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(回答先: Re: グループ全体がおかしなことになっているように感じています 投稿者 ThePerfectOutsider 日時 2004 年 5 月 11 日 21:04:02)
ThePerfectOutsiderさん、どうもです。
ThePerfectOutsiderさん:
「(1)この事件は三菱の隠蔽体質の発露なのか?それとも意図的なものか?誰が将来
的に得をするのか?「彼ら」の関わっている可能性は?
(2)私感ですが、日本もグローバル経済に巻き込まれようとしている最中だが、こ
れをなんとか防ぐ為に経済的に鎖国をするというのは有効(だった)かどう
か。もしそうならいつの時点で踏み切るべきであったのか、また可能であった
のか。」
まず、今回の三菱重工長崎造船所で発生した火災については、二つの可能性があると思っています。
一つは、三菱重工を貶めるために意図的に引き起こされたものという見方です。
もう一つは、80年代以降強まっている「産業の商業化」(お金を稼ぐ手段として物をつくるという価値観)がもたらす“企業不祥事”と同一線上にある杜撰な安全管理による事故という見方です。
1年半ほど前に起きた火災と今回の火災の“事情”を勘案すると、意図的に引き起こされた可能性が高いのではと直観しています。
● ともに進水式を済まし、内装を中心とした仕上げの段階で起きている。
構造や機関という造船の骨格部分作業は、下請け作業者を使うとしても、三菱が主ととなって行っているはずですが、内装工事は、作業全体が下請けに委ねられているはず。 1年半ほど前に火災を起こしているので、三菱側は火災防止には神経をつかってきたはず。
● 1年半ほど前の火災は世界最大の豪華客船、今回の火災は国内最大最速のカーフェリーとともに象徴性が高く、三菱重工を貶める効果が大きい。
なんとなく「雪印乳業」と同種の陰謀も感じていますが、やはり気になるのは、ルールが同じである三菱自動車(三菱ふそう)と同種の陰謀性です。
三菱自動車(三菱ふそう)の構造欠陥から派生した事故や責任逃れ行為は刑事・民事できちんと責任を問われなければなりませんが、製造物の欠陥や責任逃れは三菱に限ったことではないという認識が重要だと思っています。
(トヨタのトラックもここ1年に脱輪事故を2度ほど起こしていますし、トヨタは整備士検定試験の問題事前漏洩という不埒なことも行っています。トラックにおけるシェアを考えれば、トヨタ製トラックの脱輪事故頻度は、ふそうトラックに匹敵するかそれを超えると言えるかもしれません。三菱自動車に対するダイムラークライスラーの狙いが元々トラック・バス部門にあったことを確認する必要があります。三菱ふそうを分社化した経緯も気になります。ダイムラーは、乗用車部門はとくに必要としているわけではないので、ほんとうに欲しいトラック・バス部門が安く手に入る道を模索しているはずです)
自動車部門はさておき三菱重工が“彼ら”の標的になっていると考えたとき、いくつかのことが浮かび上がってきます。
三菱重工と言えば軍需産業というイメージが強い会社ですが、新自由主義的価値観にあまり侵食されていないという点では「戦後大企業の伝統」を保守している会社ともいえます。(戦前の岩崎家の三菱と戦後の三菱は“国策的会社”という点では同質性がありますが、経営態度では大きな違いがあります)
国策と企業存続が密接につながっていることから海外に製造拠点を移しにくいということもあるのでしょうが、利益拡大よりも雇用維持を最優先とした経営を行っています。
このような経営実態を“彼ら”の目で見れば、新自由主義的に手を入れれば大きな利益(果実)を生み出す企業になるということです。
三菱重工は、航空宇宙産業という今後も拡大が見込める分野でも日本最大の企業です。
昨年秋に補助燃料タンクの切り離しに失敗するという不様を見せたH2Aロケットも、来年には三菱重工に移管されます。
H2Aロケットが民営化され、それを保有する企業を支配すれば、戦後日本が膨大な国費を投じて築き上げてきたロケット技術を丸取りすることができます。
戦後日本はローテク兵器に限った自主開発・製造でやってきましたが、製造技術や潜在的開発能力は確実に培ってきました。そして、三菱重工がそのような主体の中核です。
昨年あたりから「武器輸出三原則」の見直し論議が出ていますが、武器の輸出が緩和されれば、それに比例するかたちで潜在的能力も開花していくはずです。
財政が危機的で産業の製造技術も劣化している米国を考えたとき、日本のお金や三菱重工のような企業を活用したいと思うのは自然です。
そして、それが不都合を生じさせないためには、対象企業(三菱重工)を支配していることが何よりです。
2番目の問いですが、利潤(=資本増殖)が経済活動の基礎で、国際的に得られる利益が“真の利潤”である「近代経済システム」の枠内にある限り、鎖国は有効な策ではないと言えます。
もちろん利潤なぞクソ食らえで「近代経済システム」から離脱するという選択肢もありますが、戦後60年近くかけて結果的にできた国際分業構造を考えると、現時点で鎖国というのは、多数派の形成ができないだけではなく、国民生活(経済・政治・軍事)の維持という観点からも無謀な策です。
“彼ら”の力によるグローバリズムという嵐がしばらくは続くという前提で、それを受けとめつつ、どう換骨奪胎して国民経済主義的なものにするかが国策の基本になると思っています。