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(回答先: 再び、東北原人さんと如往さんへ(表土喪失の現状) 投稿者 愚民党 日時 2004 年 5 月 19 日 06:48:03)
何だか難しいですけれど、何度も読み直しています。
なんだか、日本語をしゃべっているうちは日本人は大丈夫なような気がしてきました。
現在読書してます。
「実践ロジカル・シンキング入門 日本語論理トレーニング」野内良三著
「レトリックと認識」野内良三著
「路上観察學入門」赤瀬川原平他編
です。前2冊は再読です。「路上観察學入門」あたりは読んでると「ゆで蛙」とか言われそうですが、面白いです。(^^;
※昨日、一週間ぶりにヨーガをやってきました。気持ちよかったです。
滅茶苦茶なRE:で、ご免なさい。東北原人さん、如往さん、愚民党さん有難うございました。
><牢獄と化したかのような均質で閉じられた共同体としての日本国家>の場所において
> 反近代主義者はどんなに世間様から迫害されようが、生き延びることができる。
> 孤立してもひとりでも過去の豊饒な時間と人物と応答できる通信能力がある。
>
> 非対称世界の流動化に押し流されないためには、対称をわが手につかむ必要がある。
> その対称とは自己表現による自己表出として生成できる応答身体である。
>
> 身体瞑想によるイメージの生成は地球さらに宇宙と呼応する身体歩行である。
> 人間身体には60兆の細胞がある、60兆の細胞が60兆の星と応答する触感を波動するとき
> 人間身体は「星の子」として復活する。
>明治維新からのつけがとうとうやってきたのだ。近代の内実なき進化の慣れの果てに・・・・
>
> 司法権力と厚生労働省をわがものにした創価学会。国家官僚機構はすでに変身をとげている。
>
> 明治維新を逆手にとることは必要である。
> 明治維新が古代を国是としたなら
> 日本個人は古代を発見していくのだ。
> 日本における民衆考古学の巨大さは、民衆の自己防衛本能であった。
> 戦後日本民衆は日本国家から考古学の探求(邪馬台国の道)によって
> 「イメージの力」を防衛してきた。
>
> 中世そして近世への民衆的探求こそ「庶民の力」である。
>
> そして日本の希望こそ「職人身体」日本の各地の祭り