投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 6 月 26 日 20:37:24:SoCnfA7pPD5s2
(回答先: 聖域のかたち【Naaga's Voice】『アマテラス』の漫画家:10数年も丹生川上神社とスピリチュアルに繋がっている。 投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 6 月 26 日 20:29:28)
[引用: 水底の神へ〜鎮魂祭を終えて 2002年年8月30日
2002年8月25日、吉野・川上村にある丹生川上神社上社の旧社地で、鎮魂祭が行なわれた。
それは、この秋を最後に、ダムの水底に沈む1万年の聖地を見送る祭だった。多くの方々が遠方からいらしてくださった。多くの方々が、各地の聖地の水を持ってきてくださった。それらの水が、旧社地に立てられたヒモロギのまわりに集められ、祝福され、この1万年の聖地の上に注がれた。無数のろうそくの灯火の中で、人々は聖地をゆっくりと歩きながら、静かに水を大地へと注いでいった。
それは、本当に美しい光景だった。
そして、吉野と関わるようになってからすでに10年を経た僕にとって、それは特別 な光景でもあった。
かつてはそこに社殿が建っていたのだ。
巨大な樹が、まるで神そのもののようにそびえていたのだ。
それが数年前の嵐の夜、遷座した。やがて社殿は解体され、遺跡発掘の調査が始まった。地面 は掘り起こされ、抉られ、そこに縄文中期のストーンサークルが見いだされた。そうしてやがて調査も終わり、そこは乱雑に穴を穿たれたまま、打ち捨てられた。
そう、文字通り、打ち捨てられたのだった。
放っておいてもどうせダムの水底に沈んでしまう土地を、一体誰がきれいにしようというのか。その聖地は、死んだも同然だった。やがて聖地のすべてを雑草が覆いはじめた。道から聖地へ続いていたはずの参道も雑草に覆われ、閉ざされた。
そして、誰もその聖地を顧みることはなくなった。
かつて、威風堂々とそびえていた樹は切り倒され、そこに残った切り株は、数年を経てまるで鯨の白骨のような色合いを帯びた。その肌触りすら、僕にはまるで白骨のように感じられた。これはもはや、僕たちが知っている樹ではない、と僕は思った。樹よりももっと生々しいもの。ある巨大なものの死の姿。
穴だらけになって捨てられ、雑草が生い茂って忘却されたその場所を横切り、僕はよくその切り株の上に腰かけたのだった。
すると、僕は決まってやり場のない悲しみに胸を塞がれた。
その悲しみを、僕はどうして良いのかわからなかった。まるで、悲しさという爪に鷲掴みにされたようで、僕にはそれから逃れようもなかった。僕は目をみはり、その捨てられた聖地を見渡した。川の音を聴き、ダンプカーのエンジンを聴いた。
白骨のような切り株の上で。
もはや、ここへ来て祈る者は誰もいないだろう。
もはや、ここで瞑目する者は誰もいないだろう。
僕はそう思い、だがやっぱりいたたまれずに、ある文章をこのNaaga`s Voiceに書いた。その時点ではまさか鎮魂祭を執り行なうことになるとは夢にも思わなかったが、それを読んでくださった漫画家の美内すずえさんが、惜しみない情熱をかけて鎮魂祭を企画してくださった。そうしていつの間にか多くの方たちが実施に向けて集まってくださり、今回の鎮魂祭となったのだった。
そして、それは僕にはにわかに信じられない光景だったのである。
もはや誰も祈ることはないと思っていた場所で、人々が祈っていたのだ。多くの、多くの人々が。
ただ瞑目する人がいた。何かを神に向かって唱える人がいた。楽器を演奏する人がいた。火を灯す人がいた。かしわ手を打つ人がいた。祈りかたこそ様々だが、彼らすべてがこの聖地に祈りを捧げていたのである。
そして、この荒れ果てた聖地は、鎮魂祭前日の整備によって、雑草をきれいに刈られ、穴を埋められ、かつての参道には美しい階段が作られた。瑞々しい青竹が入口の両脇に立てられ、しめ縄を張られ、まるで鳥居そのもののようになった。僕たちは数十人が集まって、草を刈った。バケツリレーをしながら土を運んだ。まるで、祈るように。
僕はとても嬉しかった。本当に、嬉しかったのだ。
草を刈ってくれることが嬉しかった。穴を埋めてくれることが嬉しかった。竹で鳥居を作ってくれたことが、そして何よりも人が祈ってくれたことが。いや、あるいは僕はただ人がここに来てくれただけでも、きっと喜んだだろう。忘れ去られなければ、ただそれだけで嬉しかったのだ。そしてふと、鎮魂とは、そのことを言うのではないかと思った。忘れ去られないこと。それがきっと鎮魂なのだ、と。 *
鎮魂祭当日は、暑い日となった。
僕は昼間の祭を途中で抜け出し、車に乗って吉野川の上流へ行った。旧社地からわずか1キロくらい遡ったところで僕は車を停め、川へ降りていった。
そこは深い淵だった。水は深い緑色をしていて、流れは緩やかだった。
僕は着ていたものすべてを脱いで裸になった。岩を伝い、水に入った。そして、潜った。水はそれほど冷たくもなく、心地よかった。潜りながら、息の続く限り、下流へ流れていった。
足や腹や顔を、水が撫でてゆく。僕は水底ぎりぎりを縫うようにして泳ぎながら、全身を舐めてゆくその水が、僕を慰めてくれているようだと思った。その水が、愛情そのもののようだと思った。そして僕はやがて息を切らし、水面 に顔を出した。そしてふたたび、潜った。
僕は、水に巻かれていた。水が僕を抱きしめていた。僕の肉体は、僕の肉欲は、僕の魂は、深い水底で静かに慰められていた。そして僕はふと、この水が、ひとつの大きな肉体であるような気がしたのだった。
神のことは、僕にはわからない。丹生川上神社の神の名はタカオカミノカミと云うが、僕にはその名に一体どれほどの意味があるのか、よくわからない。いや、そもそも神が名を持つ、というそのこと自体すら僕には理解ができない。むしろ僕にとっての神とは、名付け得ぬ 何者かだった。
そう、名付け得ぬ何者か。言葉の彼岸にあるもの。そして、形すら持たないもの。それが僕にとっての神のようなものであったはずなのだが、そうして水に抱きしめられて潜っていて、ふと、この水が神と云われるものの肉体であるような気がしたのだった。
それは女神のように柔らかく、美しかった。
それが僕を抱きとめ、慰撫し、巻いていた。水底で息を詰め、下流に向かって潜ったまま泳ぎながら、僕は満ち足りて、幸福だった。水が、神の姿をなして、僕を取り巻いているような気がした。
ぼくの前に、美がある
ぼくの後ろに、美がある
美が、上を舞う
美が、下を舞う
ぼくはそれに、かこまれている
ぼくはそれに、ひたされている
ふと、ネイティブ・アメリカンのナヴァホ族のそんな詩を思い出した。全的な至福感に包まれたこの詩の「美」は、おそらく僕が水底で感じた女神の肉体のようなものと、とてもよく似た何者かであるような気がした。
僕はいつしか感謝していた。水に。川に。そして丹生川上の神に。
水をくぐりながら。
そして鎮魂祭は、無事に終わった。
発起人となってあらゆる努力を惜しまなかった方々、鎮魂祭の主旨に賛同し、情熱を傾けて祭の運営をしてくださった方々、そして全国各地から祭に参加してくださった方々、様々な聖地の水を持ち寄ってくださった方々、それらの人々すべてに、大きな、大きな、感謝を捧げたいと思う。
どうもありがとう。本当に、どうもありがとう。
吉野の山々も、吉野の川も、精霊も、そして丹生川上の神も、きっと喜んでいたに違いないと思う。そして、できることならば、いつかまた吉野の山々や川や神に会いに出かけてくださることを願わずにはいられない。叶うことならば、吉野の神のことを、ダムに沈む神のことを、たびたび思い起こしてくださることを願わずにはいられない。
だが、それでも今は、ただただ感謝の気持ちでいっぱいである。
どうもありがとう。
そしていつか、きっとまた皆さんとお会いしましょう。その時を楽しみにしながら、今は、さようなら。
大きな、大きな、感謝を込めて。
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