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(回答先: 抽象論それはごまかしでしかありえません 投稿者 縄文ビト 日時 2004 年 6 月 05 日 17:22:34)
縄文ビトさん、こんにちは。
あなたは「私も哲学的な人間です」と書かれていますが、それは勝手な思い込みでしかないようですね。
オニオンさんにぶつけられた問いは、「宮台真司・仲正昌樹トークセッション〜「共同体」と「自己決定」〜発言録」( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/111.html )に基づくものでしょうが、「抽象論それはごまかしでしかありえません」としたり顔で書く前に、「ローティは「誰が『人間』か問題」と言っている」と出典が明示されているのですからそれを調べるか、引用した宮台氏に具体的な論拠や意味性を確認するかされるのが、哲学的人間と自称される方のまともな対応だと思います。
それをしないまま、抽象論や“ごまかし”という表現や「おそらく書いた人も理解していないと思います」という見方を表明しているあなたには知的誠実性を疑わざるを得ません。
「しかしこの文章でははっきりと理解することが出来ません。具体的に書いてくれるように要求すべきです」はひとにどうこう言うような筋合いではなく、あなた自身が、調べるか確認しなければならないことです。
勝手な推測ですが、なぜそういう問いが発せられたかの経緯も確認しないまま、「誰が『人間』か?」という問いだけがあなたの頭のなかで一人歩きして、その意味性や根拠があなたにとって明瞭でない(ピンとこない)ことから、そんなもんは「抽象論」や“ごまかし”という印象になってしまっているのではないですか?
あなたの「『人が人を使って利潤を得てもいいという権利、人はそれを誰に貰ったのか』この言葉は人間の歴史を解きほぐすキーワードだと考えています」や「私が出しました回答としては最初それ(他社の労働を私有化する行為)を考え付いた人間『神を利用した』ということになりますが。つまり人が人を使って利潤を得てもいいという権利(他社の労働の私有化)』彼はその権利を『神』から貰ったのだと、神を利用してきたのです」という言説に、抽象論や“ごまかし”もしくは意味性の希薄さを感じる人もいるかもしれません。(「Re: マルクスの間違いは私有財産の否定だった U -間違いがありましたので訂正します マドンナさん・おっさんさんへ」 http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/550.html)
私は、あなたの問いも、「誰が『人間』か?」という問いも、意味があるものだとは思っています。