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(回答先: 初回の反論 投稿者 宮本浩樹 日時 2004 年 4 月 23 日 23:30:54)
1>400万年前、人類誕生の初期に人間が労働していた。という仮定には疑問があります。
2>人間はこれまでずっと、理想社会を実現しようとしてそれとは全く違うものを手にしてきたのではなかったでしょうか。
1 労働をどのように考えているのかということです。初期の時代当然狩猟採集のかたちで労働をを投入し、生きるに必要な食料を確保していた。
これはどの時代にも通じていえることですが、生きるには人間は労働を投入しなければならないと言い切れます。ただ現在とこの時代との相違は、現在では他者の労働を私有する行為がありますが、この時代は労働は共有されていたということです。つまり家族関係的な中では全体的な労働は全体的な分配のもと、平等に消化されていたといえます、その中では必要以外の労働を投入することも無く、最低時間の労働投入で、余暇を違う形でエンジョイしていたのではないでしょうか。ただし自然環境に左右されてはいましたが。またこの時代を人類ということでは間違いがあったと思います、この時代ではまだ類人猿の域を出なかったものと考えます。ただ生きるためには狩猟採集というかたちの労働が無くては子孫としての現在のわれわれは存在しなかったともいえます。
2>としましては私の考えている社会は、資本主義でもなくまたマルクス主義でもない社会を考えています、そのことを第三の道を模索するというかたちで思惟をしている段階です。そのことから今まで語られてきたこととは違った表現だといえます。
それは《人が人を使って利潤を得てもいいという権利、人はそれを誰に貰ったのか》という疑問からの出発でした。
当然私の出した答えは人類が農耕・牧畜発生のほんの少し前の栽培植物を手に入れたときから少しずつ変化してき、リーダーのもと農耕社会に入りだしたとき、全体の労働で得た全体の収穫物を分配段階で本来全体の合意を必要とするのですが、リーダーはそれらを無視したところから、他者の労働を私有するという行為が発生したと考えられます。
最後の纏めといたしまして今までこのようなことを書いたり、発表した人を私は知りません。なぜなら考古学的発掘がここにきて過去を知る手がかりとして今までになく成果を挙げているからだといえます。
哲学と考古学が結びついたとき、よりはっきりしたかたちで「人間とは何か」の答えを得ることができると考えるからです。
またもうひとつ、リターンメールとして書いてください。見逃してしまいますよ