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(回答先: 「私物化」意識をどうこう言っても現在進行形の幼児虐待はなくならないと言っているのです。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 02 日 23:42:46)
あっしら様。横レスですみません。
別稿で、と予告しちゃったので書いたことを一応守ります。
いくつかこの辺のやりとりの中で気になる点を述べさせてください。
律******************
家族と国家とフェミニズム(つづき) あっしらさま
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/534.htmlより
私はもちろん、「経済的困難」の解決が先決であり急務であろうとはおもっていますが、家族の孤立化状況への対処も何らかの形で必要だろうと思う、という意見を述べたということです。
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ということに関するあっしら様のお答えは以下のものでした。
あっしら様*****************
※ 家庭内暴力問題については、「あなたが幼児虐待問題で把握している「問題の基」は親の「私物化」意識なんですか?」( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/538.html )を参照してください。
*****************
で、参照しましたが、ご推察の通り理解力がないので(笑)、よくわかりませんでした。
まあ、「家族の孤立化状況」など個々の家族がどうにかテメエで落とし前をつけるべき問題なんだから、そんなことは考えなくてもいい、というようなところなのかな、とは推測しておりますが。
でも、孤立化を解消するには他者との交流が必要なわけですよね。これを阻害しているのが「支配−被支配関係構造」の中にとらわれて、「他者を“手段”や“客体”と考える意識」であると(間違っていたら、ご指摘くださいね)。
としたら、「他者を“手段”や“客体”と考える意識」は解消されるべきものとなります。なぜなら、「支配−被支配関係構造」は解消されるべきものと、あっしら様はおっしゃっているから。結果的にこれが解消されれば、「家族の孤立化状況」も改善方向に向かいます。としたら、結果的にはあっしらさんは、「家族の孤立化状況」をも解消するという志向を潜在的には持っていることになります。
しかし、「他者を“手段”や“客体”と考える意識」(これは「私物化」としてゆらぎ様が定義されている概念に近いものだと思っていますが。違いがあるのならご説明ください)を解決する手段は、「経済状況の改善」ではない。
では、どうしたらよいのでしょう?
この中に明確なその答えは見あたりませんでした。
あっしら様***********************
「私物化」意識が問題と言いながら、子育てを忌避したり問題を起こす親の子どもを社会や国家が面倒を見ればいいと言うだけで、その意識を消滅させる方法をあなたはまったく説明していません。
だから、あなたは、一軒一軒の家を回って、どういう価値観を持っているのかチェックし、「私物化」意識を持っているかどうかをあなたが判断してそうであれば、子どもをその親から引き離すような処置をとれと言いいたいのですかと訊ねたのです。
私に言わせれば、あなたの言う「私物化」意識が親にあるとしても、世の中の論調にはそれを否定するものが少なからずあり、親に問えば、「子どもの人権は大切」・「子どもの自主性を尊重したい」という回答が過半数で返ってくるものなのです。
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「家族」「個人」の自律性を重視なされるあっしら様にとってはもちろん、多くのほかの人々にとっても、監視社会化は望ましい状態ではありません。だから、まず、いきなり「監視社会」の話ではなく、虐待をする環境条件を取り除くことを考える必要があるわけですよね。ひとつには、あっしら様のおっしゃっている「経済状況の改善」です(これは幼児虐待の解決法として明示されていた)。しかし、おそらくゆらぎ様は、虐待の要因として「経済状況」だけでは説明できない部分があるから、そっちにも対処しなければならないだろうといっているわけですよね。
あっしら様のこの部分の答えは、親に「私物化」意識があったとしても、「子どもの自主性を尊重する意識」もあるという答えでした。これがその解決策ということでしょう。
本当に「子どもの自主性が尊重される」のであればめでたしめでたしですが、なんかおかしいですよね?子どもを「私物化」する親の意識が虐待を生み出しているという話をしているのに、「そう思っていない人もいるのだから、大丈夫だ」みたいなのは。「意識」の話に「意識」で対抗するということになって、結局、批判は自分に返ってくるのではないですか。「子どもの自主性を持っている」から大丈夫、というのなら、本当にそういう意識を持っているかどうか一軒一軒調査しなければならないと(きっと大丈夫とは言っていないとか、おしかりを受けるんでしょうね。でもそう深読みしますよこれじゃ〜)。
あっしら様****************************
何度か書いたように、自分(たち)が生んだ子どもに対する責任が法的に親に課せられていていること、自分(たち)が生んだ子どもはそばにいて欲しいと思っていること、自分(たち)が生んだ子どもがちゃんひとり立ちして欲しいと願っていること、そして、よその家族の子どもとの競争関係にあるなかでなんとかうちの子はうまく生き抜いていって欲しいと思わざるをえない現実があるなかで、あなたの言う「私物化」意識をなくせと叫んでも、まずほとんど効果がないのです。
「私物化」意識をなくすためには、政治社会革命に相当する根底的な社会構造変化が起きなければならないのです。
あなたが現実の問題として深刻に考えなんとかなくしたいと思っている幼児虐待を、そのような歴史的変革に期待することでいいのですか?と言っているのです。
私は、幼児虐待もわずかしか減らせないかもしれないし「私物化」意識もなくせないけど、幼児虐待が確実に少しは減ると思っている現実的な施策を提示しているのです。
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私は、この「政治社会革命に相当する根底的な社会構造変化」がどういうものなのか、どう想定なさっているのか、を知りたいのですね。
そして、これは単なる「経済状況の改善」ではないのですよね。
ということは、もしかして、なんらかの「価値」「意識」の変化を想定なさっているのではないですか?
もしなんらかの「価値」「意識」の変化を想定なさっているのであれば、「正義」「善」「民主主義」「平等」などなどのような抽象的概念を名乗っていなくても、さほど変わらない図式のなかにあるのではないですか?
ここのところの見通しがわからないのです。あっしら様の書かれるものは、「リアル」に基づいて書かれているのかもしれませんが、書いてしまった時点でそれは「リアル」ではなく、将来を見越した形での「理念」「観念」になってしまうであろうと思います。
しかし、「観念」で動くことをあっしら様は他者に対しては非常に警戒なさる。
けれども、ご自身もその枠組みの中からはなかなか抜け出せていないのではないでしょうか。ゆらぎ様から「主観的」な枠組みから話しているとかなんとか(正確な表現ではない)、批判されておられましたが、この点のご指摘ではなかったでしょうか。
私はあっしら様のおっしゃるとおりに、アホ、カス、理解力無し、能なし、トンチキ、支配層に利用されるだけのバカ、であるかもしれませんが、素朴に以上のような疑問を抱いています。そのような素朴な疑問を抱いてしまうことはあっしら様であろうとも、止めることはできないですよね。
あっしら様自身も、自説という「観念」のもとに物事をかたられていることに、自覚的でありながら(あるようにお見受けする部分もあるのですが)、なおかつ、「正義」「善」を主張する(とあっしら様が見なした)人へ「カス」「トンチキ」カテゴライズをおやりになっているのであれば、何か深遠な意図があるのであろうと思うのですが、その意図がどういうところにあるのか。さしつかえない範囲で教えてください。
なんとなくですが、いまのやりかたでは、「正義」「善」「平等」「民主主義」の正当性を信じる人の気持ちをより固めることに役立ちはしても、枠組みを変えてみようという風に変革へ導くには逆効果であるとおもわれます。
わたしはもともとそんなに明確な主義主張、立場を持っていないので「あーそうかんがえるんだー」で済みますが、もっとしっかり立場をもって話されている方には反発しかまねかないのではないでしょうか。
もし、差別主義者としてそういう人々を切り捨てるというのでしたら、それこそ、一軒一軒訪ね回って、なんらかの「正義」「善」を主張しているかいないかたしかめ、家族連合体としての地域共同体を作るにふさわしくない者は排除するという行動を取るしかなくなるのではないでしょうか。
あえて挑発的な書き方をしてしまったので、私も、いらぬ反発を招く可能性がありますが、あっしら様が「正義」を主張とみなされた人々とのやりとりを見ていると、素朴に、このような疑問が沸くので、できる限り冷静なコメントを、もしあればいただきたく思います。
大変失礼なことを申し上げていることは承知の上ですが、議論をするときに何の立場性もなく発言を行うということはできないわけで(これが間違いだと言われそう。でも立場なく話せるというのなら根拠をもお示しくださいね)、もし、他の「正義」を主張する人と、あっしら様の主張(「世界観」)に根本的な違いがあるというなら教えて頂きたく思う次第です。
(あの、誤解のないようにいいますが、特別あっしら様のご見解自体にことさらに反対・批判・非難しているわけではありません。むしろ、「このような考え方もあるんだー」と興味深く、おもしろく読ませて頂いています。これまで反論を書いたのは自分の理解を進めるためです。反論がないと議論になりませんでしょ)。