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(回答先: あっしらさんの興趣に副うものであればよいのですが...。 投稿者 如往 日時 2004 年 4 月 27 日 18:23:31)
如往さん、お久しぶりです。
「行為」と「静態」という峻別にどこまでの意味性を付与されているのかわかりませんが、それぞれにパトスとエトスというキーワードが対応しているものとして少し考えてみました。
エトスを「静態」もしくは「運命の悪戯によって賦与された対称性」とする考えは採りません。
エトス自体が、「行為」を通じて他者から受けるもの(パトス)が時を経て沈殿したオリだと思っています。オリという意味では、エトスは「静態」的なものと言えますが、普段にパトスの影響を受けていると考えたほうが現実的です。
パトスは外から差し込まれる“攪拌棒”であり外から投げ込まれる“異物”であり、それがエトスと融合した心情(パトス)を動態化させる。
そして、“攪拌棒”が抜き去られ、その後時を経るなかで、吐き出される“異物”と摂取される“有用物”とに分離され、“有用物”が共同体的自己の“沈殿物(オリ)”として堆積し新しいエトスになるという考えです。
さらに言えば、そのようにして形成されたエトスは、新しい“攪拌棒”や“異物”に対し、かつての自己とは違うパトスを感じさせることになります。
米国やイスラエルというより、国際的商業金融を生存基盤とする集団のエトスに「対抗でき得るような新たな非対称性を見出す」ことができるかできるのか?という問いに移ります。
「非対称性の進展が人類の営為が包蔵する宿業なのであろうか」という問いに対しては、エトスを包含する人に進展(進化)があるわけではなくただ変化があるのみとしつつ、それは宿業だと思っています。
どのようなエトスが善か悪かということではなく、生きている限りそれが歴史的に継承されるものである限り、上述のパトス→エトス→パトス→・・・の無限連鎖が続きます。
「それでも非対称性を受けとめることができるような新たな対称性の発掘は可能なのだろうか」については、現在どのようなエトス的特性を持つ集団であっても、関係活動的人である限り、パトス→エトス→パトス→・・・の無限連鎖から逃れることはできず、自覚無自覚は別としてエトスを変容させていくというのが基本の応えになります。
期待されているかもしれない核心的な答えは保留させてもらいますが、現在進行形の世界史は、国際的商業金融を生存基盤とする集団のエトス、地域生産を生存基盤とする集団のエトスをともに大きく変容させていくパトス(新しい“攪拌棒”や“異物”)を人々に投げ込み続けると考えています。
国際的商業金融を生存基盤とする集団のエトスである「非対称性を受けとめることができるような新たな対称性の発掘」ではなく、彼らとの協働を通じてともに沈殿させるオリ(エトス)がどうなるかがすべてだと思っています。
(その協働には殺し合いも含まれているというとんでもないものですが...)