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http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/00/ikw/20040915/lcl_____ikw_____001.shtml
色あせぬ『反戦川柳』鶴彬の業績たたえるかほくで集い
参加者は鶴彬をしのびながら碑に献花した=かほく市で
平和と真実の大切さを訴え続けたかほく市出身の反戦川柳作家・鶴彬(つる・あきら)の業績を紹介する「鶴彬をたたえる集い」が、同市高松の鶴彬の碑が建つ歴史公園で開かれ、参加者たちはあらためて平和の尊さをかみしめた。 (浅田政三)
集いには県内外から五十人が出席。「枯れ芝よ団結をして春を待て」と鶴彬の川柳が彫り込まれた碑に世話人代表の坂本育子さんが「常に民衆の側にたった反戦句を発表、平和と自由を求め続けた不屈の精神を受け継ぎ、世界の人々と力を合わせ、平和の輪を広げたい」と誓った。
本年度の鶴彬川柳会で大賞を受賞した表洋子さん(小松市)の句「過労死は視野になかった棒グラフ」や優秀賞など三句を献句、参列者が献花した。この後、隣にある南町公民館で郷土史家・杉本晴介さん(かほく市)が「鶴彬を生んだ高松町」と題して講演した。
鶴彬(本名・喜多一二)は、一九〇九(明治四十二)年一月一日に旧高松町高松の農家に生まれた。小学校は級長を続ける秀才だったが、貧しさから進学をあきらめ、町で文学グループを組織して川柳を始めた。一九二〇(大正九)年に金沢歩兵第七連隊へ入営するが、反戦的な行動から監禁された。その後、上京して当時、社会批判の強い川柳を作る井上剣花坊の「川柳人」に加わり、反戦川柳を発表したが、病気のため二十九歳の若さで他界した。
参照:ストレート −蟻食いを噛み殺したまま死んだ蟻・鶴彬《つる あきら》−
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kazaya/turu-akira.htm
鶴彬あるいは俳の精神のこと(青年のための俳句学校G)
http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/tsuruakira.htm
涸れた乳房から飢饉を吸うてゐる
凶作の村から村へ娘買ひ
みな肺で死ぬる女工の募集札
修身にない孝行で淫売婦
蟻食ひの糞殺された蟻ばかり
骨壷と売れない貞操を抱へ淫売どりのくるふ歌
手と足をもいだ丸太にしてかへし
万歳と挙げた手を大陸に置いてきた
待合で徹夜議会で眠るなり
半島の生まれでつぶし値の生き埋めとなる