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(回答先: 長崎事件−種元駿儀式殺人の「意味」を解読する 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 7 月 02 日 14:46:58)
すみちゃん、どうもです。
>もちろん彼の名前それ自体は無意味です。
>あくまで「利用」されただけです。
この2行が引っ掛かっています。
この意味が、犯人は意図して「種元駿」くんを殺したわけではないと解釈すれば、結果論的かつすみちゃん解読の“意味”ということになりますが、それでいいのでしょうか?
(殺す対象は誰でもよかったが、たまたま「種元駿」くんだったから、そう解読できるという説なのかという疑義です)
そういうことであるのなら、すみちゃんの考えすぎということで話は終わります(笑)
しかし、すみちゃんは、「「利用」された」とも書いているわけですから、そうとも言い切れない。
どうなんでしょう?
以降は、犯人が「種元駿」なる名を持つ子を目的的に殺したと考えたときの問題点です。
儀式殺人説は受け容れられますが、「種元」なる苗字を持つ「駿」くんが儀式殺人として目的的に殺されたとするのなら、“親”が犯人につながっていなければ難しいだろうと考えます。
犯人は、ある時期から、殺人に意味性を付与できる「種元駿」くんをターゲットにしていたはずです。(家電店の売り場で“偶然”見つけたわけではないという意味)
それならば、「種元駿」くんは普段ひとりで動いていたこともあったはずですから、そのときに連れ去ったほうが目的を実現しやすいはずです。
それなのにわざわざ、親と一緒に家電店に来ていた「種元駿」くんを連れ去っています。(事実は違っていても可)
これは、「種元駿」くんが親と離れて行動する蓋然性や離れた「種元駿」くんを親が気にかけない時間が相当あるという見込みがなければ選択されない犯行方法です。
それとて必然ではないわけですから、数回から数十回も追跡しチャンスを窺うという“労苦”を要求されます。(チャンスは数年経っても訪れない可能性もある)
このようなわけで、犯人が親と一緒に家電店に来ていた「種元駿」くんを連れ去る犯行方法にした意味を考える必要が出てきます。
考えられるのは、「種元駿」くんがひとりで行動しているときに連れ去るとしても、それを誰かに目撃される危険があるから、家電店という人ごみにまぎれること(母親としておかしくない女性が連れていったら気にとめる人はまずいない)で犯行を秘匿できると判断したということです。
それと、「種元駿」くんが親と離れて行動する蓋然性や離れた「種元駿」くんを親が気にかけない時間が相当あるという見込みがなければ選択されない犯行方法であろうという考えを合わせると、犯人は、“親”が「種元駿」くんを連れ去れる状態に置く“確信”を持っていたと推論できます。
※「事実は違っていても可」について
親が犯人とつながっているのなら、家電店のゲームコーナーに放置していたという親の説明は事実ではなくてもいい。