現在地 HOME > 掲示板 > 戦争54 > 754.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
私は2年前に現地に滞在していたけど、イスラムの人たちは優しく平和主義者が多く、不穏な雰囲気は無かったけどねぇ
___________________________
サッカー青年19人の警察襲撃、つかめぬ動機 タイ
http://www.asahi.com/international/update/0505/010.html
「ダワ(イスラムの宗教活動)に行く」。4月27日夜、そう言ってタイ南部ソンクラー県スソ村の家を出た19人のイスラム教徒の青年は翌早朝、警察官派出所を襲撃して全員が射殺された。襲撃は同県だけでなく隣接するパタニ、ヤラー両県にもまたがる計10カ所でほぼ同時に起き、治安当局に射殺された人数は計108人にのぼる。犯行の動機はまだはっきりしないが、タイ南部に政府に敵対するイスラム武装勢力が浸透している実態が浮き彫りになった。
○イスラム勢力浸透か
スソ村の19人が襲撃した派出所は、村から約20キロ離れたところにある。青年たちは自動小銃とカービン銃各1丁、ナイフ8本、ピストル4丁で武装していたという。まず2人が派出所内に飛び込んだが、中にいた警察官に射殺された。残りの17人は隣の食堂に立てこもり、投降を求める警察の呼びかけを拒否。約1時間後に突入した警察官に全員射殺された。
スソ村は人口約600人。ほとんどがゴム園の労働者だ。19人は19歳から30歳で、いずれも村のサッカーチームの選手だった。事件の3日前には地域のサッカー大会に出場していた。
彼らの襲撃と死が知らされたのは、事件から半日たった4月28日昼ごろだった。23歳の青年の父親(68)は「(息子に)変わった様子はなかった。新婚の妻を残してなぜ死んだのか。だれか教えてくれ」と嘆いた。
青年たちに共通するのは「物静かで従順、村周辺しか知らない」ことだ。ゴム園で働いたあとサッカーをして、食堂でテレビを見るのが日課だった。「中東やイラクのニュースには、話もせず見入っていた」と店主は言う。
襲撃には、タイ南部の分離独立を主張しているイスラム過激派の関与が疑われている。80年代に政府の弾圧でいったん壊滅状態に追い込まれたが、最近、麻薬や武器の密輸でかせいだ資金で、組織再建を進めていると言われる。治安当局は今回の襲撃も、横流しする武器の強奪が目的だったとみる。
スソ村も70年代までは分離独立派の拠点だった。組織のメンバーが再び潜入し、青年たちを襲撃に誘導した可能性はある。しかし、仮にそうだったとしても、彼らが襲撃についてどこまで事前に聞かされていたかは分からない。死んだ友人から「ダワ」に何度も誘われたという男性(27)は、襲撃のことは何も言われなかったという。
仏教国のタイで、南部のイスラム地域は開発から取り残されている。教育も不十分で、若者は低賃金の職にしか就けない。スソを含む6村の地区長マナス・ワニ氏(50)は「貧しく生きるより、信仰のために死ぬ方が幸せだ。こう言えばイスラム教徒は納得してしまう」と言う。「それに、米国に抵抗するイラク人を見て、イラク人のようになりたいと思ったのかもしれない」
○殉教者扱いに
襲撃では警察官と軍人も5人が死亡した。政府は「報復」に備えて南部に軍の部隊を集結している。全国的に国民の不安も高まっており、世論調査では今回、政府側が武力を行使して鎮圧したことには、8割を超える高い支持が寄せられた。
しかしスソ村の人々は「警察は投降した青年たちを撃ち殺した」と信じている。後頭部に銃弾を浴びた遺体が目立ったからだ。青年たちは、100年以上の村の歴史で初めて、殉教者として埋葬された。「怒りと憎悪が消えない」。いとこを失った20代の男性は敵意をむき出しにした。
〈タイのイスラム勢力〉 タイ南部では20世紀初頭まで、マレー系イスラム都市国家が自治体制を維持した。今も人口の4%を占めるイスラム教徒の8割が、南部に集中する。
分離独立運動は50年代から本格化。89年、複数の過激派組織が連合体を結成。マレーシア国境地帯などに潜んでテロ活動を続けるが、組織力など実態はよく分からない。東南アジアのテロ組織ジェマー・イスラミアとの協力関係も指摘される。治安情報筋によると、連合体は今年を武装闘争の年と定め活動を激化しているという。