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(回答先: Re: 日本の取るべき戦略 その3 投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 7 月 07 日 04:31:44)
18.国民与点制度
国民与点制度とは摂理による生存競争に敗れた人達を最も少ない代価で救済する為に考えられた制度である。この制度の基本は第3章で少し説明したが、スポーツやゲームで一般に行われている与点制度(ハンディキャップ)を社会制度に取り入れ、能力の劣る人達を生存競争に参加させる方法である。与点は、不測の事故とか失業などの原因で一時的に上昇する事はあっても、常に下がっていくものであるから、本人の改善努力を反映する事になる。
人間の先天的能力の優劣と後天的運の善し悪しは人間の力では如何ともし難い。弱い立場にある人達を強い人達の搾取から守る為に法律で保護すると、弱い立場の人達はそれを良いことに政府の保護に頼って、益々弱くなってしまう。一方、強い立場にある人達は官僚や政治家を買収して利権を獲得し、これが貧富の差の拡大となり悪循環が繰り返され、最後には弱い立場にある人口の大半の人達が搾取に絶えかねて暴力に訴えて腐った社会構造を破壊しようとする。
人類はこの様な歴史を繰り返してきたが、未だにこの悪循環を断ち切る政治と社会構造を考案するに至っていない。その理由は、何故そうなるか、という摂理に迄踏み込んで生物社会の基本法則を理解しなかったからである。以下に述べる与点制度は摂理に適応していると考えられる色々な方法の中で最良の物であるという証明は勿論無い。しかし、与点制度はスポーツやゲームで広く採用され、公平であると認識された物であるから、社会制度として成功する確率は極めて高い。
18−1.与点制度の要点
1.子供が産まれるとその子は100点の与点を附した与点カードを貰う。
2.幼稚園に入ってから大学又は職業学校を出る迄毎年0−10点づつ能力に応じて差し引いていく。能力の評価は当人の学力、芸能、特殊能力全てを総合して判断し、最低を0点、最高を10点とする。この評価には学校長が責任を負う。
3.0点は自力で何も出来ない状態を意味する。10点は天才を意味し、並はずれた才能を持ちその能力を使って将来社会で生存競争に打ち勝つに十分と思われる場合に付ける。例えば、神童と呼ばれる位音楽に才能を持った子は13歳で与点はゼロとなる。中庸の能力を持った子供でも大学を出る頃には与点はゼロとなる。
4.成人してから与点制度に加入する人はそれまでに受けた職業訓練の度合いによって政府機関が暫定値を与える。大学卒業者は原則としてゼロを与える。
5.諸種の理由で義務教育のみを受けた者でも就職して職業訓練を受けた場合は雇用者が採点し、能力の増加に応じて与点を下げる義務を負う。
6.個人事業者には与点ゼロ保持者である事が融資の条件になる。
7.不慮の事故や病気などで能力の減少又は喪失をした者及び失業者はその度合いに応じて政府から与点を付与される。与点は能力の回復に応じて定期的に公的機関(NPO等)により検査され調整される。与点を付与出来るのは政府機関のみであり、訓練を施した後与点を差し引くのは民間の公的機関又は企業に限られる。
8.政府機関から与点の恩恵を享受したい者は本人の与点数値を記入した与点カードを提示し相応の金員を受領する。
9.与点受益権は通常与点保険料納入開始後に発生する。しかし先天的な労働不可能者はこの限りでない。この範疇には四肢欠如で生まれたが、正常な頭脳を持ち、働きたい人達が入る。与点保険料は与点の数値と年収額に応じて決められる、即ち与点がゼロの人達の保険料が最も高く与点が100の人達は保険料を免除される。
10.与点カードは暗号化されたICチップで出来ており、本人の過去の能力評価が全て書き込んであるので、雇用者側は求職者の福祉カードを専用機械で読みとるだけで自社内の空席に適しているかどうかの判定が即座に出来る。企業は与点カードに勤務状況を書き込む事は出来るが内容をコピーする事は出来ない。紛失に備えて与点カードのコピーは居住地の役所のみで保管する。与点カードの内容を電子通信網で送る事は出来ない様に設計されている。
11.雇用者は被雇用者の能力に応じた賃金だけを支払えば良く、一切の福祉費用を負担しなくて良い。又、与点カードを持たない人を雇用することは禁じられる。
12.自ら与点制度から離脱したい者は生存競争に参加を拒否したと見なされ与点カードを国に返還し、競争階級から福祉階級に移行する。退職者で養老年金を使い果たした人も福祉階級に編入させられる。与点カードは本人が競争階級に復帰する際に必要なので、本人死亡まで国が保管する。福祉階級に編入後は民間福祉NPOからサービスを受け、国家は各地の福祉NPOに予算を付けその運営を監督する義務を負うが、福祉事業の運用に関わる事は禁止される。
13.福祉NPOは税金と寄付によって運用されるのであるから、宗教団体からの協力申し出は堅く辞退し、福祉NPOでの一切の宗教活動を禁止する。
14.与点は不測の事故とか失業で一時的に上昇しても本人の努力で減少して行くのが原則である。働く意志は無いけれども与点だけ貰って競争階級に留まろうとする人達は当然勤務態度が悪いから、失業するたびに与点が増え、職業訓練を受けて与点を減らす努力が見えないので直ぐに判定できる。与点が増え続ける人達は或る与点を限度に福祉階級に移行させる。職業訓練中、与点が一年以上減少しない人も働く意志又は能力が無いと判定される。
上の制度の基本的な考え方は、人間は他の動物と同様にいつも生存競争に晒して置かないとどんどん退化する、つまり怠け者を保護するのは自然の摂理に反し、誰かが必ず代価を払う事になるから、出来るだけ永く人間を競争環境に晒しておく事にある。旧来の福祉政策では怠け者や狡い人達が得をし、真面目に懸命に働いても運が悪い人達が損をした。与点制度では働く意志のある人達は才能の有無にかかわらず死ぬまで競争階級に属する事が出来る。しかし働く意志を失った人達は福祉階級に入り、人の情けで競争無しに生存するという選択を与えられる。
18−2.国民与点制度の利点
先ず第一に、自分から求めて落ちこぼれになる事を選択しない限り、全国民に持って生まれた才能を最も有利に使う事を意識させ、各自の将来を強制的に考えさせる機会を毎年与える。今までの若者の殆どがそうであった様に、就職する迄自分に何が向いているかを考えもしなかった様な事がなくなり、又例え自分の才能が人並み以下であっても与点を貰う事により、人並みの競争が出来ると云う将来の生活に対する自信が出来る。
第二に与点制度は今まで失業に対するセイフティネットとして独立して施行されていた失業保険等を廃止する事を可能にし、制度の簡素化と税金の無駄使いを減らせる。
第三に与点カードに本人の記録が幼少時から累積されているので、怠け者や詐欺師が国から援助を詐取する可能性は極めて低い。
第四に与点制度は才能のある人には全く影響を与えない。
現在の税法を研究して脱税の方法を考える人が居るのと同様に、与点(政府補助)を最大にするにはどうするか、と云う戦略を練る人が必ず出てくるだろう。しかし税金対策と違い、与点は生まれた時からの蓄積であり、成人後から付与される点数は事故とか失業とか第三者が客観的に事情を勘案して政府が決めるのだから、保険の適格条件を決めるのと大差ない。従って対策は保険金詐欺と同様な考え方で良い。わざと無能な振りをして与点を上げたとしても、就職先での給料が下がってしまうのだから、例え補助金を貰っても、合計は与点ゼロの人より収入が多くなる事はあり得ない。又、与点が時間と共に減少しなければ或期間後には競争階級から福祉階級に移されるので、長期間政府を騙し続ける事は不可能である。
与点制度と聞いただけで多くの人は、そんなもので俺の能力を評価されてはたまらない、と否定的に反応するだろう。これは日本の今までの評価方法が減点法だったからである。それで権力者は常に弱い者虐めをするものだ、という先入観を人々は持っている。与点制度の点数はその人の持つ長所について与えられる物で、例えば勉強が出来なくてもスポーツとか商売で優れた人はその才能について与点され、苦手の物については全く記入が無い。これは生存競争とはその人の最も優れた能力を使って競争するもの、と定義されているからである。
与点カードには犯罪歴とか病歴の様なその人に取って不利になる事は一切記載されない。載っているのはその人が社会で働くのに最も有利な情報だけである。過去の就職歴とその間に獲得した資格とか競争力を記録し、本人の能力改善努力を反映している。能力の絶対値などは重要でない、問題は自分の能力に常に磨きをかける努力だ。天才に生まれついても努力しない人は天才でなくても営々と努力した人に劣る。それを与点カードに記録するのが目的である。
今まで沢山の個人情報流出の報道で自分の情報管理に敏感になっている人達は、自分の過去を書き込んだ与点カードと聞いただけで、誰かが悪用して自分が被害者になるのではないか、と疑心暗鬼になるかも知れない。しかし、与点カードは就職の時と事業を始める時と補助金を受け取る時だけに必要な物で、買い物カードでは無い。与点カードは本人が持っている物と居住区の役所が封印して預かっている物と二枚しか存在しない。本人の与点カードを紛失したり盗まれた場合は役所にあるカードの内容をコピーし新しい番号で新カードを発行して貰う。だから、誰かが他人の与点カードを使って就職しようとしても、直ぐに発見されてしまう。又、内容は通信網に乗せたりコンピューターに移す事は出来ないから、個人データが流出する可能性も無い。
どんな制度でも人間の価値判断が入る物には完璧に公平な評価を期待できない。これは摂理にも述べられている。それでも我々が幼稚園から大学、それから職場と至る所で使っている多数の能力評価方法が完璧でないという理由で廃止はしないし、人々は文句を言いながらも反対運動を起こす訳でもない。従って、与点制度は人の能力を他人が判断するから良くない、という人達は何でも新しい物を回避する口実を作っているに過ぎない。今まで利権の恩恵を受けてきた人が利権廃止に反対するのは当然でも、与点制度で恩恵を受ける大部分の日本人が反対するとしたら、その人達の価値判断は狂っているか、又は利権保有者の宣伝に惑わされたからであろう。
与点制度を現在の複雑で政治的意図で歪められた保険制度と比べても与点制度の方がずっと合理的である。その理由は生まれてからの蓄積した記録に基づいて国民各個人の才能を最も有効に使おうと云う目的で与点制度が作られているからだ。保険の様に、請求者に色々ケチを付けて少しでも支払いをを少なくしよう、という意図で作られたものでは無い。
又、与点制度は雇用する企業側にとって採用の際に役立つ事はあっても与点制度の為に特に支出が増える訳では無い。企業は今までも社員の福祉の為に年金とか保険の費用を分担して来たが、そういうのを一切止める代わり賃金を増やし、社員は自己の判断で老後の為の貯蓄と保険の選択を行う。社員の為に色々世話を焼くのは一見良い制度の様に見えるが、実はその為に社員は自分の福祉を人に任せきりになり、世の中の事に疎くなって、引退したときには自分の身を守れなくなってしまう。つまり、生存競争に簡単に負けてしまってあくどい人達に騙される様になる。
企業は社員の為に良かれと思ってやった事が摂理に反した事だったのである。企業がやるべき事は社員を甘やかすのではなくて、社員を教育し生存競争に強くしてやる事だ。特に銀行、証券会社、保険会社がサービスと称して行う詐欺行為のからくりを徹底的に教えてやる事が最も重要である。庶民がいくら一所懸命に貯蓄をし、投資をしても、その端から金融会社に巻き上げられているのでは何もならない。正直に、秘密情報(利権)も無しに投資をしても、利権を持った人達に勝てるのは時たまの偶然に過ぎない。金融業で確実に儲けている人達の大多数は秘密情報を手に入れるという利権と詐欺行為をしているからである。
18−3.与点制度下での政治家の役割
国民与点制度と産業与点制度の導入と福祉事業の完全民営化の後、政治家は何をすれば良いのだろうか。今までの国民や企業の利権獲得の為に奔走する仕事が無くなれば、政治家は要らなくなる、と考える人が多いだろう。そうでは無い。今までの利権政治家が本来の政治家としての仕事をしていなかったのである。政治家の仕事は人間の歴史の中で移り変わって来た。昔の政治家は他国を侵略しその国の富を奪う事で自国民をその分け前に与らせる事になり、従って国民の生活水準が向上し国民の支持を得る事ができた。
現在のアメリカがまだ昔ながらのやり方を踏襲しているが、今や情報の伝達技術が非常な進歩を遂げた御陰で、悪事は直ぐに暴露され、世界中から非難を受ける様になった。即ち、情報通信の進歩と資源の有限性が昔の政治家のやり方を最早無効なものにしてしまったのである。民主主義に則ってアメリカ市民の富を増加させるには、外国の富に頼らず、アメリカ市民自身が富を創造する以外に方法は無い。言い換えれば、アメリカ人は浪費を止め、生活水準を一度落とす事により、貯蓄に励む事だ。他国の富の略奪が自国民の富の蓄積に繋がる時代は既に過ぎ去ってしまったのである。
これからの民主主義社会では市民集団の総合的な幸福感の最大化が政治家の仕事とならねばならない。即ち、前に述べた数理民主主義に移行する。経済の無限拡大は不可能であり、最早他国の富を奪い続ける事により自国の富を増やす事が出来ないから、自国内で富を創造するか、それが旨く行かないのならば、代わりに自国民を物質に頼らないで幸福であると感じさせる精神的な満足感を与えなければならない。これが本来政治家の為すべき仕事である。この一例が既にブータン王国に見られる。
それには国民の幸福感とは何かという定義の問題と、それを測定する方法、及びそれを最大化するにはどうするか、という問題が出てくる。国民幸福指数とその測定法は第14章で述べたが、これは一つの案であり唯一絶対のものでは無い。これから色々な案が出てくるだろうが、新提案が受け入れられる重要な条件はそれが測定可能な物理的意味を持った物である事だ。そうでなければ国民を納得させる事は出来ない。抽象的な議論で国民を催眠術に掛けようとしても全国民を騙す事は不可能だからだ。
国民幸福指数が国民の幸福感をうまく反映しているかどうかは何年も実行して見なければ解らない。そして、国民幸福指数の沢山の係数を案配して、どれが最も正しく国民の幸福感を反映しているか、どの様な政策が国民幸福指数の最大化をもたらすか、を討議するのが政治家の仕事となり、その政策を実行するのが官僚の仕事となる。その他の保安、国防、外交などは従来通りである。
この様に世界中の国がそれぞれの国民固有の価値観に基づいて国民幸福指数を設定し自国民の幸福指数を改善することに専念すれば、国境の設定も今までの様に富の略奪を目的とするのでなく、価値観を共有する事を目的とする様になるであろう。これは動物界での棲み分けに相当する。即ち、価値観の大きく異なる幾つかの集団を一つの国に纏めようと苦労をするより、価値観を共有する集団に合わせて国境を決めた方が、政治家にとって遥かに仕事がやりやすくなる。今まで富の略奪と自分の利権拡大の為に国境を拡張しようとしたのは全て政治家なのであるから、彼らは国境を縮小した方が自分達に都合が良くなるとなれば、喜んでそうするだろう。
欧米の政治家の最も悪いところは、自分達の価値観が世界標準であって欧米以外の諸国は全て欧米の価値観に従うべきだ、という傲慢さにある。昔は中国の価値観が世界標準であった。時代の権力者の傲慢を暴力で破壊しようとすれば必ず反動があり、人類は永遠にその代価を払い続けなくてはならない。そのような生存競争の仕方を繰り返してきたのは生物の摂理を理解していなかったからである。
国民幸福指数が世界に普及し、お互いの価値観の違いを指数の係数値の集合体として認識しあう様になれば、その係数値の為に争うのは馬鹿げている事が自明の理となる。問題は自分達の価値観にそった幸福指数を最大化する事にあり、他国民が違った価値観で彼らの幸福指数を最大化するのは自分達に何の関係も無い事だ、と納得するようになる。現在は多様な価値観を表現する術を持たないから問題を起こすのである。
そして、色々な価値観を持った国々の間で生じる富の生産能力の差は国際与点制度で高能力の国々が低能力の国々に与点を付与する事によって富の分配を行う事になる。富の分配は、暴力や詐欺や利権で行われるのでなく、摂理に従って行われなければ人類に恒久の平和的生存競争の時代が来る事はあり得ない。世界平和とは洗脳を目的とするスローガンや感傷的な理想論で得られのでは無い。先ず宇宙に共通する生物社会に対する法則を理解する事が世界平和と共存共栄を実現する第一歩なのである。
(続く)