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(回答先: 哲学と社会学の境界 投稿者 如往 日時 2004 年 6 月 08 日 22:30:04)
如往さんおはようございます。レスありがとうございます。
確かに宮台氏の発言では紛糾しましたが。
ここのところが抽象論のごまかしとしか思えないのが私の考えです。肯定するために説明をつける。例えば俳句等では説明をつけることは不必要とされておりますが。万人が見て具体的に書けば同じように感じることを、何ゆえに説明をしなければ相手に意味を理解させなければならないのか。抽象論はごまかしであるということもあるレスで書いております。新聞・雑誌等と同じような書き方で宮台さんも具体論で書かれたらどうですか。若い人達をひきつけることが出来ますか。
>トーク・ライブの聴衆の大半は宮台氏や仲正氏の読者で構成されいたでしょうから、こうした表現はそんなに違和感がなかったのではと推察されます。
でもこれは逆を言いますと宮台氏の読者で構成されていない阿修羅の掲示板で乗せたということは相当の反発があって当たり前ということになりますが。
>『「人間」とは誰か?は宗教的な問いであり、事実性を超えた他在を措定した問いやそれ自体を問うことは社会学の範疇にはなく、「人間」はその属性において(後験的に)捉えることしかできない。』と語っているようにも思えます。
これも抽象的ですね、はたして宮台氏が宗教的なことを考慮して発言していると感じますか?
その読み方はあなたが宗教的な能力を持っている中で読解しているという事実でしかありません。それが抽象論のマジックです。『受け方の能力によって理解してしまう』
若い人、つまり宮台氏の読者、如往さんと同じレベルの人達ではありません。その人達がどのように受け取っているかを考えたことがありますか?
今日はこれから出かけますのでこのくらいで、後の続きは必ず書きます。
追記
>ハイデガーの現象学的存在論をベースの所謂実存哲学でした。
私はむしろ実存主義でもサルトルやカミユに引かれていました。多分ハイデガーも読んでいると思いますが私の頭の中には残っておりません。
この面でもこれから如往さんといい話が出来ますね、楽しくやりましょう。