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(回答先: 【参考】「バカの壁」なのかかそれとも「利口の壁」なのか 投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 17 日 23:31:39)
あっしらさん、縄文ビトさんこんにちは。横レス大変申し訳ございません。
(私事ですが目はだいぶ良くなってきましたが、まだ少し痙攣ぎみです。リハビリもかねて?少し投稿をと考えておりますが・・・・。)
お二人の邪魔をしているようで大変申し訳ないのですが、私の主観的な考え方を述べさせてください。
私なりに縄文ビトさんとあっしらさんとのやりとりを分析した後の包括的(中間的?)意見になるものだと思っておりますが・・・。
言葉というものは端的に発せられるもので、その内在する意味を具体的に相手に伝えようとするのは難しいものであり、また誤解を生む状況を作っております。
「人間とは誰か?」については、端的にはその個人の名称を問いかけるものであり、集団に於ける個人を特定するものだと考えております。
そして「人間とは誰か?」と相手を特定した後に派生することとして「それは何者か?」、つまり「人間とは何者か?」という言葉が続くのではないかと考えます。
「何者か?」というのは、その主体となる人間を他者関係的存在構造における意義を問うものであると考えます。つまり個人を多角的・無数的に外面内面を分析し、その主体の存在している状態のより詳細な情報・意義を問いかけるものだと考えております。
そして「人間とは誰か?」と問いかけた時に、当然「人間とは何者か?」という問いかけが内在するものではなく、その発した状況に於いては、単純に相手の名称を特定するのみで事足りるという状況もあることでしょう。
相手を特定し、そして相手の存在している状態を問うということがワンセットとなって初めて、戦争や戦闘という殺戮行為の中に於いて人権を守るという意味では、意義を為す問いかけになると考えます。
また「人間とは何か?」というのは、「人間とは誰か?」「人間とは何者か?」を含めた包括的なものであり、より広義な問いかけだと思っております。それ故に、それが端的に発せられた場合の誤解もより多く生むものだとも考えられます。
ただ、もちろん「人間とは誰か?」と言う問いは成立しますし、「人間とは何者か?」が派生するものとして内在して発せらていると考えるならば、哲学的と言えると考えますし、また宮台氏の問いかけにも全ての派生要素を内在して発せられているものと考えられます。
ただ、その発せられた前後を無視し、「人間とは誰か?」のみをクローズアップした場合においては、上記の要素が当然派生する言葉と考えられるものではなく、単純に名称のみで事足りる状況を生み出す言葉でもあると考えられますので、端的に発せられた場合では、今回の様なお二方双方に誤解を生む状況を作り出す要素になっているのではないかとも考えました。
以上です。私の認識不足という名の“攪拌棒”でほじくり返しているのかも判りませんが、あっしらさんと縄文ビトさんの意見を包括できる考え方として、述べさせてもらったものです。(包括的というより中間的としたほうがいいのでしょうか。。。)
失礼致しました。
縄文ビトさんお体を充分に大切になさって下さい。(私も「目」の次に、新たに「耳」が・・・)