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【モスクワ=古本朗】第2次世界大戦終了間際の1945年8月8日、モスクワでビャチェスラフ・モロトフ・ソ連外相が佐藤尚武駐ソ大使に対日開戦を通告した会談のソ連側議事録が明らかになった。
議事録による限り、大使はなぜか、日ソ中立条約を踏みにじって開戦するソ連の背信をとがめず、モスクワ駐在中の厚遇に感謝さえしていた。
議事録は露政府の公文書館に保管され、「秘密指定」と記されている。
それによると、会談は午後5時から20分間で、ソ連外相が宣戦布告文を読み上げると、「大使は動揺した様子で、もう一度、テキストを読み直してもよいか、と小さな声で許しを求めた」とある。
また、佐藤大使は「極東の平和維持の視点から、ソ連政府の(開戦)決定に遺憾の意を表した」だけで、依然、有効な日ソ中立条約に背いて日本に戦争を仕掛けるソ連の行動を非難してはいない。
さらに「ソ連に滞在した3年4か月の間、自分のためにモロトフ外相がしてくれたすべてのことに対し、深い感謝を表さなければならない」「ソ連政府は自分と日本政府に対し常に丁重だった」と礼まで述べたことが記されている。
そして退出する時、「大使は握手の許しをモロトフ外相に求めた」とある。
佐藤氏自身は後の回想録で、ソ連外相から開戦通告を受けた時、「もはや万事休す」と絶望し、形勢を盛り返す努力をあきらめたことを明らかにしている。
ソ連は、45年2月のヤルタ会談で米英と対日参戦の密約を交わし、同年8月に参戦。ソ連はこれに先立つ同年4月、日ソ中立条約(41年締結)の不更新を通告したが、条約の有効期限は翌年4月までで参戦は明白な違反だった。
◆日ソ中立条約=1941年4月に結ばれた。両国間の平和友好関係の維持と領土不可侵、一方が第三国から軍事攻撃を受けた場合に他方は中立を守ることなどを定めた。南進政策を推し進めたい当時の日本と、ドイツの侵略に対抗するため対日関係を安定させたいソ連の思惑が一致し、締結にこぎ着けた。
(2004/8/8/12:44 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040808it03.htm