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(回答先: (ある程度のモラルと原則は、誰であれ破ることはできない)「戦後日本のゆがみが生んだ最悪の学者」,宮台真司(大橋正行) 投稿者 乃依 日時 2004 年 6 月 03 日 07:17:09)
乃依さん、初めまして(?)、こんにちは。
Q太郎さんの導き(?)にしたがって関係サイトにアクセスし、かつ乃依さんが転載のサイト(大橋正行氏のHPと、関連する地方の一教師さんのHP)にアクセスしてみました。そこで、乃依さんにほんの少し要望があるのです。
>・彼の無責任な発言が、決して少なくはない若者たちの前途を狂わせた。(と、この分の筆者は述べているし、私も、その点について異論はない。)
「彼の無責任な発言」とはどんなものか、また「異論はない」旨を詳述していただけないでしょうか。以前に宮台真司氏について少し触れた経緯もあり、また氏の動向を注視していることからも、センセーショナルな意味ではなく学者論として氏にたいする批判には関心がありますので、よろしくお願いいたします。
ところで、大橋正行氏も地方の一教師さんもそれぞれのHPにおいて宮台批判を展開されていますが、おそらく宮台真司氏自身は相手にされないだろうと、推察しています。それは、遺憾ながら御二方共に宮台氏と議論に及ぶレベルに達してはいないと思量するからに外なりません。ここに敢えて引用するまでもなく、御二方がそれぞれのHPで立てられているスレッドは大半が論考と称するには程遠く殆どアジテーションに近いものでした。
私は宮台真司氏の言説の全てを評価している訳ではありませんし、たとえ氏が解答めいたものを提示しても実効性の半分以上は受け手の検証過程に掛かっていると認識しています。また、大型魚の骨を断つのに刺身包丁が適さないのと同じように、氏の携えている道具があらゆる素材を料理するのに適するとは断言できないでしょう。ただし、氏自身で鍛錬してきた社会学が教育(学)を俎上に乗せても料理し得るという少なからず自負はもっていると想いますし、と同時に道具の手入れや開発にも怠慢ではあらぬのではないでしょうか。しかしながら、大橋氏はじめ現場の教師達は教科教育(学)という道具のみによって料理せざるを得ず、そのことが宮台氏による原初的な批判の対象になってしまうと云った極めてローカルなレベルでの展開が予想されます。多分、氏はその辺りを見抜いて相手にしないのではないでしょうか。
宮台氏は戦前・戦中・戦後初期を通じて編み出された諸々のContextに依拠するのではなく、むしろ敢えてリセットすることによってそこからの試行錯誤の積み重ねから、氏の言葉によれば「自立的尊厳観」を打ち立てることを称揚していますが、それが氏の教育改革論の基底的コンセプトになっているのでしょう。したがって、批判者が戦後思潮に纏わる氏の言説の表層部分に執着するあまり、あるいは批判者自身の価値観を歪なく対置しないかぎり、双方に対話の接点を見出せないと想われます。
私は宮台氏を全面的に擁護するつもりはありません。けれども、氏はその才知の煌きとして戦後思潮の本流を把捉し日本を含むアジアの近接する未来を展望する上で幾つかの重要なParameterを提示しているのは確かでしょう。但し、氏自身が鍛え上げつつある道具が万能包丁であるとの自意識の強さかも知れませんが、そのことでしばしば勇み足をして無用の誤解を招いていることも否めないと思っています。さらにまた、戦争板常連で歴戦の勇士でもある木村愛二さんならば氏の実戦経験の不在を揶揄して“青二才の鈍ら包丁”ぐらいのことは言うかも知れません。しかし、そう批評することが可能なのは木村愛二さんなればこそでしょう。
今のところ私には大橋正行氏や地方の一教師さんのHPに出掛けて行って議論をする考えはありません。それは既出の事由にもよりますし、何よりも先ず立場論以前の手続き上の問題がクリアされないだろうと見ているからです。しかし、とりわけここ議論板においては、乃依さんご自身が引き受け手になっていただかないと、対話を進めようがありませんのでその点をご理解いただけますならば幸いに存じます。
また、会いましょう。