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「「我が闘争」よりも面白い「ヒトラー第二の書」:そこで開示された理性的な反ユダヤ認識」( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/233.html )の続きです。
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『自身が刊行を禁じた「続・わが闘争」 ヒトラー第二の書』(アドルフ・ヒトラー著/立木勝訳/テルフォード・テイラー解説/成甲書房/1800円)
「第9章 経済的解決に希望はない」の「汎ヨーロッパは解決策とならず、民族価値の喪失を招く」より:
「ここヨーロッパの歴史が、人種価値の高い西方民族によってゆっくり形成されていったように、人種的に劣等なヨーロッパはその重要性においてゆっくり道を譲り、新たに北アメリカ大陸の民族によって世界の運命が決定されるという危険が生じてくるのである。
この危険がついには全ヨーロッパを脅かすということに気づいている者はすでにいる。しかし、それがドイツに対して意味するものを理解したいと望む者はごくわずかしかいない。これまでと同じく将来も政治的な無思慮とともに生きていくなら、わが民族は世界の重要民族であるという主張を完全に放棄せざるを得なくなる。」(P.176)
(この直前に、当時の状況が続いたドイツは、「いずれにせよ、はるかに若く健全なアメリカ国民のすることに追随できるような地位にはいないはずである。」という予言が示されている)
「 今日、アメリカに対するドイツ経済の運命は事実上、他のヨーロッパ諸国の運命でもある。そのために、ここでも騙されやすい者たちによる運動が起こっている。特にわが国民のあいだに多いのが、統一ヨーロッパをアメリカ合衆国と対置して、それによって北アメリカ大陸が世界の覇者として脅威となるのを防ごうという考えである。
こうした連中にとって汎ヨーロッパ運動は、少なくとも一見したところでは、たいへん魅力的なものに映る。実際に、世界史を経済的な視点から判断すれば適切だとさえ言えるだろう。
・・・中略(米国が人口・広大で肥沃な土地により強力な国家になるという考えを示している)・・・
もしこれが正しくないならば―すなわちアメリカ合衆国の重要性が人口規模のみに、あるいは領土規模に、またあるいは領土と人口規模との関係のみにあるのならば―ヨーロッパにとってはロシアが、少なくとも同程度に危険になるはずである。・・・中略・・・しかし、それにもかかわらず、いま述べたことを理由にロシアの世界制覇を恐れる者はいないだろう。ロシア人の数には高い内的価値が付加されていないため、その数字は世界の自由にとっての危険とはなり得ないのでる。少なくとも、経済及び力の政治によって地球上の他地域を支配するという意味では決して起こり得ないし、ロシアの脅威と言ってもせいぜいが病原菌の蔓延くらいなのである」(P.178)
(「大衆の反乱」を書いたオルテガはヨーロッパ合衆国を待望していた。ロシア(当時ソ連)に対する考察は、最後の記述は別として、経済的政治的覇権の力量に関しては的を得ていると思う)
「 しかし、実際に覇者として重要な地位を占め、脅威となっているのはアメリカである。もしその地位を条件付けているものが第一にアメリカ国民の価値であり、その国民にあたえられた生活空間の規模とそこから生じる人口と国土との良好な関係があくまで二次的なものだとすれば、ヨーロッパ諸国をただ形式的に数の上で統一したからといって、この覇権が消去されることにはならない。内的価値がアメリカ合衆国よりも高くならないかぎりは、それは不可能である。これが違うというのなら、ロシアがアメリカ合衆国にとって最大の危険とならねばならないし、四億人以上が暮らす中国はそれ以上になるはずである。
このように汎ヨーロッパ運動は、まず何よりもその基礎が根本的に誤っていて、人間の価値が人間の数で置き換えられると考えているのである。これはまったく機械的に歴史を見る考え方であり、生命が持つ形成力の研究を完全に避けている。その代わりに、数的に多いということのなかに、歴史の形成要因と、さらには人類文化を創造する源までを見いだそうとしているのである。」(P.178)
(“量から質への転化”という俗流弁証法を避けるとともに、国家の力を量でみるのではなく結合的質量でみているのはさすがである。現在のEUははたしてそれが可能だろうか。さらには、ロシアはともかく、中国はそれを高めることができるのだろうか)
「 この汎ヨーロッパ運動の根本的なあやまりは別にしても、ヨーロッパ諸国の統一という考えは、差し迫っての窮乏から生じた一般的な洞察だからやむを得ないとは言うものの、やはり空想的であり、歴史的に見て実現不可能な、子供じみたものである。私は、ユダヤ人摂政の下でユダヤ人が推進するような統一など初めから不可能だ、などと言うつもりはない。ただその結果について、このまったくのインチキ思想が並べている希望とはまったく違うものになると言いたいのだ。」(P.179)
(現実がよく見えている。それなのに、ナチス・ドイツはなぜあれほどまに愚かしい戦略・戦術を採用したのか??)