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(回答先: 男性と女性が争っている場合ではありませんね。 投稿者 朧月夜 日時 2004 年 7 月 22 日 18:01:26)
朧月夜様、どうもこんにちは。
最近、ネットワークへの接続状態が悪くて、読むことはできるのですが、投稿ができない状態が一週間も続いておりました(直し方わからず)。
この投稿もうまくいくか保証はありませんが・・・・
あっしら様へのレスも朧月夜さんへのレスも一週間前に作ったのですが、いくら投稿しようとしても、「サーバーが見つかりません」という返事(?)が。
もはや、なんだか時すでに遅し・・・という感じになってしまっているので、投稿する気持ちが次第に失せてしまいました。
これも神の思し召しかもしれないので、どっちにしろ、引っ込み思案になろうと思っていますが、それでも急に消えてしまった言い訳のため、多少は顔をだしてみることにしました。
ここには、伊田広行氏自身の過去のフェミニズム的姿勢に関する反省について、書いておきます。
(朧月夜様への投稿できなかったレスに書いたことです)
(ちなみに、以前投稿したあの男女の表は伊田氏自身の考えというよりは、「一般にこういう見方があるのではないか」という程度のものだと思います。もちろん、男性=子供っぽいと思っている人もいるでしょうから、何を選択するかには彼の価値意識が入り込んでいるとはいえますけど)
伊田先生の反省というのは、これまでの「ジェンダー論」「フェミニズム」の主張は「脅し」の言説だった、というものです。
いまのままの「ジェンダー」に従っていたら、「いいように使われてしまう」、「不利な立場に立たされてしまう」、「支配されてしまう」のだから、そうなりたくなかったらよく考えるように、自分のいうことに従うように、という一段高い立場に立って行われている脅しの態度だったと。偉そうな態度で話していると受け取られかねないところがあったと。
しかし、「脅し」や偉そうな態度では結局のところ人は動かない。また、「脅し」で人を動かそうとするのならば、従来型の「支配」と何も構造は変わらず、同じことの繰り返しになるだけである。
しかし、本当に今までとは違った人間関係を作り出したいというのなら、支配−被支配とか主−従の関係から抜け出したいというのならば、そのような従来から使われてきたような方法論ではなく、別のコミュニケーションの取り方、主張の仕方を見つけ出していかなくてはならないのだろう、という気づきを伊田先生はしていました。
本当いうと、あっしら様のいわゆる「善意の人」に対するアプローチにも、「脅し」の教説的な要素を感じ取ってしまい、そこが、思わずあっしら様に絡んでしまいたくなる一要因だったんですが、それはそれとして。
伊田先生自身の模索が必ずしも成功しているとは思いませんが、彼は「スピリチュアリティ」の追求ということにその活路を見いだしているようです。
いつになるかわかりませんが、それではまた。
追伸→朧月夜様
ネカマというのはもしかしたら私かもしれませんね。
長らくあっしら様に絡んでいたのは私だし・・・・
それにしてもネカマかどうかってどういうところで見分けるんだろう?
「野生のカン」ですかね。
生物学的性は「女」でも、心は「男」ってこともあるからね(その逆も)。うふふ。