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(回答先: 正統の哲学・解題Bオルテガの思想―「歴史」とは?「社会」とは?「法」とは?― 投稿者 竹林の一愚人 日時 2004 年 6 月 19 日 16:17:01)
竹林の一愚人さん、どうもです。
いつもながらの明確な論点の提示とすっきりわかやすい論述に敬意を抱いております。
オルテガについては『大衆の反逆』しか読んでいません。
『大衆の反逆』は、大衆となってしまっている庶民に可能性的期待をかけ、叱咤激励を浴びせた著述だと思っています。(およそ過半は、自身が政治運動にも関わるなかで得た、その期待の非実現性という現実認識(軽い絶望)によって書かれてはいますが...)
奇異な見方になりますが、オルテガと思想的にもっとも近いのはヒトラーだと思っています。(社会哲学部分限定という条件ですが、文体を変えただけで、たぶん、ヒトラーと見分けがつかなくなるだろうなと思っています)
今回引用していただいたなかで最初のものも、ヒトラーが書いたと言われれば、そうかもねと受け容れてしまう内容です。
合理的「反・合理主義」や歴史主義そして「生の哲学」は、オルテガとヒトラーが共有している思想です。
>○合理主義が革命を起こす(『現代の課題』より)
>歴史の英知をすべて吸収した上での「新文化の創造」でなければならないという。
>そして、これは「合理主義」の落とし子たる「革命」には不可能であるというのがオ
>ルテガの主張であります。何によって可能になるかといえば、逆説的に聞こえるかも
>しれないが、既存の社会慣習の延長線上にしかありえないという。
「革命」の定義が行われているので、オルテガのそれが革命的現象形態を生むとしても、そのように受け容れられます。
>○「社会」と「協同体」を混同した近代思想の重大な誤謬(『大衆の反逆』序文より)
ゲゼルシャフトとゲマインシャフトの区分につながる問題提起ですが...
「社会は、意志の同意によって形成されるものではない。むしろ逆に、すべての意志の一致は、一つの社会、すなわち、共存する人びとの存在をあらかじめ想定しているのであり、意志の一致は、そうした共存がすでに存在している社会の、何らかのあり方を明確にするだけのことである」という部分は、概念と事実が峻別されていないきらいがあります。
おそらく、国家概念が同時的に考察されていないからではないでしょうか。
例えば、「国家は、意志の同意によって形成されるものではない。むしろ逆に、すべての意志の一致は、一つの社会、すなわち、共存する人びとの存在をあらかじめ想定しているのであり、意志の一致は、そうした共存がすでに存在している社会の、何らかのあり方を明確にするだけのことである」と書き換えたほうがすっきりするように思われます。
「近代」の一つの特性は、国家(政治的統合形態)と社会(人々の連関的生存様式)が明確に分離されることだと考えています。
ということで、「契約的集合体、したがって法的集合体としての社会という概念は、本末を転倒したもっともばかげたものである」の部分も、「契約的集合体、したがって法的集合体としての社会という概念は、国家と社会を混同したもっともばかげたものである」と書き換えたほうがすっきりすると思っています。
>人為的に作った「法」によって「社会」を“創造”することはできず、「社会」は非
>人為的な慣習によって成立してるということであります。だから、その「社会」の改
>革は既成の慣習を破壊しない形で行わなくてはならないということになります。
人為的につくられない「法」(慣習を含む)なんかないの一言で済ますのは非礼ですから、人々が他者関係的活動を通じて納得し合った「法」観念を基礎に新しい法を作らなければならないという意味で同意します。
>○「法」とは改革能わざるもの(『世界史の一解釈』より)
「法とはその本質からして改革能わざる、普遍的なものであります。しかしながら、集団的生から生じるさまざまな必要性から、法に修正を施すことはどうしても避けることのできないものであり、そこからやがて改革も必至となります」は、法哲学と実定法をごちゃまざに論じたために生じた“自己矛盾”です。
「法観念ないし法源は、その本質からして統治者によって改革能わざるものであることは普遍的と言えます。そして、集団的生から生じるさまざまな必要性が法観念を修正していくため、実定法は、その本質からして、社会の法観念に従って修正を施さざるを得ないものであり、そこからやがて改革も必至となります。このような循環に基づく法の変化こそが「革命」を超えた進歩の力となり得るものです」
と書き換えることで、“自己矛盾”も解消できすっきりすると思います。