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(回答先: あつしらさんは今の社会を変革するのを望んでいるのですか? 投稿者 縄文ビト 日時 2004 年 6 月 15 日 07:43:05)
縄文ビトさん、どうもです。
>ただ今まであっしらさんとやり取りをしませんでしたが。なぜなら利潤という考えに
>対し私とぜんぜん違う意見だったからです。私は利潤とは簡単に言えば他者の労働の
>一部と私の本で書いておりますが、あっしらさんの利潤はぜんぜん違ったものでした
>ね。この問題を含めて今後議論しましょう。
小魚骨として、やり取りを既にさせてもらっています。
「近代経済システム」における“労働者”は、すべての労働を己のものとしてできないのですから、利潤は他者の労働の一部ではありません。
すべての労働が経済主体である“資本家”のものなのです。
「近代経済システム」における“労働者”は、機械・原材料などと同等の“物”(感じ考え活動する“物”)でしかないのです。
(わかりやすく言えば、「所有はされない奴隷」なのです)
利潤を「他者の労働の一部」と認識したら、「近代経済システム」の活動規定論理を認識することができなくなります。
(「供給=需要」(「供給→需要」)という根源的な論理さえ見えなくなります)
私の「利潤」定義は、ある国民経済が外部共同体(別の国民経済)から供給活動に投じた貨幣的富を超えて得た貨幣的富を個別の経済主体が手にしたもの、というものです。
(外部共同体から経済取引を通じて奪った貨幣的富であることから、外部共同体から労働を奪ったものと言うことができます)
恐縮ですが、縄文ビトさんは小魚骨としてのやり取りで議論できない人だと判断していますので、その判断が続く限り、議論は控えさせていただきます。
>それから抽象論は同じ観念を共有できないということから具体論でこの板を読んでい
>る全体の人が理解できるように書き込みをしていきましょう。またお互い揚げ足を取
>らないこと。これも大事なことだと思います。
>まずはこの社会をどうしたいのですか?
>それをお聞きしたいのです。
それについては、この2年半の間にいろいろ書き込みしています。
どうしたいというより、現実の動きを規定している論理を理解することが出発点だと思っています。そして、その理解を基礎に、どうすべきかを議論したいと思っています。
私自身は、「支配―被支配関係構造」を崩せない段階では、経済活動は国民総体の安定的な生活の維持を絶対命題としながら生活の“余裕度”を高めることにあるという国民経済主義の実現をめざすべきだと思っています。
国民経済主義の価値観とそれを現実化するための合理的政策を考えていくなかで、ポスト・「近代」の方向性やイメージも浮かび上がってくると考えています。
ポスト・「近代」の世界は、「開かれた地域共同体」を基礎に、それを政治的に保証する“連合”が好ましい在り方だと思っています。
>それから抽象論は同じ観念を共有できないということから具体論でこの板を読んでい
>る全体の人が理解できるように書き込みをしていきましょう。またお互い揚げ足を取
>らないこと。これも大事なことだと思います。
あなたが言説(書き込み内容)にこのような意識を持たれている限り、やり取りはできないと思っています。
言葉によるやり取りはすべて“抽象論”なのです。
受け手がそれで具体的なことをイメージできないとしたら、「言葉はわかるが、何を言いたいのかわからない」とボールを投げればいいのです。発信者は、それに応じて、より詳細な説明をしたり実例をあげたりして、「観念の共有」を目指さなければなりません。
(小魚骨として、そのようにあなたに応じたつもりです)
“具体論”は、おうおうにして「思い込み」や「常識」の代名詞としてはびこっています。(あなたの言説を通じてそう感じました)
「揚げ足を取ること」は、お互いの思考を深める一つの重要な契機になると思っています。(それを避けようと提言する人とはやり取りできません)
>はじめました。ある事情から鼻曲がりから、縄文ビトに改名しました。一人が二つの
>名前を使えないということも理解しました。
そうですか?
私は複数のHNを使えています。