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あっしらさん、もしまだ阿修羅を覘いているようでしたらこんにちわ。以前何回か噛み付いた(笑)オニオンです。
以前あっしらさんは【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:まとめ (http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/159.html)の中で
【社会科学(認識)と自然科学(認識)の両方の基礎になるのは、哲学だと思っています。
このサイトでも日本の教育問題が論議されていますが、日本の教育カリキュラムで欠落しているのは、対象を認識するとはどういうことなのかという哲学領域の教育だと思っています。(フランス風の自己目的化した哲学教育が良いとは思っていませんが...)
哲学と概念化思考力(論理学)が基盤化されていれば、各分野の知識(テクニカルターム)を得ることで体系的な認識と合目的的な活動が可能になります。
(知識の集積だけではすぐに限界にぶつかりますし、知識依存ですと別の分野に移ると理解しにくいという知的状況を生み出します)
自身の哲学的立場は、ヒンドゥーで言われる“凡我一如”(アートマンとブラフマンの合一)やエルンスト・マッハの“感覚の哲学”に近いもので、認識(論)=存在(論)というものです。(唯物論や唯心論、主観や客観という対立項は無意味だと考えています)
日本人が抽象思考力を高めれば“鬼に金棒”で、学問世界でも諸外国を凌駕することができると考えています。
具体化思考力である技術と抽象化思考力である科学がバランスのいい両輪になることで日本は発展していくはずです。
哲学のさらに上位にあると思っているのが“目的意識”です。
何のために対象(世界)を認識するのかという問題です。これは、学問の領域にも関わることですが、それ以上に各人の生き様そのものに関わることだと思っています。】
と言われていましたが、これはどういうことなんでしょうか?もし宜しければあっしらさんの哲学、技術、科学観、またこれらの関連性などを教えてください。お願いします。
(以前ヒトラー問題についてまとめた形でアップすると僕の方から宣言したのに、まだ出来てなくてすみません。少し(かなり?)遅れるとは思いますが必ず出しますので、そのときお暇があればまたお付き合いください。)