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(回答先: 「迷惑」の実態とは(戦争板より移転) 投稿者 小阪修平 日時 2004 年 4 月 20 日 17:16:36)
小阪修平様
>最初に結論から言えば、私は、言われる迷惑は心理的不快感以上のものではなく、その不快感を拘束された被害者にむけることによって日本政府ははしなくも「お上体質」を露呈させたと思っています。>小阪修平氏
私は、責任論という言葉につられて、一生懸命、法的な言葉に翻訳を試みたわけですが、法的責任を基礎づけられないとまでしか結論を出すことが出来ず、では、政府の表現の正体は?というところの答えにはなっていませんでした。
それについて、小阪修平氏は、お上体質という心的な傾向を自己責任という言葉で表現したにすぎないというわけですね。
>最大の迷惑は、政府の方針に反対する「輩」のためにこれほど夜も寝ないで(そういう政府関係者がいたことは事実でしょう)尽力してやっているのにこいつらは、という心理的不快感>であると。
なるほど〜。端的にそういう捉え方のほうがすっきりするし説得的だと思います。
この捉え方の弱みをつけば、憶測の要素が多分にあり、論争には向かないということでしょうか。
>さらに心理の奥をみれば、戦後民主主義のなかで政府にとって重しである建前となっている「人命の尊重」をタテにとって政府を「脅迫」しているという家族の自衛隊撤退要求にたいする不快感であり、もし人質が殺されでもしたら自衛隊撤退の要求が澎湃としておこり、政権の基盤自体が危うくなることへの不安感です。そういった心理的な異常事態を想定しなければ、政府の対応はとても想像できるものではありません。>小阪氏
そうですね。彼らは相当いらいらしていた。
だからこそ、「世間がなんといおうと我が子の命が大事・親だけは子供を信じてやらねば」というごく自然な家族の心情を、政府の苦悩に乗じた政治的要求であるかのように受けとめてしまったといえるかもしれません。
その受け止め方を明言したひとがいたかどうかは定かではありません。
ただ、少なくとも、元人質の家族と政府与党関係者が初めて面会した9日、家族らが「自衛隊の撤退を視野にいれてくれ。撤退すれば、3人とも助かる。福田首相は『人命は地球より重い』と言った」などと要請した」などと頼んだのに対して、各政党幹部らのなかで、自民党の久間氏はこう述べている。
「政治の世界は非情なものだ」と。
私個人は、「非情なのはあんたの物の言い方」であって、政治じゃないだろう、勿論政治は浪花節ではできないだろうが、心配する家族に向かってその言い草はないだろうと感じたのですが、もしかすると、この会見が発端となって与党内に「被害者家族らは窮状につけこんで公然と政府の政策を批判し、人命救助をたてに政治を圧迫しており、けしからん」といったムードが形成されていったのかもしれませんね。憶測ですが。
だとすると、この時点で、犯人と被害者を一種のゆるやかな共犯関係のように見立てる説が現れる下地ができたといえるかもしれません。そのもっともラディカルな共犯説がいわゆる自作自演説といえるとおもいます。
なにしろ、政府関係者の主観としては、政府を脅迫する悪の仲間と見うるわけですから。
冷静に考えれば、そうしたムードは、強烈な善悪二元論の決め付け以外の何者でもないのに。
家族の心理を読み間違えたといいますか、心情をくんでやるだけの余裕がなかったのでしょうか。
私にはこの点について、今後、誠実な報道者によって究明されてほしい気がします。
次に、小阪修平氏は、日本政府の「ことば」に対する信頼の低下を引き起こすふたつの失態について述べます。
とりわけ第二点の
>日本政府からみれば、自衛隊撤退を要求し、日本国民にたいして訴えかけるようなクバイシ師は「不逞の輩」に見えるでしょうが、(あるいはブッシュ流の善悪二元論にもとづいて悪者の一味ぐらいに思っているのかもしれません)、「ことば」を信頼する以上、「人質」が解放された最大の要因は、イスラム法学者協会の呼びかけに応えたからであり、そのために解放の仲介者となって尽力したクバイシ師にたいして謝意を表明しないのは信義にもとることです。>小阪氏
これには全く同感です。
>信義は「ことば」によって成り立ちます。
う〜ん。
私なりに素朴に考えますと、謝意・謝罪の表明は、基本的な外交技術である以前に、基本的なコミュニケーション技術だと思います。
謝罪については、自分の落ち度をどこまで認めるかというリスク回避のギリギリの選択がありえても、謝意については、そうしたリスクはあまり考えられない。
聖職者協会を悪の仲間とみなしていない限り、謝意を表明するリスクは想像できない。
なのに、謝意がなかった。
そうすると、感謝される反対側の立場からいえば、「日本政府は謝意を表明しないが、なぜ?我々をなんだと思っているのか、ひどくない?」とすかさず突っ込みが入るのは、至極当然のことでしょうね。イスラム聖職者協会が現地の治安にとってキーとなる存在であるにもかかわらず、政府はメンツをつぶし、なんだか無視した格好になった。
対話技術の欠落という視点でとらえても、やっぱり、日本政府の失態といえる。
最後に、在外邦人の保護について
これはとりわけNGOの活動を視野にいれてのことですが、私が知る限り、一昨年あたりから、危険地域でのNGOの活動の安全配慮として、外務省は、特殊なGPSを搭載した車両を各国数十台導入を進めていました。イラクに関しては戦争が勃発したので試験すらできなかったようですが、仮に、導入されていれば、昨年の奥大使がその車両を利用していたであろうし、車両が停止した時刻や車両の位置を正確に霞ヶ関の外務省で把握できた可能性がある。いまさら仮定に仮定を重ねても仕方がありませんが。
しかし、これまた私がひょんなことから噂で知る限り、そのGPSシステム設計業務を請け負った××社は、どうやらあまり使い物にならない粗悪品を納入した疑いがある。
××スタンなどスタン系の国やスリランカなどで試験的にNGOに提供、使用を促したところ某国では約八割の団体が試験使用すらしなかったという噂もある。
しかも、外務省がシステム導入の背景には、NGOが使用する衛星携帯の高額な料金負担(外務省負担)を軽減する目的もあったというから、ちょっと今回の自己責任論は微妙に気にかかるところです。
これはあくまで噂。心ある報道者は調べてほしい。
私は、「海外渡航は自己責任で」などと国民に萎縮効果しか与えないようなセリフを吐き散らすヒマがあったら、外務省の情報収集能力に磨きをかけてほしい、むしろ、今回の対応と事件発生を反省すべきです。
首相は、ラジヲで国民になにやら呼びかけたようですが、年間一千万人の海外渡航者がいるなかで、可能性としてはごく小さい人質になる可能性を過度に強調する実益はほとんどないと考えます。表現の自由を萎縮させるだけです。
むしろ、国民の側からいえば、万が一人質になった場合、各方面からあんなに迷惑!迷惑!と罵られるのかと思うと憂鬱になるというものです。
また、どうせNGOは世界に出てゆくのだし、危険地域で活動することが予定されているとさえいえる。本来、NGOこそが効果的に復興支援を担うものなのだから。
私は、そうしたNGOの活動を陰でサポートする外務省の努力を知らないわけじゃない。
NGOの活動を見越した先のGPS導入だってそうした外務省の努力の現れです。
であれば、なおさら、現場のNGOに評判の悪かったシステムを、国内の公共事業よろしく強引に計画遂行するのではなく、本気で充実した情報提供の義務を果たしてほしいと強く願うのです。
本当は、外務省の情報提供義務懈怠論を議論すべきですが、私には、そこまでの知識がないのです。残念。
しかしなんとか風向きを変えたいですね〜。