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(回答先: 日本の取るべき戦略 その3 投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 7 月 07 日 04:29:02)
16.論理的な政治
論理的な政治とは人間の価値観に基づかない論理体系を集団組織の中心に据え、第15章の摂理に従って、生存競争とその集団の価値観を保つための代価とのかねあいを指数化し政策を決める政治の事である。その一例は既に第13章で述べた。通常の政治理論は国内政治から始まり国際関係論に発展するが、摂理は全生物に適用されるのであるから、ここでは論理的な政治体制の下で国際関係はどうなるかという問題から始める。
摂理は物理法則と同様に人間の思惑とか感情に一切関係なく執行される。従って、人間社会の諸問題を解決するのは摂理に基づいた理性であって感情では無い。しかるに、現在の人間社会は問題解決に感情を利用し、商業宣伝を応用して、あたかも問題を解決したかのごとき錯覚を人間に起こさせる手段を用いている。しかし実際には何も解決してはいないのだ。その証拠に人類間の紛争は全く衰えを見せていない。錯覚の呪縛から解放されるには摂理を理解し、理性のみで人間社会問題を考えねばならない。
16−1.21世紀の日本と世界
摂理に従えば21世紀の日本と世界はどの様に成るだろうか、というのがこの節の話題である。私も含めて沢山の人が日本を良くする方法を提案しているが、どんなに正しい忠告でも人間の愚かさや社会の流れを変える事は出来ない。私は運命論者ではないが、色々な人種に組み込まれた遺伝子の違いは人為的に何とか出来るものでは無いから、各人種の運命は昔から大体決っていたと考えている。しかし運命の中で変える事の出来る部分は努力で変えねばならない。
では、世界中の人種が生存競争をしている状態で、どの様な性質をもった人種が最終的に最も優位な地位に立つかと云う事を考えよう。最も優位な地位とは国民が物質的に満たされしかも精神的に安定した社会を持ち、他国人の価値観を用いても、憧れの的となる事である。即ち、国民の生産する富の結果である貯蓄が大きく、社会は安全で、国民幸福指数が高いという事だ。摂理2とその系によれば、「略奪と詐欺と利権を排除すれば、富を生み出すのに最も秀でた人種が最も優位に立つ」という事になる。ここで云う「富」は通貨の量では無い。富とは人間の創造した物体又はサービスで貨幣価値を持つ物である、つまり工芸に最も優れた人種が最終的な勝利者になるということだ。
ここで、「略奪と詐欺と利権を排除する」条件は重要である。前に、アメリカは資源を他国から略奪する為に武力を使うであろうと述べた。又、テロリストが暴力行為を働くのは彼らの集団の価値観が否定され、その上、生存競争にも敗れたからである。これらの暴力行為を阻止するには強い国際組織を作るのも解決法の一つであるが、より根本的には暴力行為に頼らなくても良い生存競争の方法を問題社会に提供するのが正しい対処法である。根本問題を解決せず暴力を暴力で封じ込めようとするのは生存競争回避の手段として最も非生産的で代価が大きい。
中近東諸国から発生したテロリズムの原因は欧米諸国による石油利権闘争であるが、それに宗教という価値観の相違が加わって先鋭化したのである。この問題を根本的に解決するには先ず欧米諸国の石油利権を全部中近東諸国に返還し、同時に先進国は総力を挙げて太陽光エネルギー(風力、海流も含む)に転換する事だ。石化エネルギーに固執し無駄を続けようとするのは、現在利権を持っている少数の大富豪が全ての原因なのである。即ち、これらの大富豪から利権を取り上げない限り紛争は無くならない。
将来の日本も、今金融業に浸透しようとしている外国利権を排除しなければ、中近東諸国で起こっている様なテロリズムが発生するだろう。日本の場合はもっと深刻である。石油は地下に眠っている富だが、日本の場合は勤勉な国民が懸命に働いて得た富である。いくら一所懸命働いてもその富を外国人に略奪されるのでは、穴の空いた容器に水を貯めようとしている様なものだ。怨嗟の声が巷に満ちて、テロリストが外国人と彼らに協力する日本人を片っ端から殺す事態が起こって当然である。
世界中の人々は彼らの石油利権の為に多くの戦争による高い代価を払い続けてきた。利権は略奪や詐欺行為と違って人々に犯罪行為であるとの認識をもたらさないが、摂理に依れば、利権は略奪、詐欺と全く同等の犯罪である。利権問題の根源を絶滅しなければ世界に平和は来ない。この点、いま日本に拡大しつつある外資金融利権は将来の日本の平和を確実に破壊する、と日本人は認識すべきである。独立国たるには如何なる外国利権も存在を許してはならない。
金融業者のやるマネーゲームは生存競争の一つであって、富を創らない集団が富を他から奪うのに使われる。そして、マネーゲームには詐欺は付き物である事は歴史が証明している。富を創る人種はやる必要の無いマネーゲームに参加しなければ、富を奪われる心配も無い。故に、日本にとってはマネーゲームは有害無益の生存競争であり、外資金融会社を徹底的にボイコットし、彼らの獲得した利権を取り上げるのは日本人が将来の平和を守る為になすべき防衛作戦なのである。
今流行の「グローバリゼーション」も近い将来、役に立たぬ効率の悪いアイデアだったと世界中で認識されるだろう。その理由はグローバリゼーションがうまく行くには色々な条件を満たさなければならないからである。企業とは所詮人間の集まりであり、一つの企業が色々の国に展開し事業を広げるに当たって、人種と習慣の違いから来る軋轢を解決せねばならない。即ち、同じ仕事を達成するのに自国でやるより遥かに大きい努力を費さねばならないので効率がどうしても悪くなる。
現在は後進国の給料が先進国より遥かに低いので、悪い効率でも採算が取れるが、給料が同じ位の先進国の間で事業を広げたならば採算は必ず悪くなる。日本の企業が先進国に工場を作るのはそれが最も効率が良いからでなく相手国の政府による政治的圧力で完成品の輸入を制限されるという障害があるからだ。この障害は勿論相手国がその生産部門で生存競争に敗れた為である。今から何十年後世界中の給料が同じ位になり、関税も全て撤廃されたならば、企業は効率の悪いグローバリゼーションをやる理由が無くなる。
世界中が本当に一様な条件になったならば、人種間の能力の差が歴然と出てくるから、その時能力の劣った人種の国々はどうすれば良いのだろうか。貿易障害を建てないのならば、低能力の国々は高能力の国々から援助(ハンディキャップ)を貰うより他ない。低能力国の中には誇りを捨てて実を取るだろうが、誇り高い低能力国は貿易障害を建てる他無い。しかし、貿易障害を建てても低能力国は摂理の作用でその代価を払わされ、競争力の低下という形で貿易障害を立てた国自身が払わねばならない。貿易障害はその国の国民の能力を示す事になるが(障害が高い程能力が低い)対応の仕方で悪循環に陥る。
色々の国民の間での能力の差が明らかに成って来た時、当然妬みと憎しみが表面化して来るであろう。人種間の闘争は大昔から続いており、これは人間に偏見のある限り未来永劫に無くならない。即ち、略奪と詐欺と利権は生産能力の劣る人種が生産的な生存競争を補う為に取る非常手段と考える事ができる。従って、紛争を力で止める事の出来る強力な国際機関の必要性はなくならない。それと同時に後述する国際与点制度(ハンディキャップ)を導入し略奪や詐欺行為に頼らずに生存競争に参加する方法を講じなくてはならない。
結論は、能力差から来る人種間の武力闘争を避けるには、摂理に従って、能力の高い人種から低い人種への援助という代価を払う他無いのである。この場合の代価は高能力の人種が払う事になる。即ち、将来は世界平和の為に日本が世界中の後進国の面倒を一手に引き受けざるを得ない事になる可能性が高い。日本人はその富の生産に優れているが故に世界の指導者とならざるを得ない天命を負っているのだが、前に述べた様に日本哲学の欠如の為にその天命を全うできない状態にあるといえる。この天命を避けて、外国の奴隷になる事によって永遠の紛争に巻き込まれるか、日本哲学を確立して摂理に基づいた指導者として世界に平和をもたらすか、は日本人の選択にかかっている。即ち、これは変える事のできる運命なのである。
16−2.日本国内の摂理
現在の日本の知識人達は、国際競争に打ち勝つには日本の社会を欧米式にしなくてはならない、という直感的な結論を誰も疑わない。しかし、この結論は論理的に正しい、と証明した人は誰も居ない。摂理の観点から見れば人間の感情とか価値観は全く摂理執行の結果に影響は無い。つまりどんなに日本的に事を運ぼうと、摂理に合った事をする限り物事はうまく行く。やってはいけないのは正しい生存競争を回避する行為である。即ち、利権、年功序列、天下り、談合、世襲制、情実などが生存競争を避ける無能者を蔓延らせ、社会がその代価を払う結果となる。
現在の政府歳出で一番大きいのは言うまでもなく社会保障費である。現在のやり方は社会主義に基づき弱い人達を保護し競走に晒さないようにするのが目的である。これは摂理に真っ向から反する事で、その結果北欧の例で見られる様に、重税と家庭崩壊と怠け者蔓延を招いた。最近ではその弊害に気づき社会保障を減らしているが、一度人間に怠け癖をつけると、その世代は生存競争が出来なくなる。これは人間だけでなく、どの動物でも同じである。一度人間に保護された動物は野生に戻しても直ぐに死んでしまう。
国民の最大関心事は将来の生活の安定であって、その安定を求めて人々は生存競争に耐え、貯蓄をし、その成果として分相応の幸せを求める。国民全員が自分の引退後に必要な費用を自らの貯蓄で賄うとすれば、一人当たりの生活費(医療保険費も含む)を年200万円とすれば、引退後20年生きるとして4000万円の貯蓄が必要になる。養老年金は老齢化した本人自身の貯蓄で賄うのが摂理に即したやり方である。国家はこの貯蓄の安全に全責任を負わねばならない。勿論、この莫大な貯蓄を運用するのも国家の責任である。決して民間銀行に任せてはならない。その理由は国家のみが通貨を発行する権利があり預金の絶対安全を保証出来るからである。
国家は養老貯蓄の絶対安全とインフレ率+1%の利子を保証し、夫婦で一人が家庭を守り働きに出ていない家庭でも夫婦別々に口座を持ち、同額を積み立てていく。この口座は今までの年金と同様無税だが、失業の期間は引き出しが出来る。積立額に制限を設けないが、本人の死亡後に口座にある残額は国庫に収納する。即ち、養老積立金は完全に個人口座にし遺産相続は認めない。しかし、養老積立金以外の資産は勿論遺産相続できる。養老積立口座に十分な資金を持たない人達は資金が枯渇した時点で福祉階級(後述)に編入されNPO(非営利団体)から福祉を受けるが、競争階級(後述)から離脱する為に国民としての権利の制限を受ける。この権利の制限は生存競争を回避した為に生じる代価の一部の本人負担と解釈される。福祉階級に属する人達にかかる費用は勿論国家が支払い、それは生存競争回避をする国民の為に国家が税金から支払う代価となる。
日本人の間できちんと生存競争をし、お互いに甘えない事が摂理にあったやり方である。きちんと生存競争をする為には、現存の制度の中で競争を妨げ、特定集団に利権を保証する法律を全て破棄し、誰にも特権を与えない透明な規則を作ることだ。これはアメリカ人がよく日本人に説教する時の話しに似ているが、そうでは無くて正しい生存競争をする為の条件である。透明な規則とか平等な競争条件とかの所謂アメリカン・スタンダードはアメリカに都合の良い罠が沢山仕掛けてある偽物である。
その理由はアメリカで何が起こっているかを見れば直ぐに解る。彼らの外国に対して言う事と自分達がする事は全く関連が無い。アメリカン・スタンダードとは他国がやって自分達に都合が良くなる利権拡大が目的であって、自らがそれらを実行する意志は毛頭ないのである。読者がアメリカ人からアメリカン・スタンダードについて説明を受け、日本のやり方についてお説教を聞かされたならば、彼に「お前が先ず実践して見せろ。自分が出来ないくせに人にやれと言う権利はお前に無い」とやり返して頂きたい。1960年代に比べれば今のアメリカは独裁国に近い。民主主義、自由主義、言論の自由はスローガンに過ぎず、殆ど実在しなくなり、秘密主義、国民監視主義、言論統制に取って代わられた。拷問は独裁国に特有の現象だが、これも上からの命令でやっていたのだから、ソ連や中国と何ら変わらない。残っているのは外形だけで中身は既にファシストである。政治制度に関しては日本はアメリカから学ぶ物は何も無い。
日本の国際化に関連して、日本の小子化で養老年金を支えるため外国人労働者を受け入れようという極めて短絡的な議論があるが、これは絶対に犯してはならない間違いである。この議論の暗黙の根拠は、経済の無限拡大、という仮定にある。大量の労働移民がどんな社会問題を起こすかはドイツの例でも明らかであるが、それにもまして摂理の観点から無理がある。摂理は平等な競争を要求するから、競争力のある専門家移民は問題ないが、労働移民者は到底平等な競争に耐えられず、それを補おうとすれば摂理を破ってしまい、結局それに対する代価を払わねばならなくなる。その代価は移民者の生活保証だけでなく、計り知れない未来の社会問題と云う形で現れる。
(続く)