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両親被曝の作家、母の「心の傷伝えたい」 臨界事故5年
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http://www.asahi.com/national/update/0929/019.html
2人が亡くなり600人以上が被曝(ひばく)した茨城県東海村・核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)の臨界事故から、30日で5年。同県日立市に住むノンフィクション作家大泉実成さん(42)は同日夕、東京・渋谷の渋谷勤労福祉会館での集会で、両親ら被曝した住民の被害について講演する。
大泉さんは「エホバの証人」信者の輸血拒否事件をめぐるルポ「説得」で89年、講談社ノンフィクション賞を受賞するなど、社会の病理をえぐる執筆活動を続けてきた。
両親は、事故現場から130メートルのところで経営していた自動車部品工場で被曝した。
事故後、母恵子さん(65)は心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。父昭一さん(76)も皮膚病が悪化し、両親は工場を閉めた。昭一さんは「臨界事故被害者の会」約100人の代表として、00年からJCOと健康被害に対する補償交渉に臨んだが、02年7月に交渉は決裂。同年9月、JCOや親会社を相手取り、健康被害への補償を求め民事訴訟を起こしたのは、大泉さんの両親だけだった。
大泉さんは「被害者の会」事務局役として運動を支えつつ、両親の被害と政府、企業の対応を記録したルポの執筆に取り組んだ。2年をかけ「被曝 JCO臨界事故に遭遇したある家族の物語」という題でルポを書き、校正刷りまで出た。
だが母は「JCO」と聞くだけで動悸(どうき)が激しくなり、事故の話をほとんど聞き出せなかった。大泉さんは出版を直前で中断した。
今年春、母は語りだした。臨界事故直後、母の脳裏には、敗戦によって旧満州(中国東北地方)から命からがら引き揚げた幼少時の思い出と、小学校で見た広島の原爆記録映画の映像が突然よみがえったのだという。
大泉さんはようやく母の「心の傷」に触れるきっかけを得た気がした。
いずれ執筆を再開するが、臨界事故が両親に与えた「傷」を描ききるには、両親の生活史を戦時中までさかのぼらねばならない。大泉さんはそう感じている。 (09/29 14:58)
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