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小6同級生殺害:被害女児に父が「手紙」
毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20040608k0000m040093000c.html
長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件で、死亡した御手洗怜美(さとみ)さん(12)の父で毎日新聞佐世保支局長の恭二さん(45)が7日、怜美さんへの心情をつづった手紙を公表した。怜美さんに「さっちゃん」と呼び掛け「(3年前に亡くなった)母さんには、もう会えたかい」と始まる文面では、思い出や現在の心境が交錯している。
手紙は怜美さんに呼びかける形になっている。恭二さんは3年前に妻を病気で亡くしたが、怜美さんからさんまざまな場面で励まされてきたことを思い返し、今の苦しみを正直に吐露している。
恭二さんはこの日、佐世保市役所で記者会見する予定だったが「多数の前で話をできる状態ではない」という医師の判断で取りやめた。代理人の八尋光秀弁護士が代わって会見し「さまざまな方から励ましをいただき、ありがたく感じている」という本人のメッセージを伝えた。
八尋弁護士によると、恭二さんはまだ加害者の謝罪を受けられる状態ではなく「(怜美さんが)亡くなったことを頭で分かっているつもりだが、体では理解できていない」と繰り返し話しているという。
◇御手洗怜美さんの父・恭二さんの手紙
さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。
さっちゃん。さとみ。思い出さなきゃ、泣かなきゃ、とすると、喉仏(のどぼとけ)が飛び出しそうになる。お腹(なか)の中で熱いボールがゴロゴロ回る。気がついたら歯をかみしめている。言葉がうまくしゃべれなくなる。何も考えられなくなる。
もう嫌だ。母さんが死んだ後も、父さんはおかしくなったけれど。それ以上おかしくなるのか。
あの日。さっちゃんを学校に送り出した時の言葉が最後だったね。洗濯物を洗濯機から取り出していた父さんの横を、風のように走っていった、さっちゃん。顔は見てないけど、確か、左手に給食当番が着る服を入れた白い袋を持っていたのは覚えている。
「体操服は要らないのか」
「イラナーイ」
「忘れ物ないなー」
「ナーイ」
うちの、いつもの、朝のやりとりだったね。
5人で、いろんな所に遊びに行ったね。東京ディズニーランドでのことは今でも忘れない。シンデレラ城に入ってすぐ、泣き出したから父さんと二人で先に外に出たよな。父さんは最後まで行きたかったのに。なんてね。
でも、本当にさっちゃんは、すぐに友達ができたよな。これはもう、父さんにはできないこと。母さん譲りの才能だった。だから、だから、父さんは勝手に安心していた。いや、安心したかった。転校後のさっちゃんを見て。
母さんがいなくなった寂しさで、何かの拍子に落ち込む父さんは、弱音を吐いてばかりだった。「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」「くよくよしたって仕方ないじゃない」。何度言われたことか。
それと、家事をしないことに爆発した。ひどい父さんだな。許してくれ。
家の中には、さっちゃん愛用のマグカップ、ご飯とおつゆの茶碗(ちゃわん)、箸(はし)、他にもたくさん、ある。でも、さっちゃんはいない。
ふと我に返ると、時間が過ぎている。俺は今、一体何をしているんだ、としばらく考え込む。いつもなら今日の晩飯何にしようか、と考えているはずなのに、何もしていない。ニコニコしながら「今日の晩御飯なあに」と聞いてくるさっちゃんは、いない。
なぜ「いない」のか。それが「分からない」。新聞やテレビのニュースに父さんや、さっちゃんの名前が出ている。それが、なぜ出ているのか、飲み込めない。
頭が回らないっていうことは、こういうことなのか。さっちゃんがいないことを受け止められないってことは、こういうことなのか。これを書いている時は冷静なつもりだけど、書き終えたら元に戻るんだろうな、と思う。
さっちゃん。ごめんな。もう家の事はしなくていいから。遊んでいいよ、遊んで。お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから。
2004年6月7日
御手洗 恭二
毎日新聞 2004年6月7日 21時15分