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(回答先: Re: 「男はなぜ彼女に男友達を持つことを許さないのか」 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 6 月 22 日 01:19:00)
バルタン星人さん、どうもです。
あっしらさん バルタンです。
【バルタン星人さん】
「先ほどの話は親の側からですが、子どもからしたら親から一方的な「贈与」をうけている、自分で望んだわけではない、偶然にすぎないにもかかわらず。子どもにとってはありがた迷惑でもあり、負い目にもなりますがとにかく「この人たちの子どもなんだ。」という血を信じる以外返礼しようがないというのもあります。「本当はお前は実の子ではない」とか言われたら贈与が返済不能な負債になってしまうし。」
中学生の頃読んだ芥川龍之介の短編小説(タイトル失念)に人の生の一方的な贈与性が書かれていたのを思い出しました。
甘やかされて育ったので、「「この人たちの子どもなんだ。」という血を信じる以外返礼しようがない」という意識を持ったことはありません。
「この人たちの子どもなんだ」という理解もしたことがありません。
贈与の返礼はそれほど迷惑と心配を掛けないで好きなように生きることだと考えていたとんでもないバカ息子です。
「本当はお前は実の子ではない」と言われたらどう思ったか?は推測を超えています。
(一般論では考えられますが、自分の母親・父親との関係を思い浮かべたときに...)
>>(男はその女性とセックスできたことに価値や満足を感じるが、女性は、セックスに
>>そのような抽象的な感慨を持っていないという推測です。これについては、
>>そうだろうなというそうとう濃い疑いを持っています(笑))
>その場合の価値、満足というのはなんでしょう。
まず、それらは、セックスそのもので得る感応ではないということです。
ヤリタイばかりの年頃であれば、あの女とヤレタというだけで価値や満足を感じると思います。
少し慣れてくると、いい女と言われている女や惚れた女とヤレタときにそう感じるのではないかな。
>>ある女性から、「自分より綺麗な女性と浮気するのは許せるが、自分よりブスな女性
>>と浮気するのは絶対許せん!」と聞いたときに呆然自失状態になりました(笑)
>他人(しかもレベルの高い)の欲望の対象にならない男を所有しても意味がない、自
>分が良いというより他人が良いというものを独占することを価値とする他人思考?
>(その時点で欲望の対象としての男は誰でも良い)
「綺麗な女性とセックスできる男は価値が高い→その男を彼もしくは夫にしている自分はさすが!」という論理として解釈しました。
女性は魅惑的な存在でありながら別種の生き物と考えているのでそれを肯定も否定もできませんが、女性はそこまで他者媒介的な価値判断をするのかなという疑いは持っています。
わからないまま勝手に推測すると、「自分より綺麗な女がセックスの標的になるのは致し方ないが、自分よりブスな女がそうなるのは許せん!」という“自己基準”の心情なのかなと...
ある身近な女性が、「なんであんな不細工な女がTVに出れるのよ!」と言った価値判断に近いのかなとも思っています。
この問題は、いろいろ違う考え方もあるでしょうが、女性に委ねるしかない、と思っています。
>>これを男の立場に置き換えると、「自分よりかっこいい男と浮気するのは許せるが、
>>自分不恰好な男と浮気するのは絶対許せん!」になりますが、それはないだろ(笑)
>>と思っています。
>不恰好なら「よりにもよってあんな男と寝るような女を欲望の対象にした俺の価値」
>かっこいい男なら「あの男より絶対的に低い俺の価値」)
>(その時点で欲望の対象としての女は誰でも良い)
世間基準で不恰好な男に寝取られたとき、「よりにもよってあんな男と寝るような女を欲望の対象にした俺の価値」と反省的に判断する男はどれほどの割合でいるでしょうかね。
「よりにもよってあんな男と寝るようなクソ女」で終わってしまうような気もします。
世間基準でかっこいい男に寝取られたときも、「あの男より絶対的に低い俺の価値」と反省的に判断する男はどれくらいいるんでしょう?
“クソったれ、他の男と寝やがって!”という怒りを持ちつつ、「男のほんとうの価値がわからんバカ女」だとか、「ちょっと見た目がいい男とすぐ寝てしまう尻軽女」だといった判断になりそうな気がします。
>人間とチンパンジーは受精後4ヶ月ぐらいまでは頭蓋骨形状はほぼ同一ですが、それ
>以降人間は変化が停止しチンパンジーは変化し続け私たちがよく知っている形状に
>なって生まれてくる。人間は幼体のまま成熟し生まれ出てくるので「本能が壊れた」
>というより未成熟といったほうが良い。チンパンジーより人間の方が進化していると
>いうのはウソでチンパンジーが短期間で本能によって自然と適応していくのに対して、
>人間の方が動物として「逸脱」しているというのが岸田先生のお考えのようです。
「壊れた」とか「逸脱」という言葉を吐く人には、「おまえは、神なのか、それとも、創造主か!」と揶揄したくなります(笑)
這い這いまでに5ヶ月ほど、歩くまでに1年ほどを要する人という生き物は、他者依存性を絵に描いたような存在だと思っています。
そして、そのような生存条件だからこそ、言語修得につながる密度の濃い他者関係性の維持も保証されると考えています。
「だからこそ、人は共同体性を本源的に保有しているはず」という確信につながります(笑)