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(回答先: 何だか難しいですけれど、何度も読み直しています。 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 5 月 19 日 07:37:43)
クエスチョンさん。ありがとうございました。
「なんだか、日本語をしゃべっているうちは日本人は大丈夫なような気がしてきました」
この言葉にエネルギーを感じました。
明治の文学青年たちも血をはきながら、口語体日本語を建設していったのだと思います。
近代とは言葉の歴史でもあると思っています。
人間にとって言葉とは建築群でもあると思っています。
ゆえに言葉による応答関係は空間を形成できるのだと思いました。
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『歴史について』小林秀雄対談集
http://www.mdn.ne.jp/~opinion/
言葉の歴史というものは、文化の歴史の本質をなすものです。根底的にはこれがすべてを決定するんです。
日本人は文明のはじまりから「日本の言葉をどうするか」という大問題に苦しんできた。
それが日本文化の歴史的最大の特色だと言っても過言ではない。
『古事記』という書物はそのことをあらわしている。そこを見抜いた最初の人が本居宣長(もとおりのりなが)だったのです。
この性質は誰にも見抜けなかった。つまり『古事記』は長い間、奇妙な書物だったのです。
『古事記』は偽書だろうという説があった。日本の正史には載ってないのですからね。
僕の推測では天武天皇と大安万呂(おおのやすまろ)と稗田阿礼(ひえだのあれ)が偶然に会うという幸運があって、また壬申(じんしん)の乱のような大事件がおこらなければ、『古事記』は生まれていないんですよ。
『古事記』はそういう非常に個性的な歴史的事件なのです。この歴史的事件の意味を直感したのが宣長なんです。それまでは誰もいなかった。
宣長には「文字の賢(さか)しら」という言葉があります。宣長には特に言霊(ことだま)論というものはないが、彼のいう言霊は言葉の発音にあるので、文字にはない。
文字とは漢字のことですから。
日本には文字という「賢しら」が、中国から入ってきた。だから、言霊というものがだめになった。
言霊という言葉を使ったのは万葉歌人です。『万葉集』の歌人は、唐から文字が入らなければ、言霊という言葉を思いつかなかったというところが大切なのです。
誰も自国語というものは手足のごとく使っているのだから、外国語を通さなくては、その性格を自覚できないのです。
しかし、漢文の普及ということはどうしたって必要だ。奈良朝になると、大学をどんどん作らねばならない。明治と同じだ。大学を作って漢文のできる大学生をつくらねば律令国家の組織はどうなるものでもない。
すると今度は、一挙に漢文だけになって、言霊を失ったのです。
彼らの書いているものは、みんな、抽象的言語になって始末に困ることになる。
これに決着をつけたのが紫式部(「源氏物語」)です。紫式部の偉さというものは決定的なんです。
「諸君」昭和46年7月 小林秀雄 江藤淳対談
『歴史について』小林秀雄対談集 文春文庫
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