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参照先 「産業主義近代の終焉」
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/364.html
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あっしらさん バルタンです。
>体調最悪だとのこと、お大事にしてください。
ありがとうございます。最近の公共施設の「これくらい温度下げれば文句言うやつも
いないだろう」という不寛容さには、まいります。
>それを考慮してというわけではありませんが、擦り合わせ的なレスを続けさせていただきます。
その趣旨にそって逐次レスとします。
>「世界貨幣」は、ポスト「産業主義近代」の「近代」において、世界支配層がスムーズに
>貨幣的富を増大できるよう確立されるものです。
「産業主義近代」は終焉というパラダイムチェンジを受け入れれば私の書いた
「世界貨幣」はまったく無効です。究極の「脱・構築」ですね(笑)
>世界支配層は、貨幣的富の増大を目的としているのであって、産業の発展を目的として
>いるわけではありません。
>産業の発展は、貨幣的富の増大という目的を効率的に達成する手段でしかありません)
了解です。技術革新というヴァリリオのいう『速度』もその表れであると。
>「産業主義近代」は、産業資本的利潤がスムーズに得られない経済主体の増加や、産業
>資本的利潤獲得競争が人々の生活を困窮に追い込む状況の深化によって終焉します。
利潤率逓減化と絶対窮乏化のように聴こえますが..言うまでもなくどのように終焉するかが問題です。
>ほどなく、「産業主義近代」として“利潤なき経済状況”ないしは“利潤が嫌われる情況”
>が生まれます。(それまでは生きていたいと願っています(笑))
>このような見通しを持っているので、「社会主義世界」の到来を予測しています。
高校生のときクラスの女子と討論したことを思い出しました。
「XXクンは日本がソ連みたいな社会主義になればいいわけ?」
「ソ連かはともかく...、まぁそうです。」
「じゃぁ、それが実現したらなにやりたいの?」
「反政府活動」
>「産業資本的重商主義の終焉」を理解していたヒトラー:「輸出貿易は他国の近代化とともに消滅する」 >http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/297.html )を参照してください。
これは拝見し念頭においておりました。「第2の予言」は購入しましたので読了し可能であればなにか書かせていただきます。
>共同体間の「価値体系の差異」というより、共同体間の「電位差」を考えたほうが見えやすくなるはずです。
スカスカな構造主義的概念ではなく価値を価値たらしめる「有機的構成」あるいは
「電位差」=ポテンシャル がゆるされるなら「生産力」といっても結構です。
逆にあっしらさんの言う「電位差」が「資本と労働」が取り扱うことが出来ない
土地、水、ヒト(自然)も含むかは伺いたいところです。俗物性のきわみですが
「第2の予言」もその文脈で考えていました。
>貨幣は価値の表徴ではあっても価値そのものではありません。今となっては物神性もなく、社会的分業
>(諸個人の分断)に支えられた統合記号とも言えるものです)
機能的にはそうかもしれません。しかし前回のレスで書きましたがアダム・スミス=リカード
の言説との差異が分かりません。本当はこういう切り口は好みませんが「金融資本家」の
「現世的欲望を断念し、神の国に宝を積む」貨幣的富の退蔵欲動というメタ・フィジカルな
問題は「動機」として残るんじゃないかと。
>「電位差」が少なくなくなるというのは、すでに脱落したところは別として、諸国民経済の
>経済状況が平準的になるということです。
すでに脱落というところが気になりますが...
たとえばA国にある希少金属がある。しかしA国では採掘して鉱石にする「ポテンシャルしか
ない。B国は鉱石から希少金属を抽出、精製、加工して電子デバイスにして携帯電話に組み込み
新たなサービスを開始し、かつそれを享受し「価値」として実現する「ポテンシャル」がある。
(これを書いていて思い出したのがアミンの「従属理論」(不等価交換と価値法則)ですが
この交換が不等価か等価かについて比較生産論(労働価値)から詳細な検討がされていた
様に思いましたが、私はこれまで書いたように交換はストリームであり、事実性として
成立した交換はすべて等価交換と考えています。)
たぶんB国は途中を全部すっとばして携帯電話を導入することはありえる。そうしたテクノロジー
を農業生産、鉄鋼、造船などすでにB国が放棄した産業分野の特化に利用するかもしれない。
しかし、それまでではないでしょうか?「世界分業体制」からフルーオプション?の「電位差」
を獲得するまでにはあっしらさんの過去レスにありましたが「開かれた国家社会主義」と
してしかないわけですが、それを実現するためには国民国家としても政治的、軍事的
ポテンシャルが必要だと(あっしらさんのいう「電位差」はそれも含む?)思いますし、
中国にしてもそこまでいくかどうかわかりません。
資本は国境を越える可動性を持っていますが労働力の(EUの枠内はともかく)不可動性という
問題は消えませんから完全な平準化は困難ではないでしょうか?
>「産業主義近代」がそれなりに信仰されたのは、先進国だけが良い目を見たわけではなく、
>搾取されているとされた後進国もその恩恵を感じたからです。そして、そのような関係性
>を支えたのが「電位差」だったと考えています。(詳細な説明は後にさせていただくつもりです)
ぜひ伺いたいと思います。あっしらさんの意図には沿わないかもしれませんが「電位差」
「平準化」が胸に落ちないと以降の議論はとんでもなく不毛になるような気がします。