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■ 銀行の利潤(粗利益)の源泉
商業の粗利益は、産業や農業などが生み出した粗利益の分配であると説明した。
(『「産業資本主義」の終焉:商業の利潤(粗利益)とは何か?:「供給→需要原理」を理解するために』( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/762.html ))
その続きとして、自由主義経済を称揚している政府が、その“理念”に反して国策と国費を動員して保護し救済している銀行の利潤が何に由来するかを考えてみたい。
銀行の粗利益の基本も、商業の粗利益と同じく、産業や農業などの粗利益(フロー所得)の分配である。それに加えるとしたら、住宅ローンなど個人向け貸し出しを通じての家計フロー所得からの移転である。
銀行が保有国債から受け取る利息も、原資は究極的には税金だから、経済主体や家計のフロー所得に依存している。(クレジットカード事業の収益も商業やサービス業といった経済主体の粗利益の配分である)
銀行の粗利益は投機行為に貸し出しをすることでも得られるが、それがどのような結末になるかは「バブル崩壊」を思い起こすだけで十分だろう。
現在の日本政府は、銀行の利益がそのような性格のものでありながら、銀行が抱えている財務問題を解決するために、貸し出し金利の引き上げなどを通じて業務粗利益を拡大するよう銀行経営者に発破をかけている。
要するに、政府は、「デフレ不況」を解消しないまま、銀行に非銀行経済主体や家計からフロー所得を吸い上げろと叫んでいるのである。(粗利益の増加ではなく、銀行に勤務する高額所得者の給与削減を通じての利益増加なら異存はない)
政府は、「銀行制度は経済の血液循環を担う公共システム」を名目として、超低金利政策・公的資金投入・不良債権の高額買い上げなど国民の負担に基づく「銀行優遇策」を実施してきたが、その上に、恥知らずにも非銀行経済主体のフロー所得をさらに吸い上げろと言っているのである。
仮に、そうやって銀行業の利益が増加したとしても、デフレ下にある日本経済で前向きな固定資本形成への貸し出しが増加することはなく、ただ銀行の財務内容が時間をかけて改善されるだけである。
(たとえ、借り入れで固定資本形成を行ったとしても、デフレが続く限り、外需の縮小を主たる要因とする業況悪化で債務不履行に陥る危険性が高い)
別に、「銀行不要論」を唱えているわけではない。現行の経済システムにおいて銀行の金融機能が国民経済で果たす(べき)役割も理解している。
問題は、「デフレ不況」を放置したまま銀行の利益増大を叫ぶ政府の愚=自国経済破壊策である。
銀行の粗利益が他の経済主体からのフロー所得の“移転”でしかないことを理解していれば、現在の経済状況で銀行の粗利益増大を求めるような愚かなことを言わないはずである。
日本経済に悪影響を与えないで銀行が利益を増加させる手法は国際金融活動のみである。
しかし、89年のBIS規制強化策が日本の銀行を狙い撃ちにしたものであったように、日本の銀行が国際金融活動で荒稼ぎをすることは容認されないし、それができるようなネットワークも“智恵”も日本の銀行にはない。
(自由主義経済を本気で信奉している方には恐縮だが、米国経済の命綱である国際金融活動に日本の銀行がしゃしゃり出るようなことが許容されるかどうかを考えればわかるはずである)
この間の日本の銀行は、財務悪化から“ジャパンプレミアム”という割り増し金利が適用され、外資銀行との取り引きではマイナス金利まで呈上しているありさまである。
日本の銀行が海外拠点で営業していても、そのほとんどは同地で事業展開している日本企業向けの金融活動である。逆に、この間の日本を見れば、外資系銀行の日本(法)人向け金融活動のシェアが高まっていることがわかる。
このような実状から、日本の銀行が利益を上げようとするのなら、国内の他の経済主体からの“所得移転”を増加させるしかない。
これは、他の経済主体から見れば、自分たちが稼いだ所得が銀行に吸い上げられることを意味する。
緩やかなインフレであれば借り手も債務の実質負担を軽減できるが、現在のようなデフレであれば、逆に、債務の実質負担は増大していくことになる。
日本政府は、そのような経済状況のなかで銀行に粗利益を増やせと号令をかけているのである。
非銀行経済主体の所得が銀行に吸い上げられれば余裕資金は少なくなるのだから、人件費を中心とした経費は削減に向かい、個人の借り入れ負担も増加する。
そして、銀行は、自己の生き残りに必死だから、増加した利益を財務基盤の改善に投入するだけで貸し出しの原資にはしない。
要するに、現在の日本で銀行の粗利益が増加するということは、その他の可処分所得が減少し、国民経済(GDP)が縮小することを意味する。
すなわち、デフレ・スパイラルをさらに悪化させるだけの愚策である。
この間の日本は、建前は別として、「国債サイクル」の維持と「銀行」の救済を第一義として政策が決定され実行されていると言える。
しかも、それが誤った政策によって推し進められているために、国内専業を中心に企業経営は低迷し、国民生活は困窮と不安の度合いを高めている。
「国債サイクル」の維持と「銀行」の救済は、ともに、(実体)経済活動のフロー所得に負うものだから、それを直接の目標としても達成されないという経済論理の基本さえ理解していない人たちが日本の舵取りを行っているのである。
デフレのまま「国債サイクル」の維持と「銀行」の救済を図ろうとすれば、企業の経済活動を阻害し、それを通じて国民生活に犠牲を強いることになる。
財政や銀行業は、緩やかなインフレ状況のなか企業の経済活動が活性化し、それを通じて国民生活が安定的に豊かになることを通じてのみ危機から脱することができるのである。
断言するが、このような経済論理が理解できない人たちは、国家運営に関わるべきではない。
■ 貸し出しで利益を上げられない銀行経営の実状
最近日銀が03年度の銀行経営に関するレポートを公表した。(「2003年度決算からみた銀行経営の動向」( http://www.boj.or.jp/ronbun/ronbun_f.htm )
そのなかで、銀行の粗利益の中心的柱である貸し出し収益が、大手銀行(12行)でマイナス、地銀(114銀行)でゼロ前後だとまとめられている。
貸し出し残高が390兆円程度で貸し出し粗利益(受け取り利息−支払い利息)は9兆円だから、推定平均貸し出し金利は2.3%超である。(GDPの1.9%が銀行の貸し出し利益に回っていることになる)
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※ 約定平均金利は以下の通り。(実際の利息との落差は元利均等払いによる過剰利息によるものと推定される)
都市銀行 地方銀行 第二地銀 信用金庫
新規 1.095% 1.926% 2.244% 2.579%
既存 1.577% 2.008% 2.449% 2.675%
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貸し出し粗利益の低迷は、利払いが履行されない不良債権の存在を別にすれば、貸し出し残高の減少と預貸率の低下が原因である。
貸し出し残高は、96年3月の536兆5558億円がピークで、現在(04年6月)は386兆8900億円と150兆円も減少している。(78ヶ月連続の貸し出し残高の減少)
机上の空論だが、150兆円から2.3%の利得を得ていれば、貸し出し粗利益は3兆4500億円増加することになる。
預貸率(よたいりつ)の低下とは、預金を貸し出しに回した率の低下のことである。
現在は87%ほどまでに低下しているが、85年以降あるときは100%超になり、96年までほぼ97%程度の預貸率で推移した。8年で預貸率は10%ほど低下した。
預貸率の低下は、運用利回りが悪い国債に預金が回ることから、受け取り利息と支払い利息の差が縮まり資金運用粗利益を減少させる。
そうであっても、銀行には自己資本比率規制があるから、同じ自己資本額であるなら、債権(資産)をリスクがある貸し出しからリスクゼロの国債に転換するしかない。
(1兆円の自己資本の銀行が、リスク資産15兆円を保有していれば自己資本比率は6.6%である。貸し剥がしを3兆円ほど行って国債買い入れに回せば、リスク資産は12兆円になり自己資本比率が8.3%に上昇する)
また、国債であれば貸し出し債権と違って日銀が買い切りで引き取ってくれるから、“取り付け”など信用不安にも迅速に対応できる。
(日銀が当座預金残高を30兆円まで膨らませる政策を採っているのも、信用不安を払拭するためであり、国債を円滑に消化するためのものである)
96年の536兆5558億円という貸し出し残高は、不良債権の多くがそのまま貸し出し債権として計上されていた砂上の楼閣である。だからこそ、97年に大きな金融危機が発生した。
銀行経営の不思議さは、元本の返済は重要ではなく受け取り利息こそが重要というものである。
銀行が、債務返済が不能になった債務者に「利息だけ入れてもらえばいいですから」というのはこの論理があるからである。
銀行は、元本を返済してもらっても、貸したお金が戻ってきただけのことだから一銭の利益も手にしない。
銀行は、預金が全額一斉に払い戻しされることは通常ないから、季節変動がある「預け入れ−払い戻し」のマイナス落差ピークを想定して(12月)、余裕資金を持っていればいい。
(国債を保有していれば、そのときだけ日銀券に変える買い戻し特約付きで日銀に売却すれば済む)
元本を返済してもらっても、新しい貸し出し先がなければ、国債など利回りが悪い運用に振り向けなければならない。
端的には、通常なら払い戻しに使うことがないお金は、「高い貸し出し利息をきちんと支払ってくれる債務者に“永遠”に貸したままにしておく」のが最高の銀行経営なのである。
96年の536兆5558億円という貸し出し残高のなかには、バブル崩壊で為す術を失いうろたえた銀行が、「利息だけ入れてもらえばいいですから」さえできない債務者がかたちだけの利息を支払えるようにするために貸した(追い貸し)ものもあるはずだ。
それでも、その銀行の粗利益は見掛け上増加する。
さすがに追い貸しはしていないだろうが、現在でも、利息だけ入れてもらってしのいでいる貸し出し債権は膨大な額で残っているだろう。
金融庁と銀行のせめぎ合いは、利息だけ入れている債務者に対する債権をどの債権区分にするかというのが中心である。
金融庁も、経済動向をにらみながら破綻させる企業や銀行のシナリオを持っているはずなので、救済するつもりの企業や銀行には甘い査定をしていると推測する。
不良債権は、大手銀行が01年の28兆円から03年に13兆円に減少し、地銀が01年の15兆円から03年に12兆円に減少したとされている。
03年度は、日本政府の対米金融35兆円が効果を発揮し日本の輸出が増加したから、債権区分ランクがダウンする企業は減り上昇した企業さえあるはずである。
「デフレ不況」が続くことを考えたとき、全銀行で25兆円とされる不良債権は、隠されているものも含めて潜在的に2倍の50兆円ほどあると見たほうが妥当だと思っている。(貸し出し債権の13%ほど。潜在的に25兆円、率にして7〜8%になれば不良債権問題は峠を越えたと言える)
※ 「不良債権」という呼称そのものがある種の詐欺である。不良債権問題は、預金(預金者の銀行に対する債権)という債務が履行できない「銀行の過剰債務」問題だからこそ、経済全体に大きな影響を与え、国費を投入してまでなんとか支えようという動きにつながっているのである。私的企業である銀行が、自分のお金(自己資本)をひとに貸して回収不能になったとしてもただ潰れてもらえばいいだけの話である。
金融庁と銀行のせめぎ合いのもう一つのネタは繰延税金資産である。
繰延税金資産は将来還付されるはずの納付税金で自己資本となるものだから、自己資本比率が存続の条件である銀行にとってその算定は死活問題である。
03年度末で、大手銀行は5.5兆円、地銀は1.7兆円の繰延税金資産を計上している。
(繰延税金資産:不良債権引当金は、その多くが繰り入れ時点では損金計上ができず、益金として課税対象になる。その代わり、将来、債務者が破綻したり債権を譲渡したりなどで損失が確定した時点で、その部分に対して納付した法人税が還付される。ただし、その損失を上回る利益(益金)があり、法人税を支払う黒字決算でなければならない。繰延期間の問題もあるが、金融庁と銀行が対立するのは、将来の黒字決算が可能かどうかの判断をめぐるものである)
貸し出し残高が150兆円も減少したのは、不良債権処理(RCCの買い取り:03年度で3兆円や破綻処理)・優良企業の繰り上げ返済・貸し剥がしが一体になって進んだからである。
銀行経営にとって痛いのは、不良債権処理は自業自得だとしても、優良企業の繰り上げ返済(債務圧縮)である。確実に利息が入ってくる貸し出し先から元本が返ってきてしまえば、他の貸し出し先は「信用」が確実に下がるから、貸し出し利率が高いとしても不安がつきまとう。
日本経済にとって痛いのは、債務を履行している企業からの貸し剥がしである。
元本の一括返済を行って耐えられる企業はごくわずかだから(そこから貸し剥がしをすることはまずない)、破綻の道に進むことになる。
過剰債務であっても大企業は政府管理のなかで存続を認められるのに、名も知れない中小企業は、債務を履行していながら、銀行の自己資本比率を高めるための“生け贄”に捧げられるという暴挙が横行したのである。
一つ一つは20、30人規模の中小企業でも、そこが支払う給料や仕入れがGDP的連関を支えているのであり、それが集積すれば大きなGDPマイナス要因になる。
貸し剥がされたお金は、自己資本比率を高めるため、ほとんどが国債の買い入れに使われたはずである。
これが、建前としては自由主義経済を標榜している日本の実状である。
このような銀行の活動状況を通じて日本経済はデフレ・スパイラルにはまり、輸出の増加があればデフレ・スパイラルが緩和されるという変動状況を続けている。
(金融危機が吹き出した97年に消費税率アップを決めた財務省官僚や政府=与党の愚かさがどれほどのものか思い出して欲しい)
銀行がバブル形成とバブル崩壊に大きな責任を負っているとしても、現在の経済状況で銀行に貸し出しを増加しろというのは、不良債権=過剰債務の積み増しになるだけだから酷であろう。
貸し出しを増加しようとしたら、優良企業は債務圧縮に動いているのだから、今は輸出で好調な企業が設備投資をしたいと考えたときの資金需要に応えるか、従業員の給料も滞りがちな企業が存続するための資金需要に応じるしかない。
「デフレ不況」が続く限り、設備投資も輸出の減少とともに過大な負担となり、債務不履行につながるし、存続のために借り入れた企業がまともに甦る可能性は極端に小さい。
そのような経済状況のなかで銀行が拡大している貸し出し先が家計である。
03年度末の個人向け貸し出し比率は29%に達している。(00年度は23%)
個人向け貸し出しは、金額にして110兆円ほどの規模まで拡大している。
住宅ローンが基本だが、「デフレ不況」が続けば、銀行がますます“サラ金”化していくと思われる。
その一方で、預金ゼロの家計が20%を越えたように、家計の資金状況は悪化している。
法人の預金は99年から04年で50兆円ほど増加しているが、個人の預金は、逆に、151兆3千億円から149兆1千億円へと2兆円ほど減少している。
給料の引き下げや失業者の増加(就業者の減少)に対応した預金取り崩しがその要因であろう。
そのような状況にかかわらず、社会保険料の負担増加策を次々と実行に移し、消費税率のアップまでもを射程に入れているのが我が日本政府である。
(来年から実施される売上1千万円超の事業者に対する消費税導入は、“節税”防止の意味もあるが、ギリギリで経営している事業者の可処分所得を減少させるのである種の消費税アップである。トヨタ自動車は、国内で3兆5千億円の売上がありながら、1円も消費税を納付しないどころか、1300億円もの還付金を受け取っている)
昨年度の自殺者は3万4427人に達し、経済苦を原因とする自殺者は9千人近くにまでなったという。
「近代経済システム」である限り経済苦で自殺する人がいなくなるとは思っていないが、誤った政策で経済苦自殺者を増やしている日本政府は、“犯罪者”と指弾されてもしかたがない。
小泉首相が、自殺統計を受けて、「どういう事情か分からないが、あまり悲観的にならないで頑張っていただきたい。(自殺者を)できるだけ少なくする対応は必要だが、なかなか特効薬はない」と応じた報道を読んで愕然とした。
小泉政権は、“特効薬”をまじめに考えるどころか、逆に、次々と自国経済破壊策を採り続けることで経済苦で自殺に向かう人を増やしてきたのである。
自民党と政権の座を争うと見られている民主党は、建前だけの「構造改革」を唱えている小泉政権よりも、「構造改革」を本気で激越にやろうとするだろう。
日本国民は、自国経済破壊者の政治家に囲まれたなかで政治的選択を迫られていると言える。
国民自身があるべき日本と自分を語り、それを政治的に実現しようとする政治家を国会に送り込む政治状況に変えていかなければ、日本全体が「緩慢な自殺」に向かうことになるだろう。
敗戦責任も明確にとらなった系譜を引き継ぎバブルの責任もとっていない連中に、我が身、我が家族、我が日本の今と未来を預けてはならない。