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(回答先: デジタル・ディレイからサンプラーへ:VR社会の布石 投稿者 HAARP 日時 2004 年 6 月 06 日 05:45:09)
HAARPさん、こんにちは。
>楽器の演奏ミスは修正され、歌手の音程も人工的に修正されるように
>なったことから、出来上がった作品は見かけ上完璧なものになった。
>しかし、これはモザイクのように継ぎ接ぎされた結果であり所謂一発録り
>で録音されたものとは似て非なるものとなった。またサンプルされる容量
>も増えたことから、アンサンブル自体の一部をメモリーに取り込んで楽曲の
>一部とする、ループの手法も取り込まれたが、これが概念としては新しい
>ものではなく、テープなどによるミニマル・ミュージックでは50年代から
>試みられたものがデジタル技術の発達によって民生化したものに過ぎない。
僕はパソコンの扱いにも不自由している機械音痴です。アナログもおぼつか
ないのですが・・・。
機械=エレクトロニカの心性を聞き分ける音楽的な感性があるかと思ってはいます。
観念的なものに対しては、「実存の軽さに由来するその脆弱性に危険」があると
理解しているつもりでした。それはここに来て、また露呈したと思っています。
雑文に反映されていないのは、僕の文章力の無さと知性の欠陥そのものにしか
すぎません。
これまで書いたロックの(魂)とエレクトロニカの(無機質な心性)を結ぶ時差の
ノイズに関しては、さきほど書いた「空白の時間 ゴスペル〜」をお読みくだされ
ばと思います。
僕は機械万能主義を唱えるつもりは毛頭ありません。むしろ、ライブ感を感じさせる
ものに惹かれています。そのことは今まで重ねて書いたつもりですが、引用部分が
多すぎたため僕の言葉が足りなかったと反省しております。
>このようなデータとしての音楽の世界では、人類の文化史上最も早く、最も
>広範囲に生命的なものと機械的なものの混合が起こっている。これを
>音楽として毎日聴く莫大な数の人間が織りなす集合意識の様相は、2000
>年前のものとは全く異なるものと言えるだろう。
>これは全て、最初の誰かが時間を操作するという霊感に突き動かされたと
>いうことによっている。
>そして、その最初の応用は真実を隠蔽するという動機の下のものであった
>かもしれないのだ
重なりますが、機械的(エレクロニカ)な未来についても、僕自身の実存の不確かさ
が投影されています。
魂(ソウル)に身体がついていかない。
ライブ感にあこがれつつも、あくまで個(ヘッドフォンミュージック)でありたい
ということも事実です。同化することは個を見失う心因をも生む危険性もあるの
ではないか?と感じているからです。
その危機感は精神的な実存なのか?自然的な実存なのか?それらも理解できないで
います。
個の秩序のあるアナーキズムなのかファシズムになりえるものなのかについても
考えています。あっしらさんの自己愛説からアナーキズムの流れを想像していますが
なにもかも確固たる実像を未だ把握していないのが現状です。
「シリーズ最終章」は、一方へ同位化する危険性よりも、多様性における混沌の中に
拮抗するバランスがあるという楽観的な雑文です。過去の欺瞞的ではあるものの
あやふやなことでバランスを保とうとする日本的と言われる情緒が僕の中にも
あるということです。
絶対真理を考える上での虚無があった感じられたとしたら、それは僕の欠点です。
それほど確固たる精神的実存に達していません。中心を認知しつつも外殻は「あやふや」なままです。
個であることと、核の位置と外殻の強度が、どうのような作用を及ぼすのか自覚
できないでいます。
サンプリング、コピーを重ねていった先の欺瞞、集合意識の暴走はなによりも恐れて
います。
僕の言語的限界におけるノイズは、またご指摘になっていただき、ご確認いただければ
と思います。魂(ソウル)の在り処だけ一連の投稿の責任として示し、終わりにしたい
と思います。
このまま寝ないで出かけるわけにいかないので、ちょっとリアルに仮眠します。
さきほど書いた「柳沢君のくだり」もレアルマドリッドじゃないけど、リアルな
サッカーの柳沢君です。
ジダンのパスはすごかった。今頃になって気づいたパスもあります。
たいへん失礼しました。
デジャヴュの言葉に整合性を認識しました。
これでも急いで書いたのですが、HAARPさんへのレスがこれでいいのかわかり
ません。もし疑問点がありましたら、レスをいただければと思います。