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★ 吉野・川上村の丹生川上神社【注】の旧上社は、2002年、大滝ダムの湖底に沈みまし。以下は、10数年も吉野の自然とそこに住む人々に係わってきた、一人のミュージシャンが送る、聖地へのレクイエムです。
【注】川上村の丹生川上神社は、「人声の聞こえざる深山に吾が宮柱を立てて敬祀せば天下の為に甘雨を降らし霖雨を止めむ」として、天武天皇の白鳳四年(六七五)に社殿を建立。主祭神は高おかみ(山上の龍神)、配神は大山祇神と大雷神。
奈良〜室町時代にかけては、祈雨に黒馬、祈晴に白馬を幣帛に添えて献ずることを恒例としていたという。平安中期以降は最高社格「二十二社」の一つに数えられていたが、応仁の乱以降廃れ、明治に復興した。
後醍醐天皇:吉野山にて御製「この里は丹生の川上ほど近し 祈らば晴れよ五月雨の空」
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かつて丹生川上神社上社があったこの聖地を水底に沈めることになるダムは大滝ダムといって、聖地から数キロ下流に建設されている。
1960年に予備調査が開始され、実際に建設が始まったのは1965年。それから37年を経て、大滝ダムはほぼ完成した。そしてこの秋、耐水試験のためにいよいよ上流からの水がここで堰き止められる。現在はまだ聖地へ降りてゆくこともできるが、試験の始まる秋手前にはきっと立ち入り禁止となるだろう。
1万年続いたその聖地が、いま、終焉するのである。
かつてそこにあった丹生川上神社が、ダムのために移転したのは僕がファーストソロCD『うつほ』をリリースした頃だったから、今から数年前のことだ。現在の社地は、旧神社より数十メートルほど標高を上がったところになり、社殿も建て替えられた。そして旧社殿は解体され、奈良盆地にある飛鳥坐神社の社殿として再生された。
旧社殿が移築されてほどなく、跡地の遺跡発掘調査が橿原考古学研究所によって始められた。丹生川上神社上社跡地という呼称も、この時点で「宮の平遺跡」という名称に変わった。
遺跡発掘は、数年にわたって続けられた。江戸時代の遺構、中世の遺構、平安期の遺構、と時代を遡りながら発掘は続き、やがて縄文時代にまで辿り着いた。その結果 、もっとも早く人の痕跡が残されている時期は縄文早期、つまり今から1万年前だということがわかった。
その頃から、人々はこの地で暮らしていたのである。とはいっても、彼らは定住者ではなく、季節によって巡り歩いていたらしい。だからここでは、夏場など狩猟ができる時期にだけ暮らしていたわけである。いわば彼らのキャンプサイトだったのだ。だが、それが縄文時代中期、つまり今から4千年〜5千年前には単なるキャンプサイトから、もっと特別 な場所として変貌を遂げることになる。
縄文中期、ここに直径30メートルの巨大なストーンサークルが出現したのである。
ストーンサークル内には、男根状の立石も発見された。こうしたストーンサークルは東日本には見られるものの、西日本では初めての発見だったために、新聞などでも大きく取り上げられた。
あれは一昨年のことだったろうか。映画『地球交響曲』の監督である龍村仁さんと川上村のホテルのロビーで会った時、彼は僕にその新聞のコピーを見せてくれた。
「な? やっぱりそうだろ? 凄いんだよ、あそこはさ」
とでも言わんとしているような笑顔を龍村さんは浮かべながら、新聞に掲載されたストーンサークルの列石を指差した。龍村さんは、もう何年も前から吉野に深い関わりを持っており、じっと息をひそめるように丹生川上神社の趨勢を見守ってきたのである。僕自身もすでに10年程にもなる吉野との関わりを通 じて、龍村さんの言わんとしていることは言葉などなくても、よくわかる気がした。
ともあれ、ストーンサークルが意味する事態は、ただ一つである。
そこが、聖地として顕現したのだ。
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しかし、聖地として祭祀されていたのは、もっと遥か昔からだったような気が僕はする。これは僕の勝手な想いだが、縄文時代以前の旧石器時代から祭祀はされていたのではないかと思う。
ただ、縄文中期に祭祀の形態が変化を遂げただけなのではないだろうか。
ストーンサークルは、先述のとおり東日本で見られるもので、実際、僕の暮らす八ヶ岳にも金生遺跡という夥しいストーンサークルを伴った祭祀遺跡が残っている。これもやはり縄文中期の遺跡だが、この頃、八ヶ岳周辺は縄文文化の巨大なセンターであった。人口も多く、交易も盛んだった。そして僕が思い描くのは、例えばここ、八ヶ岳の人々の一部が西へ移動し、聖地をそこに見い出した、ということだ。そこにもとから存在した聖地を、彼らなりにアレンジし、再構成したのではないか、ということだ。
いずれにしても、ストーンサークルが出現したことは、そこが遥か昔から聖地であったことを私たちに向かって、確実に宣言するものであった。
これは重要なことだ。なにも丹生川上神社上社に限った話ではない。私たちの暮らす街にポツンとある神社でも構わない。普段は意識すらしないそんな目立たないものが持つ来歴は、時に軽く数千年を越え、1万年にも達する深くて巨大な人類の記憶の根を持つ、ということなのである。永々とした人類の営み。聖地として数千年ものあいだ、人々に尊まれ、願いを受け入れ、原宗教的な神との交感、そして交歓を果 たしてきたこの上なく重要な土地だということなのである。
そして、丹生川上神社跡地も、やはりそんな重要な土地なのだ。
前回のNaaga`s Voiceでも書いたが、その聖地は私たちの魂の旅にとっての船なのである。そこに立ち、僕は1万年前のシャーマンの魂の足跡を探すのだ。彼らの魂の航跡を、辿ろうとするのだ。その航海において、彼らの魂は何を見つけ、どこへ辿り着いたのかを、僕は感じようとするのだ。
だが、この聖地はいま、失われる。おそらく少なくとも数百年は、水底に消える。いま。
本当に、いま。
1万年の聖地とその記憶が、わずか37年というダム建設によって、一切合財なくなってしまうのだ。
私たちの時代というのは、一体何なのだろうか。まるで人類の遺産と記憶のすべてを、寄ってたかって叩き潰そうと躍起になっているようだ。自らの記憶と来歴を、自らの手によって殺そうとしているようだ。
そう、これではまるで、自らの種の終焉を自らが用意しているようではないか。
ひとつの聖地の終焉は、たったひとつのわずかなものに過ぎない。ささやかなものだ。だが、このささやかなものの背景には、人という種の一体どれほど膨大な営みと記憶があることか。そして、このささやかなものを潰す人の営みには、一体どれほど根深い現代社会システムのネガがあることか。
私たちは、終焉の時代に生きているのだ。記憶の終焉の時代に。
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大滝ダムに限らず、日本のダム建設事業案は高度経済成長の黎明期に提出されている。「日本列島改造論」を持ち出すまでもなく、高度経済成長は土地開発やインフラ事業などの公共事業を基礎として達成されてきた。そして高度経済成長がとっくに終わった現在でも、公共事業は経済振興の中心的存在であり続けていて、建設・土木関係に落とされる公共事業費は、全公共事業費の80%程度を占めている。建設族と呼ばれる保守の族議員の力が強力なのは、この公共事業費に由来している。
だが、このような建設・土木関係の公共事業による景気対策には、じつは過去にモデルがある。それは空前の資本主義世界同時恐慌の時代、1930年代にアメリカが行なった「ニューディール政策」であった。この時、アメリカ政府は公共事業による雇用を一気に増やして、失業者救済策としたのである。そして、その時アメリカが行なった公共事業が、文字どおりダム建設だったのだ。また、旧ソ連でも当時、相次ぐ「5ケ年計画」によってドニエプルやドンの巨大水力発電所を建設していった。
ダムは通常、洪水対策・発電・流量確保・水利などの目的をもって建設されると云われるが、しかし、ダム建設そのものの当初の目的が景気対策であったことは、重要だ。つまり、建設という行為そのものによって促される経済循環のほうにこそ、ダムの主眼がある、ということのなのである。
だから、ぜひ、聞いてほしい。
私たちの聖地を殺したのは、ダムではない。経済システムなのだ。
ヨーロッパで資本主義が用意されたその時から、1930年代の世界恐慌による経済システムの再編を経て、私たちは自らの記憶を終焉させようとしているのだ。
そしていま、事態はさらにスピードを強めている。アメリカの標榜するグローバリゼーションは、世界の富がアメリカや日本など先進国のごく一部の人間にさらに集中するようなシステムであり、かたや、後進国の人々をさらに劣悪な飢餓や荒廃にさらすように仕組まれたものである。人々の聖地も、森も、水源も、今後さらに巨大な先進国資本によって潰され、あるいはダムになり、あるいは砂漠になってしまうだろう。
人類の記憶が、不平等な経済のために、抹殺されるのだ。かつて、ネイティブアメリカンの人々が虐殺され、聖地を奪われたと同じように。グローバリゼーションという美名を持つシステムに。近い将来。
そう、ほんの近い将来。
だからもう一度だけ、耳を傾けてほしい。
私たちの聖地を殺したのは、不平等な経済システムなのだ。
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私たちは、白人たちに土地を奪われ、虐殺されたネイティブアメリカンの言葉を思い出す必要がある。白人たちは土地に不当な値段を付け、ネイティブアメリカンの聖地を収奪し、水源を奪った。そして、これがホワイト・アメリカ誕生のまず最初の足跡なのである。虐殺と、収奪。
「白人たちがわたしたちにすることには、一定のパターンがある。
まず初めに彼らは、わたしたちが必要としない贈り物を持ってやって来る。それから彼らは、売ろうにも、もともとわたしたちの土地ではない土地を買いたいと申し出る。
土地はそもそも誰のものでもない。それはただ、感謝して、優しく使ってもらうためにここに置かれているだけなのだ。土地はそれ自身に属しているわけで、その点、空の月や星と同じことだ。
しかし白人にとっては、こんな考えは気違いじみている。彼らのために、すべてのものは使いきられなければならない。それでやっと、そのものは値打ちがあるのだ。道理で彼らが、わたしたちの家を奪い、わたしたちを滅ぼすためには、どんなことでもするわけだ。」 (『今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド著)
私たちは、この文中の「白人」という言葉を自分自身に置き換えるべきだ。私たち日本の経済はアジアの各地でこれと同じことをやっているからである。丹生川上神社のある吉野だけではないのだ。全地球規模で、私たちは人々の聖地を収奪し続けているのである。