発して来て存分に食ひ、鋭気を養った。・・