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「覚悟はしていたが……」不安抱え待つ邦人記者家族
激しい戦闘が続くイラクで、再び日本人が襲われた。フリージャーナリストの橋田信介さん(61)、おいの小川功太郎さん(33)が乗っていたとみられる車両が27日、バグダッド郊外で銃撃され、炎上した事件。「1人死亡、1人負傷」の情報が伝えられ、政府は対応に追われた。
奥克彦大使(参事官から昇進)らの銃撃事件から半年、5人が捕らわれた人質事件から1月余り。「覚悟はしていたが……」。退避勧告が出ている危険な地にとどまる2人の安否情報を、家族たちは息を詰めて待った。
橋田さんは1970年代以降、ベトナム、タイなどのアジアを中心とした報道に携わり、戦地での取材経験も豊富なベテランジャーナリストだった。
「夫は大学を卒業してからずっとベトナム、カンボジアなど戦場を歩いてきた。覚悟はしていました」
午前10時過ぎ、橋田さんの妻幸子さん(50)は、静岡県清水町の自宅前で、報道陣を前に気丈に振る舞って見せ、「優しい人でした。慎重な人なんですけど……」と言って視線を落とした。幸子さんはヨルダンのアンマンに向かうため、新幹線で上京した。
山口県宇部市にある橋田さんの実家では、橋田さんの母親で、小川さんの祖母に当たるみねさん(82)が「こういう仕事なので、それなりの覚悟はしています。4月末に会ったときには『命をかけてするような仕事ではない』と諭したが、何も答えなかった」と声を詰まらせた。
橋田さんの息子で川崎市に住む会社員、大介さん(22)は「何度もイラク入りし、現地情勢に精通している父が、こんな事件に巻き込まれるなんて」と声を落とした。
幸子さんの母、石井静枝さん(80)は「いつも(取材や旅などの)愉快な話をして、皆を楽しませてくれた。『僕の人生楽しかった』といつも希望を持っている人」と話した。
◆目にケガの少年を日本で治療の計画◆
橋田さんは昨年11月、イラクのファルージャで米軍と地元の武装勢力との戦闘に巻き込まれ、ガラスで左目にけがをしたモハマド・ハイサム・サレハ君(10)を日本に連れてくる計画を立てていた。アフガニスタンの子供たちへの支援活動を通じて橋田さんと知り合い、この計画にも協力していた静岡県沼津市の学習塾経営一杉(ひとすぎ)真城(まさき)さん(59)によると、モハマド君は橋田さんとともに6月1日に来日し、沼津市内の病院で治療を受ける予定だったという。
◆「安全なら行かない、危険なら行く」近著で語る◆
橋田さんは、近著「イラクの中心で、バカとさけぶ」(アスコム刊)で、イラク入りの決意を「齢(よわい)61歳、残り少ない人生を立派に有意義に生きるのだ。心にも体にもヤキを入れる決意をした」と宣言。「あとがき」には「(自衛隊員と違って私が)死んでもビタ一文出ない、自分で葬式代を負担せねばならぬのだ」と記したうえで、家族に向けて「お父さんは行ってまいります」と書いている。
また、戦場取材に出かける理由について「ドラマチックだからですよ。そこに人が生きて、あるいは死んで、(中略)一歩間違えば自分も傷つくわけですから、それはもうエキセントリックだし」と強調し、「次から次へいろんな難関が出てくるから、その場その場でいろんな機転を利かして切り抜けていく、それがすごく面白いですね」と語っている。
1993年にカンボジア内戦の取材でポル・ポト派に拘束されたエピソードにも触れ、「まあ、座れっていってタバコを勧め、穏やかに話をする。柳のようにしながら、うまく切り抜けるんです」などと危機を切り抜ける秘訣(ひけつ)を披露。
紛争地域に行くかどうかは「安全なら行かない、危険なら行く」という独自の解釈で決めるとし、「ニュースの中心にならないと、どんな映像を撮影してもお金にならない」とフリーの厳しさも自嘲(じちょう)気味に書いている。
◆日刊ゲンダイにイラク関連記事を多数寄稿◆
日刊現代(東京・中央区)によると、橋田さんは今年に入ってから、同社発行の日刊ゲンダイに計14本のイラク関連の原稿を寄稿、小川さんも4本寄稿している。出発する前に、同社の担当者が連絡を取った際、橋田さんは「今回もサマワに行くつもりだ。現地で失明した子供を日本に連れて帰りたい。6月1日までには戻りたい」と話していたという。
◆昨年7月にNHK退職、おじ橋田さんの通訳も◆
早稲田大学を卒業後、96年にNHKに入局した小川さんは番組制作局、鳥取放送局のディレクターを経て、昨年7月に退職。今年3月にイラク入りし、陸上自衛隊が活動するサマワのほか、ティクリート、ファルージャなどに足を運び、反米感情の高まりを取材する一方、おじにあたる橋田さんの通訳も務めている。
「非常に柔軟な考えができる人。子供たちから話を聞く時は、傷つかないように心配りしてくれた」
鳥取放送局時代に取材を受けた不登校児童のケアに取り組む団体「ハーモニィカレッジ」の石井博史理事長(52)は驚きを隠せない。
「ファルージャだけは行くのは躊躇(ちゅうちょ)していた。危険すぎるからだ」。「月刊現代」6月1日号に執筆した「ファルージャ突入記―憎悪と殺意と悲しみの街」と題する現地ルポの中で、小川さんは治安悪化に対する不安感を記し、比較的平穏とされるサマワの情勢についても、「これまで取材した町では経験したことのないようなプレッシャーを感じた」と書いていた。
小川さんの母親で、橋田さんの妹の小川洋子さん(57)は「今はとにかく情報が欲しい」と話した。
(2004/5/28/14:38 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040528ic09.htm