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(回答先: Re: 日本の取るべき戦略 その2 投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 6 月 06 日 06:07:39)
岩住達郎さんの「幸福指標の概念」とブータンの「国民総幸福量」の異同を教えてくれませんか?
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http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/160530.htm
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件名:「国民総幸福量」という人間中心の価値観 S子
1972年、弱冠16歳という若さで即位した国王のもと、ヒマラ
ヤの秘境ブータン王国が「国民総幸福量」という価値観を国是とし
て最重要視、世界の中で異例ともいえるこのヴィジョンに真剣に取
り組んだ結果、今日また新たにブータン王国が世界から注目され始
めている。
ブータン王国は総人口70万人足らずの農業国で、起伏の激しい国
土の総面積は九州程度である。ヒマラヤの雪解け水が豊富に供給さ
れ水不足の心配はなく、農業に適している。また、森林面積も国土
の7割まで拡大し、自然環境保護にも努め、自然と人間の共存を目
指している。
『「国民総幸福量」の概念はこう説かれている。目的と手段を混同
してはいけない。経済成長自体が国家の目標であってはならない。
目標はただひとつ、国民の幸せに尽きる。経済成長は幸せを求める
ために必要な数多い手段のうちのひとつでしかない。そして、富の
増加が幸福に直接つながると考えるのは間違いである。・・・』(
「選択」5月号「ブータン発「国民総幸福量」という価値観」より)
つまり、全てにおいてまずは人間中心の政策をブータン王国はとっ
ているのである。人間中心といってもその根底にはチベット仏教の
利他心があることを忘れてはならない。それは、全ての生きとし生
けるものに対する思いやりと親愛の情をもって接することであり、
全ては相互に依存しあって生きていることを自覚することである。
どうすれば他者を苦しみから救うことができるのか、どうすればよ
りよい心の平安が得られるのかを考え、自らが行動する。そうして
得られた他者の幸せはやがて自らの喜びとなってはね反ってくる。
ブータン王国はこのこころの豊かさに重点を置き、それを追求し、
30年経過した今、年率平均7%前後の高度経済成長を持続させて
いる。
このことは大変な驚きであるが、これは何もブータン王国が急激な
近代化により南アジアの最貧国からトップへのし上がった結果では
ない。むしろ答えはその逆で、ブータン王国はより一層のゆっくり
とした近代化を歩んでいる。木材輸出は自然保護の観点から全面禁
止とし、数々の豊富な鉱物資源もありながら採掘せず、全ては「国
民総幸福量」というヴィジョン達成のために、ブータン王国は官民
一体となって本気で取り組んでいる。
この現実に注視した世界のエコノミストは、ブータン王国へ現地調
査に赴いた。
『ブータンに出張した彼らは、予想もしなかった経験に出くわした
。精神的といってもおかしくはない情緒体験の感動に打たれたので
ある。国籍さまざまのエコノミストが、皆口を揃えたように「自分
の心のふるさとに帰ったように思えてならない。」と報告しはじめ
た。』(「選択」5月号「ブータン発「国民総幸福量」という価値
観」より)
世界のエコノミストがこれまで勉強してきたのは経済学のための経
済であり、人間あっての経済ではなかったのだから、ブータン王国
での彼らの情緒体験は大きな衝撃だったに違いない。近代化をひた
すら目指してきた先進国がなくした人間の「質」、すなわち精神性
の高さをブータン王国の人々は培っている。
チベット仏教からくる利他心、慈悲心というこころの豊かさが経済
を循環させ、自然との共存によりもたらされる豊かな実りに感謝の
念を抱き、「国民総幸福量」という目に見えない価値に向かって総
国民がひたすら生きる姿勢は、先の大戦終結によりひたすら近代化
という目に見える価値に向かって総国民まい進してきた日本の姿に
どこか似ていなくもない。
同じ仏教国でありながら、ブータン王国と戦後日本の歩んできた道
はまるっきり正反対となってしまった。が、日本型資本主義の源泉
は、仏教(日本の仏教は元はチベット仏教からきている)の利他心
にあったと言われている。
養老、天平時代の仏教僧行基は因果応報の法則を説き、善行は善い
結果を生み、悪業は悪い結果をもたらし、地獄に堕ちると言った。
悪業を成し地獄へ堕ちないためには利他行=菩薩行をし、全ての生
きとし生けるものを苦しみから救うために人は働かなければならな
い、と行基は布教した。
奈良東大寺の大仏建立にはこの行基の布教が重要な役目を果たし、
その当時のあらゆる技術をもってしても未曾有の難事業を仏教の利
他行ゆえに完成することができたのである。この利他行=菩薩行と
いう労働倫理が、これ以降さまざまな偉人に引き継がれ、それが日
本型資本主義といわれる終身雇用や年功序列につながり、日本は瞬
く間に近代化を成し得た。
しかし、日本は近代化を推進するうえで目的と手段を見誤ったよう
である。ひたすらに高度経済成長を追求した結果、物質的豊かさは
十二分に得られはしたが、こころはないがしろ、置き去りにされ、
今日の日本人の精神的退廃は押して知るべしである。かつての安全
神話は崩れ去り、社会不安は増大の一途をたどり、か弱き小さきも
のへの虐待は歯止めが効かず、年間3万人以上といわれる自殺者も
後を絶たず、この国からこころの豊かさは消え失せようとしている
。
『近代化がもしもこの(こころの)豊かさを侵す時がきたら雷龍の
国(ブータン王国)は滅びていく。』と言った若きブータン国王の
深い英明な洞察力が、表面的にはめざましい近代化を遂げたものの
人々のこころは空洞化し、内部から朽ち果てる様が見て取れるよう
な今日の日本の姿に痛いほど突き刺さる。
経済的豊かさにより私たちは自由を勝ち得たように思ったが、私た
ちは勝手気ままに行動することにより、お金さえあればひとりでも
生きていけると思い上がった。そうして他者に対する想像力の欠如
が生まれた。利他心や慈悲心をなくし、自己中心的な考えしかでき
なくなった。お互いが持ちつ持たれつの相互依存で生きていること
など私たちはすっかり忘れてしまった。
その結果が今日の日本の姿に如実に現れており、それが世界的な経
済の行き詰まりへとつながり、資本主義が崩壊寸前となっている。
つまり、人間の「質」の低下、精神の貧しさが今日の世界の状況を
生み出している。人々のこころの「ありよう」がそのまま現実世界
に投影されている。先進国の私たちの精神の貧しさ、人間としての
「質」の退化は一体どこまで進むのか。また、いつそのことに私た
ちが気づくのか。
ブータン国王の深い英明な洞察力と「国民総幸福量」という目に見
えない価値に向かって総国民が一丸となり、ひたすらまい進する姿
はどう見ても美しい。それは私たちが過去において体験した自らの
姿でもあった。私たちはそれさえも忘れかけ、各自こころはバラバ
ラである。
今日のさまざまなシステムの行き詰まりの要因は、それを扱う私た
ち人間の「質」の退化に問題があったのではないか。ブータン王国
を見ていると私はどうしてもそのように思えてならない。日本とい
う国の再生に向けて私たちがしなければならないのは、ブータン王
国のような人間中心の政策をとることである。そのためには、私た
ちひとりひとりのこころの中にある救世主をまず覚醒する必要があ
ると私は思うが、どうか。
参考文献
「選択」5月号
「仏教と資本主義」 長部日出雄著 新潮新書
「般若心経入門」 ダライ・ラマ著 宮坂宥洪訳 春秋社
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