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(回答先: Re:聖書は魔術書? 投稿者 ミッドナイト・レオ 日時 2004 年 7 月 06 日 13:41:03)
ミッドナイト・レオさん、はじめまして。
私の「陰謀史観」は、よく読まれる方の信念体系に傷をつけるようで申し訳なく思っていますが、
これは私から見えるものにも一理はあるだろうという、これも心証で行っているものなので、
基本的には、選択の問題における参照対象としていただければ幸いです。
>つまり聖書が「神から人間に与えられた聖なる書物」→「悪意ある人間によって書かれた魔術書」
>になってしまい、キリスト教は善意あるものでさえその根底が揺らぐことになってしまいます。
私は、キリスト教の聖典とされるものには、キリスト教成立以前の多分エジプトあたりが起源の魔術的要素が織り込まれていると思っています。ここで言う魔術的とは、「悪意の」というよりは、一定の秘密の体系なり知識なりを「暗号化」しておくということです。
これはピタゴラスの人脈にあるような非常に精緻な数学的とも言える体系が存在し、このような体系を物語りに織り込んで、一般には分からない形で保存するという目的があったと考えています。
ここでは聖書も読む人によって意味が全く変わってしまうでしょう。
私はキリスト教の善意というものは認めていますが、同時に悪意も認めています。
ですので、この宗教のどちらの側面を取るのかというのは、全く個人に委ねられる問題だと思います。
徹底的に福音として人生を生きるならば、それはそれで実りは多いのではないでしょうか。
しかし、全く同時に、徹底的に「道具」としてキリスト教の体系を扱っている集団もいるわけです。
これは、聖書の成立の時点から変わらないものと思えます。
聖書自体の成立過程は諸説あるので、これが正解という意見は持っていませんが、4世紀になってローマ帝国がキリスト教を国教化した動機といううものは「支配」であったのは確かだと思います。
一方、イエス本人が西暦0年に生まれた証拠もなく、本人はキリスト教国教化の何百年も前に既に「昇天」していて、この間に正確な情報が維持できていたのかも疑わしいと考えています。
誕生日(クリスマス/冬至)に関しても、それ以前の「異教」の伝統の名残とも言われます。
このような自然周期を崇拝していた「異教」の要素は、キリスト教の成立に強い影響を持っており、あらゆる「寓話」が聖書のなかに織り込まれながら、その寓話自体はイエス本人とは「無関係」なものも多いのではないでしょうか。
また、「ローマの支配」の為にキリスト教が強化されたとしたならば、そこにある動機は支配者の側にあったとも思えるわけです。つまりキリスト教自体の目的は「支配の継続」であり、福音に基づく救済などではないというように私には見えるわけです。
このような流れは外面は変化しながら、途切れることもなく現在まで続いているというのが実態なのではないでしょうか。
現在では、例えばキッシンジャーの秘密のコード名は「パックス・ロマーナ」と言いますが、これはローマ帝国再生のエージェントという意味になります。
そして、現在のEU拡大から中東の「統一」およびアメリカの衰退という流れは、この再生ローマ帝国の顕現を示唆しているように見えるわけです。
このなかで、現実的にキリスト教が果たしている主な役割といえば、集金と眠りであると言っては言い過ぎでしょうか。
ここでは、キリスト教というのはヴァチカンを主体とするカトリックのことを言っているわけですが、16世紀にリフォーメーション(宗教改革)として出された動機は良いものだったとは思っていますが、この流れは現在では決定的に劣性になっていると思います。
また余談ですが、このリフォームというのは世界中で合い言葉になって「構造改革」が押し進められ、その結果は惨憺たるものになっているのも意味深だと思っています。
> つまりキリスト教、いえ聖書に基づく福音宣教そのものが「世界中をまきこんだウソツキ大会」
>になってしまうではありませんか。
これは聖書を原理的に解釈して宣教するという態度があった場合、そのとおりだと考えています。
これは、少なくとも聖書が歴史書ではないという私の解釈によるものですが、その「善意」の内容に関しては完全に個人の選択に委ねられるのなら問題はないと思っています。
しかし、この場合も教会という組織形態が生き残るためには矛盾する物言いになるかとも思います。
いろいろ書いてしまいましたが、私個人はイエスは「いい奴」だったと考えています(笑)。