現在地 HOME > 掲示板 > 議論18 > 290.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: 雑感:『人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人はそれを誰に貰ったのか』[縄文ビトさんへ] 投稿者 縄文ビト 日時 2004 年 6 月 17 日 20:52:54)
縄文ビトさん、レスをありがとうございます。
今回のレスについて少し感じたままを述べたいと思いますが、10歳近く年下の人生の後輩からの進言として受けとっていただければ幸甚の至りです。
>後の70パーセントを書く努力をしていきます。多分あっしらさんとは違う意見になると思いますよ、そのときは社会が判断してくれると信じています。
先ず、あっしら氏の言説に具体的にあたられぬまま、氏の論述に内包されているIssueとは違うと予想される、その主旨を解明していただけないでしょうか。さらに、どのように社会が判断してくれるのかについてもその様態を解説していただきたく考えます。
>私も仕事の合間に時間を取って読みますので「立岩真也著『自由の平等』」しばらく時間をください。ただインターネットで調べたところでは、抽象論でありどのようにでも取れるという性質のもののような気がいたしました。これから読みますけれど。またメールを書き込みます。
是非読んでいただきたいと思います。ただし、「抽象論でありどのようにでも取れるという性質のもののような気がいたしました。」といった予見を何故わざわざ吐露されるのか理解できかねています。
私は楢篠賢司氏の著作を一切の先入見を排して読みました。結果として、細部では指摘すべきことが多々ありますが、固より学位論文ではないのですから、学際的な見地からのcriteriaは適さないと思っています。
けれども、立岩真也氏の著作は少なくとも論文としての体を成しているものですが、それを他者の批評を借りて「抽象論」と裁断しようとするのは、縄文ビトさんのいつの間にか刷り込まれた臆見を晒すことになりかねないのではないでしょうか。
縄文ビトさんがそこに留まられる限り、対話は進展していかないと危惧されるのですが、どう思われるでしょうか。少なくとも「抽象論」と切って捨てるための刀を懐に帯びている人との対話は継続し難いと思量しています。
また、会いましょう。