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あっしらさんこんにちわ。相変わらずの遅筆っぷりで申し訳ありません。【Re: 支配ー被支配の構図について。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/341.html】のレスです。
始めは「支配ー被支配」と「指導=被指導」の違いについてお伺いしようと思っていたのですが、偶然あっしらさんの「私の共産党批判http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/468.html」
を読ませていただいたらちょうどお伺いしたかったことを知ることが出来ましたので、別のテーマを絡めつつ今までのおさらいを少し(次に「指導=被指導」の集団(共同体)を築くにはというテーマを振ろうと思ったのですが、これはちょっと簡単には済まないだろうなあ〜と(笑)。だから先に復習をちょっと、、)。
本題に入る前に、前回
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【オニオンさん】
「 支配ー被支配の構図について
上の事を踏まえて考えると世界、その中でも特に人間世界に深く関わりそれを動かそうとする人間(リーダー、又は支配者?)は他者との話し合いに細心の注意を払う必要(義務)があるともいえそうですね。あっしらさんは以前特定のタイプの方、冷静な話し合いが出来ず自分の意見を押し付ける方には政治指導者にはなってもらいたくないと言っておられましたが、こういう理由でいいのでしょうか?」
政治指導者になるならないではなく、反体制や革命を標榜する政治運動に関わって欲しくないという意味で書いたと記憶しています。
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とありましたが、確かにあっしらさんの言う通りでしたでした。確認不足でした。すみません(私の共産党批判、及びその周辺を確認)。
本題、【なぜ彼ら(金融家)はあのように冷酷に成れるのか】
確認できる範囲で分かる知識でも、「彼ら」は非常に冷酷な存在と言えます。例えば現日銀総裁の福井氏。この人が実行犯として係わったバブルの創造と破壊、及びその後の不況によって間接的にとはいえ何万人という死者を出しました。また社会的な悪影響も非常に大きい(セントラルバンカーは彼らの末席か、知的執事最上位にはいると思う)。
この他にも彼らの冷酷さを示すようなエピソードはそれこそ腐るほど有りますよね。
そして、彼らの最大の強みがこの冷酷さでしょう。まず人情やら何やらなどの思考に制限を加えるものが何も無い(考えるということ持つ力は凄まじいと思います)。次に一般の、ごく普通の生活をしている人には之ほどまでに冷酷な存在がいるとはなかなか信じられない。
そして今の世の中が抱える最大のもんだいは、彼らのこの冷酷さがごく普通の人にまでうつっていき、世の中形が変わっていく事だと思います。その辺はあっしらさんも 「亡国」とは...
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/668.html」で言われてましたよね。
この冷酷さの背景には何があるのか。「お金(マネー)」と「主ー客意識」を軸にして少し仮説を組み立てようかと、、、
【主ー客意識こそが他者に対する冷酷さの基】
さて、まず人が人に対して冷酷でない、つまり仲良くしているのはどんなときか。それは全体で一つの和(関係性、共同体性)が作られ、それが認識されているときでしょう。友達や家族、恋人等を傷つけたいと思う人は基本的にはいませんよね。全体で共同体意識を共有している状態は、無意識的にしてもみんなと仲間意識を持っていると言えでしょう。
そしてこの事は逆に言えば、人が人に対して冷酷になるには自分と相手との間に一体感が無く、分離、独立意識が醸成されているときと言えるのではないか。つまり自分と他者の間に双方向的な関係性(共同体性)が認識できず、相手を何かの対象としてしか認識できない状況。これは自分を主体とし、他者を客観と観ている状態とも言えそうです。
【お金と「彼ら」その関係】
彼らとお金の間には密接な繋がりが在りますが、それは両者のルーツが同じだからだと思います。
まずお金の起源はどこにあるか。太古の昔の共同体「内」なら、必要なものはおそらく融通しあっていたか、せいぜい物々交換でしょう。お金は必要されなかったはずです。しかし共同体「間」の交易ならどうか。
太古の昔と言えど共同体間には活発な交易があったと推測されます。(農本)共同体は、その身を外敵から守るため武器とその原料(銅や鉄)を手に入れる必要があるからです。身を守る武器なくして初期の共同体、ひいてはその後の文明も成立しなかったでしょう。そしてこの共同体間の交易にこそお金の起源が在ると考えられるのではないか。また、その交易を司っていたであろう商人こそ彼の根源的(精神的、思想的)なルーツにあたるのではないか。
(文明は農業、そして遠距離交易(商業)両方の出現によって始まったという考えです。考えようによってはエライ皮肉ですが、、。ちなみにこの考えは関岡正弘氏の金属史観(http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/History/History.html)を参考にさせていただきました。)
さてこの古代の商人の方々は自分達以外の共同体をどのように認識したでしょうか。初めは良いお得意さんとして仲間意識を持っていたかもしれません。しかし、時がたち【お金というものも生まれて(ここが重要?)】人口も増加し共同体(都市国家?)の数も増えてくるころには、各地域共同体は、儲けを手に入れるための対象としてしか認識できなくなったのではないか(つまり仲間意識から、主ー客意識への変容)。まるで近代人が他者を儲け得るための手段(存在)として見るようになったように。
【近代は人を彼ら(モドキ)にする】
近代の定義の一つは、人の活動目的が利潤を得ることになる、でしたよね。この考え方はまさしく彼らのそれと同じだと思います(格は遥かに違うんでしょうが)。人がお金を得ることを目的に活動する。自然、他者を利潤を得るための対象としか見なくなる。そして人と人との繋がりがお金を介する事でどんどん抽象的なものと成っていく。共同体が崩壊し、他者に対する配慮を失う。
まさに共同体性の崩壊であり、亡国ですね。ついでですが、近代の自然破壊の遠因もここにあるかも知れません。
【お金が主ー客意識を醸成す】
お金が「人類最大の発明」と言われる理由は、価値の保存機能とその交換性にありますが、それこそが「主−客意識」を醸成する一番の理由と言えるのでしょうね。
本来なら労働して何かを生産してもそれを使う(消費)人がいなければ無意味なことです。またお金があっても(自分には作れない)必需品を生産してくれる人がいなければ生きていくことすら出来ません。なのに人と人との間にお金が入る(お金の交換性)事でそれが見えずらくなる。金さえあれば問題ないように感ずる。(使えもしない米ドルや米債をありがたがって持っていても、食料自給率が50%を切っている今の日本の危うさを考えると特に、、)
この場合自分が主体でお金或いは市場辺りが客観と認識されているのかな。
【解決策は?】
なかなか、簡単には思いつかないですね、、(苦笑)