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インターネットにおける引用権と著作権について ネットに公開されたサイトは公共財として自由に引用できる
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/840.html
投稿者 TORA 日時 2004 年 7 月 23 日 18:38:09:CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu75.htm

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インターネットにおける引用権と著作権について
ネットに公開されたサイトは公共財として自由に引用できる

2004年7月23日 金曜日

◆論文の書き方 F「引用」は明記する、盗作厳禁 横浜国立大学三番ゼミナール
http://webclub.kcom.ne.jp/mb/imitsui/Mitsui_Seminar/writing.html

「学生のレポ一ト位だから」という気持からか、公然たる盗作がまかり通っていることは悲しむべき事である。ましてや第三者の目にふれうるものに盗作を行えば、下手をすれば著作権法違反の犯罪で、訴えられても文句は言えないのである。


(薯作権を侵害した者は、「三年以下の懲役又は30万円以下の罰金」である。)


 それでは、実際に引用や参照を行う必要のある場合、どうすればよいのか。それは、著作権法第32条、48条にあるように、正当な範囲内で、かつ「出所の明示」をすることである。具体的に言えば、その引用であることを明示し、そしてその出所をはっきり書き記すことである。(それでも、全文ぜんぶ引用とか、書き写しなどというのはダメである。)


 通常そのために、まず本文中で引用した部分を「」内に入れ、わかるようにする、または自分の記述と区別する。そして、それ以外の参照をした場合も含め、そのつど、原出所を何らかの方法で、どこかに明示する事である(その書き方について、詳しくは後で述べる)。


 こうした事は、単に法律問題であるというだけのことではなく、文化の進歩への責任でもあり、さらに読者にも自分にも親切な方法と言うべきである。誰が、どのような事を言っているのか、どんな事を調べているのか、明らかにするとともに、それらが嘘偽りでないことを示し、ひいては再確認もできる手引になるのである。


 あるいはまた、自分の主張の援軍を得るという意味にもなる。社会科学などの研究とその論文作成においては、自然科学とは違い、「実験」などによる検証ができない(だから、自然科学の研究論文においては、実験などの材料や方法等を詳細に明記し、第三者がそれにもとづいて「追試験」を行い、同じ結果が得られるものでないと、客観的な「成果」とは認められないルールである)ので、なおさら、「根拠」「出所」を示すことは欠かせないものである。
 
 この「盗作は避ける」ということについて、依然として誤解されている向きもある。それは、「書き写し」でないにせよ、自分の「論文」であるはずなのに、その重要な論旨や主張、あるいは取り上げた事実や事例、データなどについて、自分自身が直接調べたり、独力で考え出したりしたものではないにもかかわらず、それぞれの典拠・出所が明記されていない、というやり方である。これもやはり「盗作」(盗用)なのである。

論文の終わりに、「参考文献」としてあげてある、その中のものから引いたのだからいいじゃないか、という言いわけは、この場合通用しない。これは言うなれば、「他人の頭脳を無断借用する」、「他人の努力を自分のもののように示す」ということである。これでは詐欺に近い。


 だから、直接「引用する」ものではなくても、他の著作や資料などにもとづく考え、事実検証などがあるのであれば、それは本文中でそのつどはっきりと、「○○氏の主張によれば」、「『○○』の書で取り上げられた事例から引用すると」などと、典拠を明記せねばならない。あるいは少なくとも、その箇所に「注」をつけて、「『○○』書、××ページの事例に拠った」などと、注の中に記さねばならない。


 また、図表などを別に掲載する場合、何かからこれを写してきたものならば、その「出所」を明記する。統計データなどを用いて自分で計算・作図などした場合は、「資料(出所)」として記す。これはすべての図表ごとに必ず書かねばならず、「出所不明」はダメである。


 非常に細かいことのようであるが、こういったことをきちんとクリアしているか、ごまかしや盗用がないか、そして出所を客観的に明らかにし、批判に耐えるものとなっているのか、そういったところでこそ、論文の値うちの半ばが決まるのであり、そうでないものは、いくらきれいに、すっきりと書いてあろうが、値うちはゼロである。

「受験勉強」の弊害で、こういった「厳密さ」抜き、どこかに「正解」がある、それをみんな写してくる、憶えてくることが「勉強」だ、といったでたらめなやり方が、日本の「教育」と社会に蔓延(まんえん)している。それでは世界に通用しない、それどころか、「日本人は盗作で食っている」「日本ではひとのものを平気で自分のものにする」などといった非難を免れない。「知的財産権の尊重」こそ世界のルールであり、創造的な活動と、学問研究の進歩を可能にするものである。


  ◎インターネットの時代になって、一般の文献や雑誌といったものだけではなく、WEB上で提供されている情報を利用する、これに依拠するといったことも多く見られるようになった。「お手軽に切り貼りできる」ということで、出所の怪しいものや、まったく矛盾する、つじつまの合わないといった代物が並んでいることも珍しくないのもその弊害であり、むしろ盗作盗用の危険は非常に高くなっている。
 こうした現状を嘆くだけではしかたがないので、提供されている情報を諸資料などのうちに積極活用する、あるいは容易に手に入りにくい論文や公文書などを居ながらにして閲読利用できるという利点を問題なく生かすという方法に徹しられればさいわいなことと考えるべきだろう。


 その際、新しい引用ルールが必要になっている。まず当然ながら、盗作盗用はいけないことなので、それぞれ出所根拠を明らかにし、引用した文章などは「」内に入れるといったルールがきちんと守られなくてはならない。切り貼りで自分が書いたように見せるなどというのはもちろん犯罪である。ただし「原掲載箇所のページ」といった記載はもはや無理である。

 第二には、原著者や執筆年月日などの記載である。WEB上で提供されている情報ではそういったところがあいまいな場合が少なくない。困ったことであるが、どう調べてみてもわからないものはわからない、という事態もあり得る。判明する場合には当然それを記しておくべきだが、判明しない場合は次善の策として、WEBサイトの設置者送信者名、また自分がこのサイトにアクセスし、資料等を入手した年月日を記すということも認められよう。「なんにもわからない」ユーレイ情報であるよりはましである。

 第三に、いずれの場合でもともかく、出所のWEBサイトのURLは記しておくべきだろう。しかしそれしか書かない、というのは読者に対し不親切を通り越している。「気になれば自分で調べろよ」と言っているに等しいからである。URLとともに、うえのようにその著者名、表題、作成年月日といった情報を記すべきであり、それが無理ならば上記の策ということになる。


 なお、WEB上で提供されているものといっても、大別して二種類ある。ひとつはWEBという機会を利用して広く情報発信するために作られたページや図表などである。これであると、うえのような著者名や執筆作成年月日が不明ないしあいまいとなる場合が多い。また、「誰でもどこからででも自由に情報発信できる」利点が生かされているものの、ガセネタ、嘘、でっち上げ、あるいはそこまでひどくはなくても、根拠も論理もあいまいな単なる思いつき、独断と偏見、匿名で流される無責任なもの、等々も横行している(そういったものも誰でも簡単に作れるのがインターネット時代の怖さでもある)ので、テキストクリティークに慎重であることが求められる。

 これに対し、官公庁、調査研究機関、諸団体、企業、あるいは研究者など個人が、紙媒体などで一般に公刊している公式文書、統計書、報告書、白書、法令、論文などをWEB上からも公開提供している場合がある。特に外国の官公庁や調査機関、諸団体などの発行物、学術論文など日本では入手が容易でないものでも、こうしたルートでいながらにして利用できるのはありがたいことである。そのように出所根拠や形式が明確で、ほかの媒体での刊行がわかるものについては、あえてWEB上で閲読したとしなくとも、刊行物に準ずるものとして引用利用して構わない、つまり原WEBサイトのURLなど記さなくてもよいと言える。pdf形式などであれば、ほかの刊行形態とまったく同じものとして利用可能になる(該当箇所ページなども判明する)。


◆「文は人様(ひとさま)に読んで頂くもの」の精神で

 当然のことなのであるが、文章とは自分だけにあてた日記やメモ、ノートなどでない限り、何らかの事柄を他人に理解して貰うための手段である。そうであるから、他人が読んでわかるもの、正しく内容が伝わるもの、そして不快な感じなど与えないものが前提であるはずである。さまざまな基本ル一ルもそのためにあるのであり、誰しもが守らなければ、世の中のコミュニケーションは混乱の極みとなる。


 それにもかかわらず、基木的ルールを守らない文、守っていてもどうにも文意不明の文、読んでいると放り出したくなるような文が依然としてある。或いはまた、小学生並みの誤字ウソ字があふれているものも見られる。それには力不足ということもあろうが、そればかりではない。基未的な精神がわかっていないのであるか、わかっていても、その努力を怠っているかである。


 どんな天才的作家でも、書いたままの文では必ず誤りや、文のおかしなところは免れない。それを何度も読み返し、推敲(すいこう)を重ねてこそ、ようやくひとに見せられる文にまでなるのである。文そのものを命とする文学者にとって、それが最も苦しく、また大切な作業であることはすぐに想像がつこう。


 つまりその時には、書き手の立場から読者の立場になり、客観的な目で文全体を評価し、あるいは間違い探しに虎視眈々(こしたんたん)としているのである。その「評価」の結果に対し、書き手の方は、自分の文を「読んでいただいた者」として、誤りの指摘や批判を謙虚に受け止め、それに沿って一所懸命手を入れていっているわけである。「まあ分るんじゃないの」などという妥協は許されない。


 こうした読み返しを何度かやれば、必ず文は相当に良くなる。


 くれぐれも、「読んでいただく」精神を忘れてはならない。


(私のコメント)
私の「株式日記と経済展望」のサイトは、おかげさまで最近は1日に3000アクセスぐらいになりました。裏サイトやミラーサイトを含めての数ですが、ダブりを除くと2500アクセスぐらいになります。私のような素人の書いた言論サイトが、これほどのアクセスになるとは思ってもおらず、最近の大手マスコミ記者達のレベルの低下がネットに読者を集める結果になっている。

しかしながら私は素人であり、特におかしな文章や誤字脱字は毎日のようにあり、とてもその点はプロの記者にはかなわない。しかし論文の内容に関しては政治・経済・外交の分野ではプロの評論家よりも上をいっていると自分では自負しています。特にアメリカについての文明批評は自分でも自信があります。ここまで書くとかなり自信過剰ではないかと思われるでしょう。

これだけアクセスがあるにもかかわらず、私の論文に対する批判や抗議のメールはほとんどありません。一月に数件のメールがある程度で、それもお褒めをいただくものばかりだ。かなり過激なことも書いているのですが反応はほとんどありません。だから阿修羅BBSなどに投稿して反応を見ているのですが、あまりレスが付くことはない。内容が難しすぎるからだろうか。

そんな中で7月6日の日記で「韓国ブームの裏側」
http://www.shonan-rockets.com/column/2004/07/06.html
の記事を紹介させていただきましたが、このサイトのオーナーから「これは盗作です」という猛烈な抗議をいただきました。さっそく私は日記からこの部分を削除しましたが、盗作であるとの指摘には納得がいかなかったので、私はちゃんと引用元も明示してリンクも張ってあるし、引用部分の文字も色を変え、段落もスペースも区切っており、私の論文部分は「(私のコメント)」とはっきり区別しています。と返事を書きましたが「盗作だ」といって聞かない。

「株式日記」はニュース記事などをよくコピーしていますが、ニュース記事は1ヶ月ぐらいで消えてしまうからリンクを張っていてもすぐにリンク切れになってしまう。だからニュースを論じていてもニュース記事がリンク切れでは何を論じているのかわからなくなります。だから短いニュースやコラムなどは全文コピーしています。これを「盗作だ」と指摘する意味がよくわからない。本人への事後承諾のメールを送るべきでしたがメールアドレスが見当たらなかったのでメールは送らなかったのですがそれが気にさわったのだろうか。

「「韓国ブームの裏側」と言う論文は韓国人が見ればかなり刺激的なことが書いてある。私に対するメールにも、サイトは後で削除したり改変することがあるから引用コピーはすべきでないという意見ですが、私としては時事問題をそんなに後で書替えたりしたら信用がなくなると反論しましたが、「株式日記」は一度も書替えはしていない。せいぜい二三日前の誤字脱字を書きかえるだけだ。書き替えていたら資料としても意味はなくなってしまう。

「韓国ブームの裏側」を読むと最初に「韓国ネタを外すと上位進出は難しい。」と書いているとおりアクセス数を稼ぐために「韓国ネタ」を書いたようなのだ。つまり嫌韓的なことを書いて人気を煽ろうとしたのかもしれない。だから後日削除するつもりだったからコピーされるとまずいと思ったのだろう。それに対して私はそのような不真面目な言論はすべきでないとメールしました。人気にあやかった言論活動は戒めなければなりません。

横浜大学の「論文の書き方」のサイトで引用について書いてありますが、この程度の引用のルールはわきまえてきたつもりです。全文コピーも自分の意見をわかる形で書くべきと言うことで最初から最後まで引用して自分の意見を書かない論文は間違いと言う意味です。だからニュース記事を全文コピーしてもそれに対する論評を書き加えて引用元を明示すれば「盗作」にはなりません。皆様のご意見をお待ちしています。

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