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世間と世界〜人質バッシングが明らかにしたこと(鈴木隆之)
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/208.html
投稿者 バックファイア 日時 2004 年 4 月 24 日 04:51:56:qn5ckX40WQMXw
 

http://www2u.biglobe.ne.jp/~sdn/iraq.htm


世間と世界〜人質バッシングが明らかにしたこと

(この文章は「京都新聞」2004年4月23日朝刊に掲載されものですが、
 新聞では紙面の都合上、これを多少短くしたものになっています。)

自衛隊のイラク派兵が決まりそうだった今年の始め、僕は評論家の宮崎哲弥氏と対談をした。
派兵はもはや止められそうもない。ならばせめて、そこで日本は何かを学ぶしかない。とんでもない問題が起こるのは目に見えているが―。
そういう趣旨の話をした(『木野評論』35号)。

そしてそれはまず、「民間人の拉致事件」という形で現れた。
いや正確には、「人質バッシング事件」として現れたと言うべきか。
「自己責任」という、にわかに流行り始めた言葉で(いったいどれだけの日本人が今までこの言葉を使い考えたことがあるというのか)、人質になった者とその家族を批判し、さらには嫌がらせさえする。

ここに来て欧米のメディアがこの風潮を批判的に報じているというが、それはそうだろう。
彼らには日本社会のこの「特殊事情」が不可解に見えるに違いない。
というのも、人質を批判している者たちが声高に叫んでいるのは、じつのところ「責任」などではない。
「責任」は欧米で重んじられる概念だから、この言葉を使えば理性的な批判に見えるだろうと無意識に考えているだけのことで、実のところこのバッシングは、日本社会特有の、古い因習的な「世間の目」が支えている。
そして「世間の目」が「異質なもの」を排除し、結果としてそれが体制を支えるという点において、今の日本社会は60年前の戦争時と変わっていない。

よく知られているように、アメリカでは自然公園などで「at your own risk」と書かれている地域がある。
これはまさに「自己責任」を要求しているものだが、しかしだからといってその地域で遭難したひとがいたら、「自己責任だから助けない」などと言うわけがない。救助隊は出るに決まっている。
まして遭難者の家族を罵るなんてことはしない。

今回のケースは自然が相手ではないから多少話が違うが、しかしそうであればなおさらのことだ。
紛争地域で困難に喘いでいる人たちがいて、その人たちに何らかの形で関わろう(コミットしよう)として彼らは行った。
先の例で言えば、遭難者そのものというより、遭難者を助けに行ったひとたちに近い。
遭難者を助けに行ったひとたちに、「危険を覚悟で行ったはずのばか者たち」と、この日本社会は言っている。これが「自己責任」論などであるはずがない。

人質の家族への嫌がらせは、たとえば国内の凶悪犯罪被害者への嫌がらせに極めて近い。
犯罪被害者が苦しみを訴え、自らの意見を主張すると、それに対して異様な反感を示すものが、この社会には確かにいるのだ。
被害者の日ごろの性癖などを暴き立て(たとえば「あの娘は男好きだからひどい目にあったんだ」とか)、犯罪にあったのは「自業自得」の側面もあるなどといい、被害者の家族は善人ぶって勝手な主張をしているだけだと吐き捨てる。
これは今回の人質バッシングとまったく同じだ。

(人質の家族が「自衛隊は撤兵すべきだ」と主張したのが気に入らない人たちも多いようだが、「事態を招いた原因を取り除くべきだ」という主張がなされるのはむしろ当然である。
事実、テロにあったスペインでは世論はそういう方向で動いた。
むろん、「テロには屈するな」という意見があってもいい。
政策決定がどの声に従うかは別にして、いつ何時どのような主張をもなす権利を保障するのが、民主主義の「覚悟」というものだ。)

ひとはなぜ、犯罪被害者を「自業自得」といいたがるのか? 
端的にいえばそれは、自分たちにはそのような「業」はないから大丈夫、と思いたいがためだ。
そうすることで被害者を自分たちの社会から切り離し、そして社会は安定を保つことができる、と。
人質になったひとたちを「自業自得」と切り捨てるのも根は同じだ。
紛争地域に行って危険に満ちた空気を我々の社会に持ち込んだものは許せない(「彼らは迷惑をかけた、謝罪すべきだ」という言いかたがこれを物語る。)。
彼らは自業自得だ、私たちとは違うんだ、と。体制批判者を「危険分子」として排除した60年前と、その点でこれは似ている。
しかし、そんなものは「業」でもなんでもない。「覚悟」という、本来その者自身しか問えない問題を、他者が暴力的に問うために持ち出しているに過ぎない。

 だが本当の「業」は、我々の社会自身がすでに抱え込んでいる。
 つまり自衛隊を派遣したということは、日本の社会全体がその「業」を抱え込んだということを意味している。 
 自衛隊派兵を推進した人たちは、「日本はいつまでも一国平和主義ではだめだ、世界に関与すべきだ」と主張した。
 僕は派兵には反対だが、世界に関与すべきだとは思う。
 関与する(コミット)ということは、相応の負担を、我々自身が「覚悟」しなくてはならないということだ。
 紛争地域にいるひとたちを助ける負担、難民を受け入れる負担、そして人質にされたものがいれば無条件でそれを救出する負担。
 不測の事態は必ず起こる。
 サマーワの街に自衛隊を留めておけばすべての事態をコントロールできる、ともし官邸が考えているなら、それこそおかしい。
 不測の事態に直面する「覚悟」無しに、世界にコミットすることは出来ないし、すべきではない。

 日本はイラクに関してはそのコミットを最小限にする(あるいは戦争協力とは別の形にする)という選択も出来たはずだが、そうはしなかった。
 すでに91年の湾岸戦争時から、戦争当事者としてコミットをすることを決断しているのだ。
 ならばその「覚悟」を持たなければならない。
(パウエル米国務長官が、日本の人質バッシングを批判したのもこの文脈だろう。)

 小泉首相は、人質になったひとたちには「自覚が足りない」といったらしいが、「自覚が足りない」のはむしろ首相自身のほうである。

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