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(回答先: 愚民党さんへ、こんなアナーキズムはいかがでしょうか? 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 6 月 08 日 23:58:28)
ジャック・どんどんさん。お言葉ありがとうございます。
鶴見俊輔の
「民族主義をとおしてのインターナショナリズムの道がある。」という方向感覚は理解できます。
おれの場合は、「自己がたつ、その基点を掘ることによって、他者が発見してくる普遍価値を生成できる」です。
日本伝統芸能である歌舞伎・能などは
映画監督のエイゼンシュタインのモンタージュ論形成へのイスピレーションを与えました。
民族芸能の核は日本人ではなく、他者(日本語を母国語としない人)に、発見されてまいりました。
江戸の浮世絵の核を方法意識によって発見したのは、ゴッホなど西ヨーロッパの画家でした。
美術家というのは、物資と方法と技術をめぐる理系の思想家でもあります。
またゴッホの農村を描いた絵画を発見したのは日本人です。
印象派を発見したのも日本人です。とにかく現在も人気があるわけです。
世界市場でも日本のアニメーションは北斎漫画以来の核を継承し、
世界各地の子供たちに愛されております。
外務省と文部科学省が好きな「おしん」より、日本のアニメーションは普遍を獲得しております。
「おしん」より商品波及が強度であると思います。
おそらく、日本現代美術が日本アニメーションほど世界市場にあいてにされていないのは
日本伝統美術というか、おのれがたつ基点への掘り下げが弱度であったからであると思います。
韓国の現代美術が世界市場に進出できましたのは
ベトナム戦争で韓国軍がアメリカ軍を支援するため参戦したからであると言われております。
現代美術世界市場の中心地はニューヨークですから。
韓国人とは騎馬民族の末裔ですから
おのれの基点をばねにして、世界市場をめざす、ど根性があります。
朝鮮戦争の悲劇と南北分断をエンターティメントにしていくわけですから。
韓国映画はいまや韓国現代美術のように、世界市場へと波及しております。
60年代・70年代・80年代の韓国思潮の体験は過酷であったわけです。
おのれがたつ基点を掘り下げ、普遍をもとめる強靭な精神のありかたは
やがて、自国語以外の他者が認知する内容へと波及していくわけです。
日本のアニメーション創造を支えてきた人間ほど、過酷な生活をしてきた
人間はおりません。
貧乏生活のなか、ただアニメをつくるのが好きだ、おれにはこれしかない、そのど根性と
執念において、他者世界に浮世絵のごとく認知させたのであると思います。
アニメーターなどは、けっこう思想哲学本を読んでおります。
60年代・70年代・80年代におけるアニメーション現場の人々の問題意識は高度でありました。
おれが鶴見俊輔に出会ったのは60年代後半です。高校生のときでした。
「漫画主義」という評論の書物でした。
鶴見俊輔はまんがである『寄生獣』を、敗戦後における最高の書物として評価しております。
おれは、60年代後半であれば漫画評論、70年代であれば文芸評論、
80年代であれば演劇評論が好きでした。
高校3年の夏休みに読んだ、マルクスの「ドイツ・イデオロギー」的世界も、たしかに
すざましい世界ではありましたが
生涯呪縛されないでよかったと思っております。
マルクスの階級闘争論なんて、ローマ帝国における階級闘争を論じた
マキュアベリの盗用に過ぎませんから・・・・
鶴見俊輔「思想の科学」の人々の仕事である『共同研究 転向』は、
近代日本とその敗戦を、掘り出したと思います。
やはり批評のすごさと位置を、教えられたのは「漫画主義」の鶴見俊輔でした。
鶴見俊輔の自由度は、文部科学省より強度です。
仕事へいく朝のバスで思ったことは
河川工事のあんちゃんも「USA」のロゴが入ったTシャッツ。道路をあるく学生みたいあんちゃんも
「USA」のロゴが入ったTシャッツ。
やはり、日本がフィリピン化していくのは、Tシャッツ・ロゴからでしょう。
まぁ、日本フリーメーソン支部管轄はフィリピンです。
キリスト教の日本カトリックも日本プロテスタントも、上部は
フィリピンであります。世界組織と世界宗教から見下ろすと
日本よりフィリピンが位が高いわけです。
ジャック・どんどんさん。ありがとうございました。
今後ともよろしくです。