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(回答先: Re: 誰かという問いは人間だけしか使えません 投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 17 日 22:02:12)
縄文ビトさん、失礼ついでに、未読であれば是非読んで欲しい過去の書き込みがありますの紹介させていただきます。(失礼は深呼吸のことです(笑))
またまた失礼な物言いと受けとめられかねないのですが、縄文ビトさんはきちんと物事を考えられる方だと思っています。
そう思いつつ、これまで生きてきたなかで築いてきた「考え方」の囚われから、もう少し自由になられたらいいのにとも思っています。
それで数十年間にわたる思考成果が雲散霧散することは絶対にありません。
逆に、そうすることで、数十年間にわたる思考成果がさらに大きく育ち花開くはずです。
極端に言えば、今お持ちの「世界」すべて投げ捨てたとしても(できないことですが)、これまでの思考成果を基礎にした思考で瞬く間に新しい「世界」を構築できます。
ですから、いったん自己否定してみるという思考営為を恐れる必要はありません。
(否定してみることが弁証法の主要な手続きですよね。弁証法の否定は、最初に相手の言説に対してやるものではなく、最初は自分の考えに対してするものです)
これが真実だ、これが真理だ、などと思ったときに、自身の内に築いた「世界」は腐敗を始めます。
「世界」の固定化は、せっかく外から投げ掛けられた養分や水分を受け容れなくするからです。
真実や真理があるとしても、それは“これ”と言えるものではなく、人にとっては“無限大”のものです。
世界に較べれば自分の「世界」すなわち自分の思考(存在)なぞ高が知れていると自覚している人のほうが、あるとしたら“無限大”である真理をより多く掴むことができます。
(自分は人より利口だとかなかなかの者だと思っている人は、掴める真理がそばに転がっていても、それを取りこぼすことになります。だからこそ、そのような性癖を持つ人が多い支配層は恐くないのです)
支配を安定的に維持したい人たちは、人々の思考を、ある「世界」に閉じ込めたいと思っています。
「利口の壁」とは、そのような押し付けられた「世界」の枠内で思考することです。
自分が「利口の壁」から自由であるとは思っていませんが、「利口の壁」が、自分の「世界」を澱んだものにするという恐れは常に持っています。
阿修羅で2年半以上にわたって書き込んだ内容は、ある時期までそこそこまで有効かもしれないとしても、ある時期以降は意味のないゴミになるものだと思っています。
失礼を承知の書き込みですので、ご容赦いただくことを願っています。
「「バカの壁」なのかかそれとも「利口の壁」なのか」
本文:http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/628.html