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今週号の「週刊ポスト5・7/14」P.217〜219に掲載されている「本誌特派記者:バグダッド脱出記:出井康博(ジャーナリスト)」より:
「<前略:拘束され解放されたフランス人ジャーナリスト・ジョルダノフ氏をインタビューした内容>
1年前、解放軍として歓迎された米軍は、今では大多数のイラク国民から反感を買っている。とりわけ酒とバグダッドから西へ50キロのファルージャを中心とするスンニ派勢力は、米軍に対して激しい武装闘争を繰り広げている。その一環が、外国人をターゲットにした誘拐である。
誘拐の危険はファルージャに限った話ではない。ジョルダノフ氏が拘束された場所はバグダッドの近郊だった。安田純平さん(30)ら日本人2人も、ファルージャに行く手前で捕まった。最近ではバグダッド市内でもロシア人らが誘拐されている。
そうした中で日本人の誘拐事件は、イラクでもとりわけ注目を浴びた。高遠さんらの事件では、その解放シーンがカタールの衛星テレビ局「アルジャジーラ」のトップニュースで流されるなど、地元メディアでもたびたび大きく取り上げられた。ロシア人や中国人など他国の人質事件に比べるとその量は群を抜いている。それは一方で、日本人誘拐の“効果”を裏付けるものといえる。武装勢力にとって日本人は恰好の標的として再認識されたに違いない。
<中略>
米軍が「テロリスト」と名指しするシーア派急進派指導者ムクタダ・サドル師の地元サドルシティで、民兵組織「マハディ軍」の兵士を取材した時もこんなことがあった。路地裏の民家から出ると、私を指差し叫んでいる男がいた。
「モサド(イスラエルの情報機関)の手先だ!」
私のような東洋人がなぜ、イスラエルのスパイと疑われるのかわからない。しかし男は必死の形相で叫びまくる。取材した民兵たちの説得で男は納まったが、一部イラク国民の日本人に対する見方を再認識した瞬間だった。
私はバグダッドに取材拠点を置く前、自衛隊が駐留するサマワで取材をしていた。他の駐留軍とは違って治安活動に従事しない自衛隊は、住民に銃を向けることはなく、宿営地の借り上げや警備員の雇用を通じて、地元経済に多大な貢献もしている。町では自衛隊は大歓迎されていた。サマワに滞在していた10日間は、銃声もほとんど聞かなかった。
それがバグダッドに来て一転する。身体にズシンと響く爆音が毎日、どこからか聞こえてくるのだ。
バグダッドで日本人が多く滞在する場所は市内中心部に2つある。ひとつは非政府組織(NGO)関係者やフリージャーナリストが固まっているカラダ地区周辺で、人質被害者となった日本人5人は皆、この辺りに滞在、もしくは滞在を予定していた。
そこから車で約5分、もうひとつ“日本村”がつくられているのがサダム像のあったフィルドス広場に近い、シェラトンやパレスチナなど高級ホテルの並ぶエリアだ。大手メディアの臨時支局が集中し、日本人の数も多い。
米系企業の関係者も多いため、この一帯に入るにはボディチェックが必要で、ホテルの前で戦車が各方面に睨みを利かせている。大手メディアの日本人記者たちは、ここからほとんど外出しない。取材は現地スタッフに任せ、自らはホテルにこもっているのである。しかし、だからといって、必ずしも安全が保障されているわけではない。
私がバグダッドにいた1ヶ月の間にも、何度かシェラトンホテルに着弾があった。米石油関連大手「ハリバートン」の子会社で、同ホテルに拠点を構える「KBR」が狙われたのである。
<中略>
イラクに入って40日目の4月19日、私は空路で隣国ヨルダンの首都・アンマンに出るため空港へと向かった。フセイン政権崩壊後1周年を過ぎた10日前から、イラクを脱出する飛行機は満席が続いている。私が数日前に入手したチケットも、同じ便で最後の1枚だった。
アンマンまで陸路で行けば約900キロ。しかし、ファルージャが戦闘状態にあるため、米軍が道路を封鎖してしまっている。さらには人質事件が相次いでいることで、バグダッドから空路から脱出する外国人が急増しているのだ。
市街地はいつもながらの大渋滞だった。米軍が道路を封鎖しているからだ。
「ケッラー(ノー)、ケッラー、アメリカ」
運転手がため息まじりにつぶやいた。穏健なシーア派イスラム教徒である彼の口からもそんな言葉が洩れる。
すいすい流れる反対車線を、いつでも撃てるように機関銃を構えた米兵を乗せた装甲車が何台も通り過ぎていく。威嚇するような米兵の姿に、ますますバグダッド市民は米軍への嫌悪感を強める。治安は一向に改善していない。信号すら止まったままだ。インフレも凄まじい勢いで進んでいる。バグダッドで米軍の存在を喜んでいるのは売春婦くらいかもしれない。
イラク人に訊ねれば、100人が100人とも当然のように「アメリカが戦争を始めた目的は石油だった」と答える。石油省の中堅幹部も私の取材に、「石油省はKBRに乗っ取られたも同然だ」と嘆いていた。
シェラトンホテルの最上階「スカイラウンジ」はKBRの「社員食堂」になっている。エレベーターを降りると、一瞬、日本人かと見間違う兵士がマシンガンを持って立っている。勇猛と規律で世界的に名を馳せるネパール・グルカ兵だった。この最上階自体、KBRの社員以外は立ち入り禁止だという。ラウンジの一角には広いビリヤード場がつくられていて、社員たちがビールを片手にビリヤードに興じている。さらに奥にはディスコまであって、大音量の音楽に混じって女の嬌声まで聞こえてきた。呑気で傲慢な「アメリカ」の姿である。そもそも彼らのせいで、イラクにいるすべての外国人が危険に晒されているのだ。そう考えると、思わずむかっ腹が立つ。
イラクでは今、シーア派、スンニ派を問わず、宗教界の発言力が急速に増している。アメリカがつくったイラク統治評議会に代わって、国民に蔓延する「反米」の声を代弁しているからだ。そしてイラク宗教界は「自衛隊の即時撤退」で一致している。
スンニ派の「イスラム聖職者協会」の求めに応じ、高遠さんら3人を解放した「サラヤ・ムジャヒデン」は、次のような声明を出している。「このような慈悲が二度とあると思うな。占領軍各国の国民は民間人を含め全員、即刻イラクを退去せよ」
私のイラク滞在は当初の予定を過ぎ、手持ちの資金も尽きようとしていた。イラクの行方をもう少し見続けたかったが、もはや猶予はなかった。
市街地を抜け、空港までの一本道に入ると、一気に車の数が減る。ここで最も危険なのは米軍車両と遭遇することだ。周辺の木陰などから抵抗勢力の攻撃を受け、巻き添えを食う怖れがあるからだ。
何とか空港までたどり着き、ほっとしたもつかの間、だだっぴろい空港内にたて続けに爆音がこだまする。この瞬間にも近くで戦闘が続いているのだ。
この日、40日間で初めて本格的な雨が降った。満席で飛び立った70人乗りの小型ジェット機が、急旋回を繰り返しながら上昇していく。ファルージャ周辺からの対空砲火を回避するためである。やがて機体は雲に呑み込まれた。今のイラクを象徴する光景だった。」