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(回答先: 【西武と堤義明の 投稿者 ヒート 日時 2004 年 10 月 06 日 14:15:36)
シリーズ西武
西武と堤義明の悪業を暴く?
"宮様"土地収奪の手練手管
「西武鉄道」のある役員は「義明さんは太陽で、あとはみんな石コロだよ」と言った。
お茶を運んできた女性秘書は、床にひざまずいて差し出す。
西武が開発した"鎌倉霊園"には、毎年元旦にはグループ幹部500人が、
先代の墓前に手を合わせる。
そして「感謝奉仕」の社是を引き継ぐと称して西武グループの「奉仕当番」だ。
これは西武グループの誰かが、毎日2人か3人で墓地の横にある休憩所に泊り込む。
各自手弁当でこの墓地に出勤して清掃する。
これは狂信的な宗教団体のようなもので、
義明のこうした前近代的な君主制は何によって培われたのだろう。
'92年に、"持株会社"といわれる「コクド」が、
名門の「川奈ホテル」の経営を引き受けた。
周知のように「川奈ホテル」には"富士コース"と"大島コース"のゴルフコースがあり、
毎年フジサンケイクラシックが開催される。
一泊してワンラウンドまわると1人7万〜9万円。
凋落傾向にある義明の「コクド」が、なぜ「川奈ホテル」に手を出したのかといえば、
「先代康次郎そっくり」の義明は"宮家"とか"華族""名門"に異常な執着心を見せる。
旧財閥の岩崎小弥太(三菱財閥)の持っていた伊豆長岡の別邸を先代康次郎は、
調査もしないでいい値で買い取った。(『西武大国』長島忠三郎著)
また、北白川家の約4万平米の高輪の土地は衆議院議長に就任した2ヵ月後に
"西武のもの"(所有権登記は26年後)にしている。
そしてここには「新高輪プリンスホテル」を建てた。
戦後の皇室離脱によって民間人になった"宮家"は、税金で持ちこたえられずに、
やむなく"物納"していた。
国は、この土地の一角を衆議院議長公邸として使用していたが、
先代康次郎が衆議院議長に就任するや、北白川家の執事を抱き込み
「高輪に家を建てて戻りたいから、物納した土地を返してもらいたい」と
衆議院議長あてに返還を訴えさせた。
それを受理する側だった康次郎は、衆議院議長の立場を利用して処理させた。
明治天皇は「北白川の宮」、「武田の宮」、「東久邇の宮」、「朝香の宮」
のそれぞれの皇女に約4万坪の土地を持参金として4つに分けて下賜されたものが、
目黒の迎賓館、品川のパシフィックホテル、赤坂のプリンスホテル、
高輪のプリンスホテルなどの土地で、「東久邇の宮」のパシフィックホテルの土地は、
故河野一郎と故大野伴睦に邪魔されて目的を達することができなかった。
http://www.uwasanoshiokinin.com/seibu2.html