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(回答先: パトスとエトス、そして現在進行形の世界史について 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 27 日 19:56:56)
あっしらさん、いつもながら早速の回答をいただき恐縮しています。
先ず、言葉の概念の理解に関してはそれほど大きな隔たりがないことは、これまでの交信からも感じていますので、仔細に及ぶのは避けたいと思います。総じて、あっしらさんにはこのスレッドを立てた趣旨を諒解していただいていると感じています。そして、パトスとエトスの関係を“攪拌棒”というfunction&parameterを用いて解明されたことは全く首肯できるものでした。また、私自身、ロムされている方の中には普段馴染みのない単語で唐突な感じにも受け取られはしないかとの危惧がありましたが、その点からも非常に助かりました。
無論、例えば歴史について言えば、やや断面的な捉え方をしますと、縦糸をethosに横糸をpathosにして織りなされる無限の織物であるとの解釈も可能でしょう。その中で始源としてのpathosを無視できないのは、それがethosの超脱を源泉としつつも、一方では歴史のdriving forceを構成してきたからだと考えます。
>国際的商業金融を生存基盤とする集団のエトスである「非対称性を受けとめることができるような新たな対称性の発掘」ではなく、彼らとの協働を通じてともに沈殿させるオリ(エトス)がどうなるかがすべてだと思っています。 (その協働には殺し合いも含まれているというとんでもないものですが...)
『非対称』によって準備されたことの後に来るのが「協働=聖なるもの」ではなかったかと、そんなふうにR.カイヨワの戦争論の核心部分を見ています。そして、それがとりわけ人類の宿業ならば、非対称性を受けとめること、すなわち恒久の平和(静態的安定性)をもたらすような、pathosはおろかもしかするとethosをも有し得えないといった甚だ苛酷な結論に導かれると推測します。
さてそこで、あっしらさんは「国際的商業金融を生存基盤とする集団のエトス、地域生産を生存基盤とする集団のエトスをともに大きく変容させていくパトス(新しい“攪拌棒”や“異物”)」が、果たして米国やイスラエルのそれなのか、あるいは何か他にあるかは明確でなく、未だに現出して来てはいないとの見解なのでしょうか。勿論、「期待されているかもしれない核心的な答えは保留させてもらいますが」に関しては、けっして期待していない訳ではなのですが、方向性のようなものはこれまでにも折に触れて提示されていると受けとめていますので、それで十分だとは思っております。
どうも有り難うございました。
また、会いましょう。