現在地 HOME > 掲示板 > 議論18 > 357.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: このサラリーマンは自分に対して正直な行動ではない 投稿者 調和人 日時 2004 年 6 月 22 日 13:19:34)
調和人さん、どうもです。
前回と同じく、基本的なレスとしてNUEさんとでんでんさんへのレスをご参照ください。
【調和人さん】
「私が「自分に対しても正直な行動ではない」に至ったという考えを述べさせてもらいます。
このサラリーマンにとっての本当の「愛する妻」は、ブスと呼ばれる奥さんです。自分の「愛する妻」を連れて来て下さいと言われた時に、本当の心で言えば真実の「愛する妻」(奥さん)を連れて行きたいはずです。現に友人にはそうしているからです。ただブスと判断し、ビジネスという面でプラスではないということで「愛する妻」をビジネス上他人に披露できないのは、悲しくないですか?
この部分においも、私は自分の真実の行動ではないと思っております。
真実の行動であれば、例えブスと呼ばれようが、堂々と「愛する妻」を披露するはずです。それが彼にとっては自然であり、そこから生じるビジネスへの結果についても、真に受け入れることもできるのだと考えます。」
「本当の心で言えば真実の「愛する妻」(奥さん)を連れて行きたい」と思っているわけではないと思っています。
事例の男は、「プライベート(素直な自分が生きる)世界」と「プライベート世界をよりよくするための手段的世界」を峻別して(間仕切りをして)いて、「手段的世界」には本源的な価値を見出していないと解釈しています。
そのような世界に「愛する妻」を連れていく意義さえ感じておらず、そのような世界で「愛する妻」があれこれ評価されることも望まず、そして、「愛する妻」に対する評価がはかばかしいものではなく自分に仕事能力評価におかしなかたちで跳ねかえるようなことはバカバカしいと考えていると推察しています。
このような意味で、事例の男は、自分に対して正直な行動をとっていると考えています。
なお、事例の男は、「愛する妻」がブスと呼ばれることにはなんらこだわらないと思っています。
【調和人さん】
「また彼の行動は、「不安」「心配」「嫉み」「恐怖」「偏見」「拘束」「偽り」等の概念から来る行動で、自分に真実の行動「愛」「安心」「平和」「平等」「自由」「正直」ではないと判断しました。
彼の行動の基となる概念は人間の本質からくる概念ではないと考えており、人間の本質(つまり自分の本質)に対しても偽っていると考えております。」
上述の理由で、事例の男は、「愛」「安心」「平和」「平等」「自由」「正直」をめざしてそのような行動をとったと思っています。
【調和人さん】
「>そのような思いから、事例の男は現実を見定めて実に合理的に生きているように思われるのです。
私は、「現実を見間違えて」の間違いではないかと思いました。
真に彼にとって必要な人材はどちらなのでしょうか。
【人を外面的ものさしで判断をする人間】
・彼の奥さんが非常に美人であり、これなら彼の手腕を信頼できると思い、彼に投資する。
・彼の会社は一流だし、彼の奥さんも一流の美人だ。彼なら信頼できる。
【人を内面的ものさしで判断をする人間】
・彼の美人な奥さんと話したが、何かお互いが愛しあっているようには思えない。表の面だけは取り繕っているようにも見えるが、真実はどうなのだろうか。彼とパートナーを結ぶのは考えた方が良さそうだ。
・彼の奥さんは綺麗であり、彼の会社は大手だが、私にはあまり興味がない。興味があるのは、彼の内面だし、彼の仕事の内容だ。
真に合理的なのは、どちらの人間と付き合うことだと言えるでしょうか。
彼は、目先の金を合法的に手っ取り早く手にしたいと考えての行動であると考えられますが、これはあまり合理的ではないと私は判断しております。」
事例の男の気持ちを代弁させていただくと(なんでオレが?(笑))、【人を外面的ものさしで判断をする人間】が多く、【人を内面的ものさしで判断をする人間】なんかほとんどいない、とりわけ自分が仕事で付き合っている世界ではそうだと経験的に知っている..だと思います。
(日本で流行っている能力主義人事評価は、そういうもんだということでもあります(笑))
※ 念のため、私は事例の男のような対応をするわけでもする気もありません(笑)
そんなことを露とも思わなかったので、事例に感動したのです(笑)
私は、ビジネスの場に、「本当の愛する妻」も「レンタルした美人偽妻」も連れていきません(笑)